国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。歌手・沢田研二の第3回で触れるのは、テレビから次第に遠のいたあとの時代です。コンサートをこなし、ニュー・アルバムをリリースと、精力的な音楽活動は変わりません。2022年も6月にニュー・シングルCD「LUCKY/一生懸命」を出したばかりです。ただ、ヒットを連発して歌番組に登場していた頃とは印象が異なる一面があります。ファンなら誰もが知っていますが、それはコンサートで昔のヒット曲をほとんど歌わないこと。なぜなのか―――。
ジュリー人気は下火になったのか
沢田研二と言えばザ・タイガース、そしてソロの“ジュリー”を深く心に刻んでいる人が多いと思う。しかし、“ジュリー人気”は1979年の「TOKIO」あたりをピークにしぼんでゆく。テレビの歌番組や紅白歌合戦からいつの間にか消えていった。沢田研二とほぼ同世代の小田和正や矢沢永吉などと比べて、明らかに人気が落ちたと思う方もいるだろう。でも、そういった現象はあくまでもイメージに過ぎない。テレビに出なくなっただけで、沢田研二の音楽活動が止まったわけではないのだ。
ぼくは“ジュリー”人気が下火になったと世間が思い込んでいる1990年代以降のコンサートにも何度も足を運んだ。渋谷公会堂とかそんなに大きな会場ではないが、常に満員だった。そういったコンサートで気が付くのは、いわゆる昔のヒット曲をほとんど歌わないことだった。コンサートで演奏されるのは、その時点でのニュー・アルバムの曲が中心だった。昔の“ジュリー”をイメージして足を運んだとしたら、昔の“ジュリー”ファンはそういった選曲に落胆したと思う。
では昔のヒット曲だけを歌ったら、どのくらい集客できるのか?その答えが2008年、還暦を記念して大阪と東京で行った「人間60年、ジュリー祭り」だ。東京ドームが満杯になり、チケットはプレミアムが付いた。そこでは彼の“ジュリー”時代の持ち歌80曲が歌われるという長時間のコンサートだった。
常に現役のロック・ミュージシャン
何故、昔のヒット曲を普段のコンサートであまり歌わないのか?その答えは彼が常に現役のロック・ミュージシャンでありたいと願っていたからだ。現役のロック・ミュージシャンのルーティン・ワークは、ニュー・アルバムを発表し、ツアーを行うというものだ。だから、沢田研二は毎年のようにニュー・アルバムを作り、ツアーを行っていたのだ。
思えば彼のロック・ミュージシャン志向はザ・タイガース時代にもあった。ザ・タイガースのコンサートでは、“ジュリー”というアイドルに熱狂するファンの前で、そういったファンが理解できないであろう、洋楽のカヴァー曲がレパートリーに取り入れられていた。例えば、ザ・ローリング・ストーンズの「アンダー・マイ・サム」。アメリカなどではその歌詞が女性蔑視に当たるとして、ラジオ局によっては放送を禁止した曲だ。そんな曲を熱狂する女性ファンの前で歌う。ザ・タイガースなりのロック・スピリッツだったのだ。もしザ・タイガースが1967年デビューではなく、“ザ・芸能界”の渡辺プロダクション所属でなかったら、あれほどの大人気にならなかったろうが、ロック・バンドとして活動していたとぼうは思う。