初代横浜駅の地にある「旧横ギャラリー(シァル桜木町)」に展示される英国製「陸蒸気10号機関車(のちの110号機関車)」=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
鉄道が開業した明治初期のころに「野毛山」から見下ろした横浜駅(現・JR桜木町駅)=写真提供/JLNA
JR桜木町駅に隣接するシァル桜木町の中にある「旧横ギャラリー」に展示される鉄道創業時に活躍した「10号機関車(のちの110号)」。1871(明治4)年に英国ヨークシャー・エンジン社製で、以前は青梅鉄道公園(東京都青梅市)で展示されていたものを、2020(令和2)年に“初代横浜駅”があったこの地に移したもの=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
1881(明治14)年に作成された、現在の横浜一帯に相当するエリアが書かれた古地図。鉄道建設により造成された扇状の形をした埋立地が、わかりやすく見て取れる。地名は、この当時からすでに「高嶋町」となっていた。埋立地で隔たれた水域は沼となり、“平沼”と呼ばれた。この平沼も大正年間に埋め立てられた=資料提供/JLNA
1871(明治4年)ごろに“高島山”(現・横浜市神奈川区台町)から撮影したとされる写真。手前に写る住宅のあたりが旧東海道で、埋め立てによって「平沼」という沼ができた=写真提供/JLNA
袖ケ浦の入江を埋め立て、鉄道の建設を推進した高嶋嘉右衛門氏=写真提供/JLNA
旧高島町駅から横浜駅にかけて存在する「高島」の地名は、当地の埋め立て事業に尽力した高島嘉右衛門氏に由来する。道路の曲線から扇形をしていた埋立地の痕跡が垣間見れる=2025年5月13日、横浜市西区高島
初代横浜駅に停車する“陸蒸気”と、マッチ箱と呼ばれた8両の小型客車=写真提供/JLNA
旧東横線高島町駅跡に近い高島町交差点に建つ案内道標=2025年5月13日、横浜市西区高島
二代目横浜駅舎の往年の姿。保存場所に設置された案内板より=2025年5月13日、横浜市西区高島
旧東横線高島町駅跡の目の前に建つマンションの敷地内(公開空地)で保存・展示される「横浜駅2代目駅舎の基礎部分」=2025年5月13日、横浜市西区高島
案内板には「基礎」としか記されておらず、駅舎のどの部分の基礎にあたるのかが気になるところ=2025年5月13日、横浜市西区高島
高島町駅前にあった空き地の下に「二代目横浜駅」の遺構が埋まっていたとは、これを撮影した時は思いもしなかった。現在、この空き地にはマンションが建っており、その一部の公開空地に駅の遺構は保存・展示されている=2004年1月29日、横浜市西区高島
建設中の「横浜ランドマークタワー」と東急東横線、JR根岸線(京浜東北線)=写真提供/山本泰史、1991年12月23日、横浜市中区桜木町
廃止を目前に控えた東横線桜木町駅。柵から顔をのぞかせる男の子も、今では20代半ばくらいだろうか=2004年1月29日、横浜市中区桜木町
JR桜木町駅西口幌場にある旧東横線桜木町駅の鉄道高架橋遺構=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
東横線桜木町駅のホームから見た、当時の花咲町(横浜市中区)の街並み。いまではビルが林立する風景に街は一変している=2004年1月29日、横浜市中区桜木町
東横線の旧桜木町駅跡地(高架橋跡地)は、遊歩道として整備されている。写真の奥にあるスロープをのぼると保存され遊歩道に活用されている高架橋(線路跡)の上に出られる=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
階段とスロープを利用して高架上へとあがる=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
階段をのぼりきると、目の前には線路跡が真っすぐに伸びている。右の高架線はJR根岸線が通る=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
桜木町駅に向かって線路跡(高架橋)が遺されているが、遊歩道として整備は行われていない=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
道路(国道16号線)を照らす街灯を固定するためだけに残された旧東横線の“架線柱”。本来はもっと空に向かって長かったはずだが、最小限に短くカットされている=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
