25年の歴史を刻むラーメンの業界最高権威「TRYラーメン大賞」(通称「TRY(トライ)」)。『TRY』で審査を務める審査員たちは、全国津々浦々のラーメン店を巡っており、それらの叡智を集結して、全国各地の絶品の一杯を掲載したのが12月2日発売の『『25周年記念 TRYラーメン大賞全国版 ~25年の軌跡と日本全国の本当に旨い一杯~』(講談社ビーシー/講談社)』だ。『TRYラーメン大賞全国版』には数多くの魅力的な店主が登場する。「バイク事故がきっかけ」でラーメンの世界に飛び込んだという『自家製ラーメン アイリー』の店主・鴨志田裕太さんを、「おとなの週末」Webのオリジナル記事で紹介する。
画像ギャラリー25年の歴史を刻むラーメンの業界最高権威「TRYラーメン大賞」(通称「TRY(トライ)」)。「TRY」で審査を務める審査員たちは、全国津々浦々のラーメン店を巡っており、それらの叡智を集結して、全国各地の絶品の一杯を掲載したのが12月2日発売の『25周年記念 TRYラーメン大賞全国版 ~25年の軌跡と日本全国の本当に旨い一杯~』(講談社ビーシー/講談社)』だ。『TRYラーメン大賞全国版』には数多くの魅力的な店主が登場する。「バイク事故がきっかけ」でラーメンの世界に飛び込んだという『自家製ラーメン アイリー』(茨城県高萩市)の店主・鴨志田裕太さん(39)を、「おとなの週末」Webのオリジナル記事で紹介する。
店名はジャマイカの方言で「幸せ」や「楽しい」の意味、2022年7月オープン
「TRYラーメン大賞」に携わり、多くのラーメン店を取材する中で感じていることがある。全員ではないのかもしれないが、『TRY』に掲載されるような店の店主は特に、素晴らしくこだわりが強い職人肌である方が多いように思う。
今回、紹介するのは、その中でもラーメンへの愛情やこだわりはもちろんだが、波瀾万丈な人生を送っている『自家製ラーメン アイリー』の店主・鴨志田裕太さん。2024年12月で不惑を迎える鴨志田さんが、2022年7月に晴れて地元・茨城県高萩市で独立を果たしてから2年が経つ。早くも『TRYラーメン大賞全国版』に選ばれた話題のお店だ。
「お客様に幸せが広がることを願いながら調理しています。好みに合い、通ってくださっているお客様と自分の情熱の手助けをしてくれているスタッフへの感謝を忘れずにいたいですね」
日本各地からラーメンフリークが来店
3種類の小麦粉を使った中太の自家製麺は、1~2日寝かせることで熟成。最も大きな特徴はタピオカ粉を練り込んだちゅるっもちっとしたクセになる食感であること。昆布で取った出汁に、丸鷄や胴ガラ、モミジなど大量の鶏とゲンコツで動物系のどっしりとした旨みを引き出したスープは、さらに脂のりの異なる煮干しを2回に分けて入れることで味に深みを与え、3日間かけて作っている。
地元で愛されているのはもちろんだが、日本各地からラーメンフリークが訪れる名店になりつつある。
19歳で大事故、入院中にテレビで観たラーメン番組
「それまで、ラーメンは週に1回食べる程度で比較的好きというくらい」。そんな鴨志田さんがラーメンに強く興味を持ったのは19歳のときだった。
「学生時代から人に合わせることが好きじゃなかったし、やりたいことが特にあったわけでもなく、勉強は嫌いだったので大学に進むつもりはなかった」
高校卒業後は地元でガソリンスタンドに就職したが、頻繁に打たれるキャンペーンやきついノルマなど、営業方針に納得できず1年ほどで退職。その後は工場や現場仕事などを勤めたが、何をやっても魅力が感じられず長続きしなかった。
そんな最中、バイクで大事故を起こした。現場は帰宅途中、自宅から200mほどの近所だった。顔面から路肩に突っ込み、2か所の眼窩底骨折。骨は砕けて上顎も折れた。口の中でジャリジャリとした感触があり、気持ち悪さを感じた。衝撃で砕けた歯だった。鼻骨が折れたせいで鼻血は止まらず、みるみるうちに腫れ上がる顔に、ちょうど下校時間で通りがかった小学生たちが大騒ぎしていた声が聞こえたのを覚えている。知人の家の前だったこともあり、すぐに救急車を呼んでくれた。
