都市での生活に息苦しさを感じたら、非日常の温泉宿へ。だが、この宿はよくあるラグジュアリーな“非日常”ではない。青森県黒石市の秘湯「ランプの宿 青荷(あおに)温泉」はランプの灯りだけで過ごす、不便さを楽しむ宿なのだ。1泊すると、「電気があるってありがたかったんだな〜」と、当たり前だけど当たり前じゃないことに気づく効用もある。
画像ギャラリー都市での生活に息苦しさを感じたら、非日常の温泉宿へ。だが、この宿はよくあるラグジュアリーな“非日常”ではない。青森県黒石市の秘湯「ランプの宿 青荷(あおに)温泉」はランプの灯りだけで過ごす、不便さを楽しむ宿なのだ。1泊すると、「電気があるってありがたかったんだな〜」と、当たり前だけど当たり前じゃないことに気づく効用もある。
灯されるランプの数は毎日100個以上
ガラガラガラ−−。ガラスとガラスがぶつかりあう涼やかな音色が響く。モップの柄を棹(さお)にして、ランプを7〜9個ぶら下げて、ランプ小屋から灯油ランプが運ばれていく。暗くなり始めた館内に温かみのあるランプの灯りがぼうっと灯り、宿泊者を幽玄の世界へと誘う。灯されるランプの数はお客さんの入りによるが、毎日100個以上。客室、廊下、風呂、ロビー、食事処……。午後2時から1時間以上かけて、1カ所ずつ取り付けるのは骨の折れる作業だ。
かつて、山奥の秘湯といえば、たどり着くのも大変な場所にあり、「ケータイ電話が通じない」不便な場所だった。が、最近は山奥でも電波の通じる温泉が増えてきたし、快適にリニューアルされていて拍子抜けするほどである。「ランプの宿」を謳っている宿でも、本当にランプの灯りだけで営業していたのは昭和30〜40年代までで、今や自家発電であっても、電気が通じている一般の旅館と同じように過ごせるところが多い。そんな中、「ランプの宿青荷温泉」は今も変わらずランプの灯りを頼りに一夜を過ごす、希少な温泉宿である。
昔ながらのランプの灯りを頼りに「何もしないぜいたく」が叶う
「何もしないぜいたく」とは山奥の温泉宿で過ごす際のアピールポイントとしてよく使われるフレーズで、ここ青荷温泉では本当に、「何もしないぜいたく」な時間を過ごせる。というか、「何もできない」といった方が正しいかもしれない。電気がないからテレビはない。ネット環境もない。従ってノートパソコンを持っていっても仕事なんてできない。
第一、部屋にコンセントがないのだからスマホの充電もできない。やることがないならば、読書をしようと単行本を持っていったが、暗すぎて文字が読めず、すぐに断念してしまった。日常生活に当たり前にある灯りの有り難みを感じた一夜だった。
ところで、この宿に着いたときに、「フロントではパソコンも使っているし、水洗トイレは電気で動くものだから、ランプはパフォーマンスなのでは?」とチラリと思ったが、「一部、自家発電の電気を使っているけれど、それでは全然足りない」そうである。電気は来ているが微弱。自家発電では賄いきれず、今も昔から使っている灯油ランプを変わらずに使い続けている、というわけである。
源泉掘削中、「混浴露天風呂」など2025年春に再開予定
「ランプの宿 青荷温泉」は、10kmほど離れた同じ黒石市内にある板留(いたどめ)温泉の湯治宿「丹羽旅館」に生まれた歌人・丹羽洋岳(にわ・ようがく)によって昭和4(1929)年、42歳の時に開かれた温泉宿。洋岳は信心深い人で、茅葺き屋根の建物に祭壇をつくって日蓮聖人の坐像を飾り、朝夕の祈りを欠かさなかった。69歳の時に青森県の「第1回文化功労賞」を受賞し、それがきっかけでこの風流人が営むランプの宿の存在を知り、訪れた人もいるという。その後、宿は人の手に渡り、地元の旅行会社が運営している。
風呂は4カ所あって、現在は総ヒバ造りの「健六の湯」(男女別)、同じく総ヒバ造りの「本館内湯」(男女別)2カ所のみが稼働している。2年ほど前に訪れた時から「源泉の温度がぬるくなってきた」という話は聞いていたが、温度の低下が著しいため、「源泉を1本掘っている最中」(長峰徹吏社長)だという。そのため、2024年現在は「混浴露天風呂」と「滝見の湯」を閉鎖中。新たな源泉の掘削が順調に進めば、2025年春には閉鎖している2つの風呂を再開する予定だ。
毎分500Lの豊富な湯量、源泉かけ流し100%
「ランプの宿 青荷温泉」の湯量は毎分500L、100%源泉かけ流し。1軒の宿では相当な湯量だ。以前、専門家が言っていたが、源泉をかけ流しで使うには、50人の宿であれば毎分50Lが理想的だという。ここの宿は、32部屋(全和室)で定員は100人だから、十分すぎると言っていいだろう。
無色透明のやわらかな湯の質もさることながら、肌に触れる木の温もりとほのかに灯るランプの灯りがなんともいえない趣でノスタルジーを誘う。静かだし、暗いので、世も更けてくると、一緒に入っている人がいなければ、怖いくらいである。ただ湯に浸かって、自分と対話するような時間の過ごし方は、忙しい現代人の心を癒やしてくれるはずだ。
ドライヤーが使えない!
