太古の昔、火山大爆発で地球の生物を大量絶滅させた、熊野の山に巨石がゴロリ。「黄泉の国」と古代人が畏れ、平安貴族が来世を祈り、いつしか熊野は聖地になった。死者と生者、神と仏が交わる地。足を踏み入れる者は、一度死んで、そして蘇る?奥深い森の謎の聖地へ、いざ!熊野古道「中辺路」の旅路は全3回で紹介!今回は、“王子”をめぐる旅の始まり、滝尻王子から近露王子の前編をお届けする。
【白石あづさのワンダートリップ】
全国の不思議な町を訪れる連載の第3回目は、世界遺産の熊野古道、和歌山南部を横断する参詣道「中辺路」を訪れました。紀伊田辺~新宮までの旅を前編としてご紹介します。
煩悩を消して俗世から聖域へ…胸が高鳴る巨木と巨石のデスマッチ
超巨大爆発から1400万年?
かつて和歌山南部の熊野地方は「黄泉の国」と呼ばれていたという。
「青い海に白い浜、パンダごろごろ」といった、ゆるいイメージがガラガラと崩れていく。黄泉とはあの世のことだ。どんな魔境?もしや落ち武者の霊でも出るのかと震えたが、それは浅はかな誤解であった。
神と仏が融合し修験道が盛んな熊野は、古来から神々が住まう地と崇められていた。死者の世界に足を踏み入れ、一度、死んで魂を清めて「黄泉から帰る」……そんな「蘇りの地」であるらしい。平安時代、参詣道(熊野古道)を経て熊野本宮大社などの三山を目指す「熊野詣」は、貴族に大ブーム。後に武士や庶民にも広がったとか。
明治以降に寂れるも、総距離約千キロに及ぶ古道を残そうと地域の人たちが埋まった道を掘り返し、ついに平成16年、世界遺産に。V字復活を遂げた古道には、世界中から旅人がやってくる。
あれやこれから蘇りたい私は、熊野古道の人気ルート「中辺路(なかへち)」を心静かに歩いてみようと、東京から大阪、そして特急くろしおに乗り換え紀伊田辺駅へ。果たして熊野は遠かった。何しろ熊野の「熊」は端を表す「隅(すみ)」が語源なのだ。黄泉の国がアクセス良好でも困るので仕方がない。
翌朝、駅のバス停は平日なのに大行列。よく見れば私以外は外国人で日本語は聞こえず、海外にいるようだ。
「滝尻王子」で下車し、俗世から聖域の始まる古道に足を踏み入れると、苔むした石畳は最初だけ。杉林の急な山道に変わり、半円球の「乳岩」に「胎内くぐり」の大岩などの大胆な巨石が出現した。大岩に大木が絡みつくデスマッチも原生林ならではの迫力だ。
この巨石たちはどこからきたのか。実は1400万年前、熊野で地球の温度を10度も低下させ大量絶滅に繋がった火山大爆発が起きた時の噴石と言われている。積もった火山灰の高さは2千m、地面が陥没してカルデラとなった。
人類誕生のもっと前、気の遠くなるほどの長い間、ここは死の世界だったのだろう。それがこんなに緑豊かな森に蘇り、太古の記憶である噴石が今も残る。巨石に神が宿ると考えた昔の人の気持ちもわかる気がする。
大門王子や十丈王子を通り過ぎ、棚田や杉林、小さな谷を越え、山や里山を歩くこと6時間、今夜の宿がある近露が見えてきた。
日本昔話の世界に紛れ込んだかのような懐かしい集落を歩けば、「おつかれ!」と地元の人から声がかかる。きっと彼らのご先祖も旅人に声をかけていたのだろう。近露王子から少し先の古民家にビアガーデンの看板が。店の奥では作務衣を着た西洋人がまかない飯を箸で器用に食べていた。若い日本人女性が顔を出し、「ボスが近くでヤギを50頭、飼っていてチーズは自家製です」と胸を張る。
スイスの高原と日本庭園をシャッフルした不思議な空間で、本格ヤギチーズ入りのピタパンと冷たいクラフトビールを味わった。
写真・文/白石あづさ…大学卒業後、地域紙の記者を経て約100か国3年間の世界一周後、フリーに。著書に『逃げ続けていたら世界一周していました』(岩波書店)、『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(辰巳出版)、『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』(文藝春秋)、『世界のへんな肉』(新潮社)ほか
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