「膝の半月板を損傷しましたが、事故直後に自分の足を見たらバイクが足の上に乗っていて、足が変な方向を向いていたので下半身付随は覚悟しました」
顔にプレートを入れる手術など計2回行ったが、最初の入院の時はしばらく固形物が食べられず、寝たきり状態だったので自力で起き上がることができないくらい筋力が落ちた。
2回目の手術は約1年後。その入院中に偶然見たのが「本当に美味しいラーメン」をランキング形式で紹介したテレビ番組だった。
自分がやりたいことは何か、GSでの経験から人に感謝できて感謝されるような仕事は何があるのかと悩みながら、人生を模索していた鴨志田さん。ラーメン店店主が一人で店を切り盛りする姿に、自分の力でやっていくことへの魅力を感じたという。早速、病院のパソコンを借りて、そのランキングに入っていた複数のお店に「ラーメン屋さんになるためにやっておくべきことはありますか」とメールで聞いた。
その中から「退院したら会ってみないか」という返信があったのが、先の番組で第1位に輝いた『麺処 くるり』(東京都新宿区、現『大塚屋』)だ。
高校時代はボクシング、辰吉父の言葉「一番になれ」
高校時代、「男に生まれたからには強くなりたい。自分の力で名前を残したい」という思いでボクシングをやっていた。
「当時憧れていた辰吉丈一郎さんの父・粂二さんの言葉に『なんでもいいからから一番になれ』というものがあり、それが自分の人生を動かしてくれた気がします」
さらに、「バイク事故で一度は死んだようなものだと思って頑張ってみよう。何をやっても長続きしなかったこともあり、親にまた始まったと言われるのも嫌なので、本気でやるなら東京に行こうと決意表明も込めて動きました」と話す。
懸命にリハビリに励み、2007年、左足を引きずりながら『麺処 くるり』の門を叩いた鴨志田さん。ラーメン店として一番を目指す修業が始まった。
疎遠になっていた店主に、麺作りを改めて乞う
「ラーメン屋になるとはまったく思っていなかったし、考えたこともバイク事故に遭うまではなかった」と話す鴨志田さん。生死の境をさまようような事故に遭ったことより、結果的に情熱を注ぐことができるラーメン店という生涯の仕事を見つけた。
味噌ラーメンの名店である『麺処 くるり』に入った時、店主から「独立したいなら、いろいろな店を経験したほうが良い」とアドバイスをもらったという。そこで次に入店したのが、『ラハメン ヤマン』(東京都練馬区)だ。
『ヤマン』の門を叩いたのは、自家製麺であったこと、すべての味のラーメンが揃っていたことが理由だった。約2年間、勤めた。辞めたあと、店主の町田好幸さんとは「一時は考え方の違いにより、3年ほど疎遠だった」というが、『アイリー』を開くにあたって、町田さんに麺の作り方を改めて教わりたいと願い出たところ、快諾された。「ヤマンの麺が世界一美味い」が理由だ。
店名の「アイリー」は、ジャマイカの方言であるパトワ語で「幸せ」や「楽しい」を意味する。ジャマイカの言葉を店名に使った理由は、「レゲエを愛し、ジャマイカ文化に造詣の深い『ヤマン』へのリスペクトから」という。
「経営者のつもりで店に立て」、25歳で「初店長」
その後入ったのは、当時から行列店として名を馳せていた『カラシビ味噌らー麺 鬼金棒(きかんぼう)』(東京都千代田区)だ。
『鬼金棒』では初めて店長を任された。代表の三浦正和さんの「経営者のつもりで店に立て」という教えに、責任感を持つことの大切さを学んだという。
米サンフランシスコでラーメン作りを経験
さらに鴨志田さんの視野を広げたのが、2010年頃に入った『MENSHO』(東京都文京区)だ。同店に惹かれたのは、世界にラーメンを広げているトップランナーだったから。
「『MENSHO』時代はアメリカ・サンフランシスコで1カ月、ラーメンを作る経験をさせていただきました。お客様がいきなり厨房に入ってこられて、ニューヨークから食べに来たんだ!感動した!とハグされたんです。やはり日本のラーメンは世界一で、誇りを持って取り組める仕事だと実感しました」
父の突然の死が背中を押した