遊歩道整備の際に、新たに架けられたアーチ橋=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
アーチ橋を渡ると遊歩道は終わり、階段で下の道路(歩道)へと下ろされる。廃線前の東横線は、ここから隣り駅だった旧高島町駅の少し先までJR根岸線と並走していた=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
廃線前から東横線の高架橋下は「歩道」として活用されており、その姿は今も変わらない=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
廃線当時の写真と見比べると、大きく街並みは変わった=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
桜木町駅~高島町駅間をゆく、在りし日の東急東横線(8000系電車)=2004年1月29日、横浜市中区桜木町
東横線の高島町駅~桜木町駅間は当初、省線を1線譲り受けて開通したため、写真に見るように土木構造物が省線(現JR)と一体になっているのは、このためである。歩道に張り出すように造られている線増部分は、のちに複線化した時に増設したものである=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
桜木町6丁目交差点近くにあるJR高島(貨物)線に設けられた「三菱ドッグ」と名付けられた踏切。当時このエリア一帯が造船所だったことを今に伝えている=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
旧東横線の高架下歩道を歩いていると、「三菱ドッグ踏切」が突如視界に現れる=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
1922(大正11)年に撮影された横浜船渠(せんきょ)会社の航空写真。みなとみらい21地区は、昭和の終わり頃までは「造船所」だった。現地案内板より=2025年5月13日、横浜市中区桜木町
高島町駅付近から桜木町駅方向を見た28年前の風景=写真提供/山本泰史、1997(平成9)年11月21日、横浜市中区桜木町
旧高島町駅付近から旧桜木町駅方向を見た廃止直前の風景=2004年1月29日、横浜市西区高島
廃止直前の東横線高島町駅=2004年1月29日、横浜市西区高島
廃止から21年が経った東横線高島町駅跡。かろうじて道路に面して“柵”が遺されていた=2025年5月13日、横浜市西区高島
旧高島町駅部分の高架橋は、一部を残して解体されてしまった=2025年5月13日、横浜市西区高島
旧高島町駅跡の横浜駅寄りを見たところ。高架橋は一部を残して解体されている=2025年5月13日、横浜市西区高島
「高島町変電所」があったあたりの東横線鉄道高架橋。この区間は解体されており、現存しない。=2004年1月29日、横浜市西区高島
独特の書体で書かれていた「高島町変電所」の扁額=2004年1月29日、横浜市西区高島
今も残される主要地方道80号線を越える架道橋=2025年5月13日、横浜市西区高島
主用地方道80号線を越えていた頃の東横線=2004年1月29日、横浜市西区高島
帷子川を越える橋梁の下には、不自然な橋脚が2脚ある。おそらく、開業当時は短いガーター橋でこの3径間を渡していたのだろう。現在残される橋梁は、その後に架け替えられたものと推察する=2025年5月13日、横浜市西区高島
橋梁を越えて横浜駅手前でJR東海道線を越える手前まで、ガーター橋が続く。高架橋にできなかった理由は何だったのだろうか=2025年5月13日、横浜市西区高島
横浜駅の手前は、東横線のほか、京急線、JR根岸線が入り組む狭隘な土地でもあった=2004年1月29日、横浜市西区高島
「鶴屋町連絡デッキ(はまレールウォーク)」は、JR横浜タワー(シァル横浜)とJR横浜鶴屋町ビル(シァル横浜アネックス)の間(2階部分)にある=2025年5月13日、横浜市西区高島
鶴屋町連絡デッキ(はまレールウォーク)を支える旧東横線の帷子川第一橋梁=2025年5月13日、横浜市西区高島
鶴屋橋から見た旧東横線の帷子川橋梁。帷子川分水路の上空には、高速道路(首都高速神奈川2号三ツ沢線)が走っている=2025年5月13日、横浜市西区高島