「寿司屋の親父のひとり言」第7回「江戸時代の握り寿司(2)」

東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。 第7回は、江戸前寿司の歴史第2回。江戸前寿司の始まりには、今も現存する日本を代表する大手食品会社が関係していた!?

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「江戸時代の寿司(2)」

江戸前の定義とは

巷(ちまた)でよく耳にするのが「江戸前の握り寿司」という言葉ですが、では「江戸前」とはどういう意味なのでしょうか。

元々は江戸城の前の海や川とそこで獲れる海産物を指したようです。あるとき、御奉行様が魚屋に、「お前たちが使っている『江戸前』というのはどういう意味だ」と聞いたそうです。魚屋は、「へい、それは多摩川河口の品川宿から荒川河口の付近までの間で獲れた魚を江戸前と称します」と答えたという話です。ちなみに、現在は三浦半島の突端の観音崎から千葉県の金谷の辺りまで、ほぼ東京湾全体を指すようです。実際、昔の江戸前の辺りではほとんど漁はしていませんからね。

江戸の町としての始まりは、今から400年以上前、徳川家康公がこの武蔵の国にたくさんの三河人を引き連れてやってきた時からです。徳川家の繁栄とともに江戸の町も賑やかになり、やがて独特の町人言葉である江戸弁が生まれました。

庶民の間で「江戸前」という言葉が使われるようになったのもその頃からで、場所や海産物を指すだけでなく、関西の上方に対して、江戸の流儀という意味で使われるようになりました。だから、江戸前寿司には、江戸前の寿司は、「江戸前で獲れた魚を使った寿司」であると同時に「江戸で生まれた独特のやり方で作られた寿司」という意味もあったわけです。

「粋でいなせ」の「いなせ」って?

きっぷのいい口上と相まって「江戸っ子は粋でいなせ」などと言い方もあります。「いなせ」の「いな」は出世魚である鯔(ボラ)の子供で、ザラザラした青い背中が光る様が青々した若い衆の髷(まげ)の剃り跡に似ていたからだとか。江戸っ子は面白いことを考えるものです。

それにしても時代も変わりました。お客さんを見ていても江戸っ子らしさというのでしょうか、そういうものがなくなってきました。お勘定をしたときに、「お、安いね。深川にはめったに来ないから驚いた」なんて偉そうに抜かしやがる輩(やから)もいます。

寿司屋に行ったときは、値段のこと、他の店のことを口にするのはご法度です。相手がどんな職人でも、自分の握った寿司が一番だというプライドを持っています。そんなデリケートなところに波風立てるというのは無粋というもので、江戸っ子の風上にも置けないわけです……おっと、すぐに話がそれるのが江戸っ子の悪いところで、どうかご勘弁ください。

江戸前寿司とミツカンの関係

江戸前の握り寿司が生まれたのはかれこれ約200年も前になります。文化文政の時代です。江戸時代も後半で、歌舞伎や落語、大相撲に浮世絵と、庶民文化が百花繚乱のごとく栄えた時代ですね。

握り寿司が生まれるまでは、寿司といえば時間をかけて発酵させた「熟れ寿司」か「押し寿司」でした。押し寿司といえば大阪の「バッテラ」が知られています。シャリとネタを箱や桶に入れ、重石で押して固めた寿司です。これに対して、人の手の力で握り固めたのが「握り寿司」というわけです。

この頃に栄えたのが、両国広小路、回向院前にあったという寿司屋「華屋與兵衛」と深川の「松が鮨」といわれています。大川(隅田川)川開きの花火のときはさぞかし繁盛したことでしょう。

江戸前の鮨を語るうえで避けて通れないのが、「酢」です。今や酢といえばミツカンですが、1804年、愛知県知多半島半田の酒の蔵元だった中野酢店(ミツカン)の初代又左衛門が酒粕から赤酢を造ります。そして、それまで酢の主流だった米酢に比べて安価に作れる、この赤酢が海を渡って江戸に入ってきます。

(編集部注/当時、酒粕は酒造りが終わると捨てられていたのだが、この中野酒店が、そのゴミであった酒粕から酢を作ることを本業とするようになった。中野商店(ミツカン)の赤酢は、江戸時代のSDGs商品だったのだ)

時間をかけて作る寿司しかなかった時代、安価な赤酢を使って手早く出せる握り寿司はせっかちな江戸っ子に大いにウケた。大きなことを言えば、江戸に赤酢が入って食文化が変わったわけです。

ネタに仕事をする

その当時の寿司は形も味も今とかなり違っていたようです。シャリは、米1升に対して酢を1合強というから230㏄、塩は粗塩を100gくらい使って作っていたといいます。今ならそれぞれ酢180㏄、塩70gといったところですから、昔の寿司はかなりしょっぱかったはずです。

1貫の重さはだいたい50gで、私が握る寿司が15gくらいですから「おにぎり」みたいなものです。後になって、これでは大き過ぎると2つに切って出すようになった。これが寿司を2つずつ出す「2貫づけ」の始まりだという説もあります。

鮨ダネもずいぶん違っていました。今は刺身をそのままシャリに載せるのが普通ですが、冷蔵庫のなかった江戸時代ではそんなことはできません。

鮪は醤油で漬け込んで「づけ」にして、車海老は茹でてから甘酢にくぐらせた。焼いたり塩や酢で締めたりと、必ず職人が手を掛ける、いわゆる「仕事」をした寿司ばかりでした。はじめから味がついているので、当時は醤油につけて食べる習慣はありませんでした。

寿司の形も、四角い大阪寿司に対して、江戸前は船底のように上へ扇形に広がった“船形”でした。この形が江戸前寿司の美しさの象徴といっていい。かくいう私も40年以上、心を込めて船形に握り続けてまいりました。

(本文は、2012年6月15日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)

お店の中には青島幸男さんのとても面白い色紙が飾ってあります。文字はすべて漢字ですが、ぜひ声に出して読んでみてください。

すし 三ツ木

住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分

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