その後、2018年に入社したのが、『銀座 八五』などの人気店を擁する『中華そば 勝本』グループ。ミシュランに掲載されるなど、ラーメンをより料理として昇華しているところに魅力を感じた。しばらくして東京・水道橋店の店長を任され、3年目には統括部長として現場に出ながらシフト管理や商品開発などにも携わり、順風満帆に過ごしていた。しかし、2022年2月、突然の自宅待機を命じられる。
その最中、2月28日に鴨志田さんの父が急性心筋梗塞で倒れ、3月1日には66歳の若さで帰らぬ人とった。母が一人、実家に残されていたため、『勝本』を退社し、地元に戻り、自分の店を持つことを決意したという。
「東京では毎日飲んでいたので貯金はなくて、開業資金を集める苦労などの不安はありましたが、父が他界した3日後には今の物件を押さえていました」
実は、高萩市は茨城県で人口が一番少ない市だ。
「この場所は何をやっても続かない通りと言われている空き物件で、タクシーの運転手や市の商工会にも、良くない場所ってわかっている?と言われました。不安もありましたが、努力や勉強はしてきましたし、自分なら出来るんじゃないか、逆境のほうがやりがいあると、ワクワクしたことを覚えています」
さまざまな名店のDNAを引き継ぎつつ、信念と自信を持ち進む『自家製ラーメン アイリー』。
「勉強しても勉強しても飽きることがないですし、正解がないところがラーメンのおもしろさです。店主、お客様共に好みがたくさんありますが、うちを気に入ってきてくださるお客様の中で一番になれたら、ある意味、世界一を目指せるのかなと思っています」
地元の老若男女に愛される味と自身のやりたいことのバランスを探りながら挑戦を続ける。今後がますます楽しみな1軒だ。
■『自家製ラーメン アイリー』
住所:茨城県高萩市赤浜1312-1
電話:080-6521-1562
営業時間:平日11時〜14時(L.O.)、土・ 日・祝11時〜14時50分(L.O.)、土17時〜19時30分(L.O.)
定休日:月(祝日の場合は翌日休)
交通:JR常磐線南中郷駅から徒歩約25分
『TRYラーメン大賞全国版』は12月2日発売
2024年で25周年を迎えた「TRYラーメン大賞」(通称「TRY(トライ)」)。日本のラーメンシーンで歴史があり、最も権威ある賞として親しまれている。
12月2日発売の『25周年記念 TRYラーメン大賞全国版 ~25年の軌跡と日本全国の本当に旨い一杯~』(講談社ビーシー/講談社・1320円)は、TRY審査員5名、名店審査員2名の計7名が足を運んで食べた選りすぐりの「日本全国の本当に旨い一杯」を味ジャンル別に分けて掲載。25年の歴史を振り返り、最高の栄誉を得た「TRY殿堂入り店」をはじめ、長きにわたり受賞を果たした「TRY連続受賞店」や「偉業達成店」など、ラーメン界に貢献した名店を受賞歴と合わせて紹介している。「関西の注目すべき新興系ラーメン」などの魅力的な企画もある。
掲載店は、100軒以上。いま食べておきたい“一杯”がわかる25年の集大成ともいえる一冊だ。A5版のコンパクトサイズなので、ラーメンの食べ歩きの際に重宝する。
10月23日には、1都3県を中心に計237軒を載せ、記念すべき第25回の受賞店などを網羅したムック『第25回 業界最高権威 TRYラーメン大賞2024-2025』(講談社ビーシー/講談社・1100円)が発売されている。
「TRY東京ラーメン大賞フェス2024」は11月26日~12月15日、東京・大久保公園で開催
25周年を記念して、2024年11月26日(火)〜12月15日(日)まで、東京新宿区の大久保公園で「TRY東京ラーメン大賞フェス2024」が開催中。
首都圏の旨いラーメンを発掘し続けてきた「TRY東京ラーメン大賞」受賞店が大集結する絶好の機会だ。
文/市村幸妙
いちむら・ゆきえ。フリーランスのライター・編集者。地元・東京の農家さんとコミュニケーションを取ったり、手前味噌作りを友人たちと毎年共に行ったり、野菜類と発酵食品をこよなく愛する。中学受験業界にも強い雑食系。バンドの推し活も熱心にしている。落語家の夫と二人暮らし。