ただ、のどかな風呂場で注意したいこともある。それは、冬は髪の毛は洗わない方がいいということ。ドライヤーが使えないので、万一髪の毛を洗ってしまった場合は、タオルドライをし、ストーブの前で髪の毛を乾かさなければ、風邪を引く。
食事は大広間の長テーブルにグループごとに分かれて食べる。食事会場もランプの灯りだけだから、やはり暗い。暗がりの中、撮った写真はこんな感じであった。岩魚の塩焼きやキノコ、山菜、煮物など山宿らしいメニューであるが、ぼんやりとしか見えていないから、いつもと勝手が違う。あまりに暗いので、同行者が部屋の鍵を間違えて2つ持ち帰ってしまうというハプニングもあった。普段の生活はいかに明るさに助けられているか、ということがよくわかった。
冬季は送迎バス必須、アクセス不便でもめざす人が多い人気宿
秋が深まるほどに紅葉が深くなり、12月になると雪が降り出す。「ランプの宿 青荷温泉」はかつては冬季は休業していたが、2001年からは通年営業している。と言っても、宿までの道路が狭く対面通行が困難なため、自家用車で直接、行くことはできない。冬季はアクセスが不便になり、雪のシーズンを迎える12月になると、弘南(こうなん)鉄道弘南線黒石駅または「道の駅 虹の湖」の駐車場に車を置いて、青荷温泉まで送迎する宿のマイクロバスに乗り換えなければいけない。
訪れたときは、帰りのバスが宿の敷地内でフカフカの新雪にはまり、除雪車が出動するも数十分動けなくなるというハプニングが発生した。さらに、マイクロバスによる雪道ドライブは、アップダウンが激しく、スリリングなアドベンチャーツアーのような体験だった。ほんの1泊しただけでもこの宿を運営するスタッフの苦労が感じられて、マイクロバスの発車時刻が遅くなっても誰も文句は言わなかった。自然の厳しさの中に立つ宿なのである。
「ランプの宿=不便さを楽しむ宿」。現代社会とは対極にある秘湯へ、ぜひ出かけてみてほしい。
【青荷温泉】
浅瀬石川の支流、青荷川の渓谷沿いにある秘湯。温泉の開湯は昭和4年で、宿は「ランプの宿 青荷温泉」のみ。電力は通ってはいるものの「微弱」なため、夕暮れ以降は灯油ランプの灯りが光源となる。源泉は毎分500L、100%源泉かけ流し。
【宿データ】
『ランプの宿 青荷温泉』
住所:青森県黒石市大字沖浦字青荷沢滝ノ上1-7
電話:0172-54-8588
泉質:単純温泉
アクセス:JR新青森駅から車で約1時間15分。冬季(12月1日〜)は直接、車で行くことはできず、弘南線黒石駅から送迎バスで約40分または、新青森駅から車で約40分の「道の駅虹の湖」から送迎バスで約20分
https://www.aoninet.com
文・写真/野添ちかこ
温泉と宿のライター、旅行作家。「心まであったかくする旅」をテーマに日々奔走中。「NIKKEIプラス1」(日本経済新聞土曜日版)に「湯の心旅」、「旅の手帖」(交通新聞社)に「会いに行きたい温泉宿」を連載中。著書に『旅行ライターになろう!』(青弓社)や『千葉の湯めぐり』(幹書房)。岐阜県中部山岳国立公園活性化プロジェクト顧問、熊野古道女子部理事。
https://zero-tabi.com/