音楽の達人“秘話”

沢田研二はなぜ昔のヒット曲をコンサートで歌わないのか 音楽の達人“秘話”・沢田研二(3)

懐メロ・シンガーになりたくない 1990年代初期、40代を越えた沢田研二に、何故アルバムを作り続け、ツアーを続けるのか訊いたことがある。 “ぼく自身の年商がいくらかある。そのうち3割か4割がアルバム制作やツアーなどの費用…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。歌手・沢田研二の第3回で触れるのは、テレビから次第に遠のいたあとの時代です。コンサートをこなし、ニュー・アルバムをリリースと、精力的な音楽活動は変わりません。2022年も6月にニュー・シングルCD「LUCKY/一生懸命」を出したばかりです。ただ、ヒットを連発して歌番組に登場していた頃とは印象が異なる一面があります。ファンなら誰もが知っていますが、それはコンサートで昔のヒット曲をほとんど歌わないこと。なぜなのか―――。

ジュリー人気は下火になったのか

沢田研二と言えばザ・タイガース、そしてソロの“ジュリー”を深く心に刻んでいる人が多いと思う。しかし、“ジュリー人気”は1979年の「TOKIO」あたりをピークにしぼんでゆく。テレビの歌番組や紅白歌合戦からいつの間にか消えていった。沢田研二とほぼ同世代の小田和正や矢沢永吉などと比べて、明らかに人気が落ちたと思う方もいるだろう。でも、そういった現象はあくまでもイメージに過ぎない。テレビに出なくなっただけで、沢田研二の音楽活動が止まったわけではないのだ。

ぼくは“ジュリー”人気が下火になったと世間が思い込んでいる1990年代以降のコンサートにも何度も足を運んだ。渋谷公会堂とかそんなに大きな会場ではないが、常に満員だった。そういったコンサートで気が付くのは、いわゆる昔のヒット曲をほとんど歌わないことだった。コンサートで演奏されるのは、その時点でのニュー・アルバムの曲が中心だった。昔の“ジュリー”をイメージして足を運んだとしたら、昔の“ジュリー”ファンはそういった選曲に落胆したと思う。

では昔のヒット曲だけを歌ったら、どのくらい集客できるのか?その答えが2008年、還暦を記念して大阪と東京で行った「人間60年、ジュリー祭り」だ。東京ドームが満杯になり、チケットはプレミアムが付いた。そこでは彼の“ジュリー”時代の持ち歌80曲が歌われるという長時間のコンサートだった。

常に現役のロック・ミュージシャン

何故、昔のヒット曲を普段のコンサートであまり歌わないのか?その答えは彼が常に現役のロック・ミュージシャンでありたいと願っていたからだ。現役のロック・ミュージシャンのルーティン・ワークは、ニュー・アルバムを発表し、ツアーを行うというものだ。だから、沢田研二は毎年のようにニュー・アルバムを作り、ツアーを行っていたのだ。

思えば彼のロック・ミュージシャン志向はザ・タイガース時代にもあった。ザ・タイガースのコンサートでは、“ジュリー”というアイドルに熱狂するファンの前で、そういったファンが理解できないであろう、洋楽のカヴァー曲がレパートリーに取り入れられていた。例えば、ザ・ローリング・ストーンズの「アンダー・マイ・サム」。アメリカなどではその歌詞が女性蔑視に当たるとして、ラジオ局によっては放送を禁止した曲だ。そんな曲を熱狂する女性ファンの前で歌う。ザ・タイガースなりのロック・スピリッツだったのだ。もしザ・タイガースが1967年デビューではなく、“ザ・芸能界”の渡辺プロダクション所属でなかったら、あれほどの大人気にならなかったろうが、ロック・バンドとして活動していたとぼうは思う。

ザ・タイガース、ソロ時代の沢田研二のアルバムの数々

懐メロ・シンガーになりたくない

1990年代初期、40代を越えた沢田研二に、何故アルバムを作り続け、ツアーを続けるのか訊いたことがある。

“ぼく自身の年商がいくらかある。そのうち3割か4割がアルバム制作やツアーなどの費用に消えてゆく。その部分は殆ど赤字と言ってもいいんだよね。音楽をやり続けるために、テレビに出たり、舞台、映画、CMなどをやっているみたいなものだけど、それができる限り、アルバムを作って、ライブをやってゆくつもりなんだ”。そう、彼は答えた。

“もう随分と減ったかも知れないけど、タイガース、PYG、ソロ、その間ずっとぼくの音楽を支持し、ファンでいてくれる人がいる。ジュリー人気でない、ぼくの音楽の支持者。そういった人たちのお陰で、現在のぼくがある。そういう人たちを裏切りたくないんだ”とも語っていた。

“格好良すぎるかも知れないけど、ぼくはいわゆる懐メロ・シンガーになりたくないんだ。たとえそれでお金が入ってくるとしても…”

そう語った“ジュリー”いや沢田研二は、正しくロック・ミュージシャンの顔をしていた。売れ続けることより、人間“沢田研二”は、ロック・ミュージシャンであり続けることを選んだのだ。

沢田研二のアルバムの数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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