さいきん「結局なんだったんだろう」と思えるようになったことがある。コロナ(禍)のことだ。もちろんその影響はまだ進行形であり、終わったものとして完了形で語られる存在ではない。それは頭でわかっている。しかしようやく、私たちにとってあの年月はなんだったのかを、個人的に振り返ることができる程度には、閉塞と生活が切り離されて、しばらくの時間が経過したのではないか。
■スマホひとつでマスクを求める「社会」と向き合うことに…
私はあの時、押し寄せる課題の対処に奔走した当事者でもないし、ましてや医療に携わる人間でもなかった。だから「結局なんだったんだろう」という疑問をいま実感できること自体が、あの時の科学や倫理によってもたらされた、人類の奮闘の賜物だとやっとわかる。同時に私たちはあの時、幸運とか奇跡としか言いようがないギリギリの分岐をたどったのであろうことも、なんとなく想像がつく。
あの時われわれは、あれよあれよといううちに、自分をとりまく空気に絶えず緊張する生活に突入した。それは、ひとり残らずといえるくらい例外なく、全員である。そしてわれわれはなかば強制的に家の中へ閉じこもる選択をし、これから先いつまで、だれもどうなるか断言してくれない、予断が許されぬ時間を過ごすことになった。コロナとか感染症という言葉が耳に入り出した時に、ちょうど子どもが生まれた私はあの頃、二重の緊張感に人生が覆われた気がしていた。
それは、自分の息を詰めながら子どもの呼吸の深さを確認するような、自分の世界を極限まで狭めながら子の世界が無限に広がることを祈るような、静かで強張った生活だった。その分厚い未知しかなかった数年間を、いまいくら振り返ってみても、私には「結局なんだったんだろう」という大雑把な感慨しか出てこない。とにかく状況を見ながら行った手探りと心配と、かろうじて無事だったという安堵以外に、実はほとんど記憶がないのだ。
「結局なんだったんだ」という感慨を持つ人は、私のほかにもいるだろう。家に残されたテレワークの残骸や使いきれなかった消毒用アルコールを見た時、いつのまにか元に戻った満員電車に乗った時、あるいはアクリル板を立てた跡が残されたカウンター席に座った時、「結局なんだったんだ」と気持ちがわきあがる人は多いと思う。あれを境に社会は変わった気もするし、なんら変わらなかった気もして、考えるほどによくわからなくなるというのが正直なところではないか。
一方で私は静かでこわばった生活とは別に、コロナ禍の比較的はやい段階で、いささか特殊なかたちで、コロナと社会に対峙する経験をすることになる。例によって企業のSNSアカウント担当者として、行きがかり上に向きあうことになった、きわめて職業的かつ個人的な経験である。私はなぜか「マスクを作る家電メーカー」という、特殊に変貌した企業の窓口として、マスクを探し求める社会とスマホひとつで向き合うことになった。