その唇を奪ったとたん、恐慌が来た ええと、話がそれたのであるが、要するにそのとき私は、ものすげえ美貌のタイプの女性をベッドにほっぽらかしたままバスルームに駆けこみ、突如獣の咆哮をあげて嘔吐し、雷鳴の如き下痢便を垂れちまっ…
画像ギャラリーバブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第77回は、「恐慌について」。
女性と過ごす夜に限って発症するある体質
経済論をカマそうという気はない。しごく個人的な恐慌状態、すなわち「パニック」について書く。
性格的にいって余りパニックに陥るということはないのだけれど、肉体がものすごく健康なので、しばしば食当たりをする。それもなまなかなものではない。極めて倫理的な内臓が、ほんのわずかの雑菌にも過敏に反応し、パニクるのである。
嘔吐・下痢・胃痛・発熱といった症状が同時に襲い、いわゆる霍乱(かくらん)状態に陥る。ただしふしぎなことにはたいていの場合、排除すべき毒素が放出されてしまうと、あとはケロリと治る。所要時間は短い時でほんの30分、長くとも5、6時間であろうか。しかしもちろんその間は死ぬ思いをする。
季節でいうと、自分でも警戒するせいか、夏の盛りにはあまりなく、むしろ梅雨時、または秋口ということが多い。同様の理由からナマ物にはあまり当たらず、むしろ加工品に当たる。具体的な要注意品目を上げるとするなら、エビやカニの甲殻類、加工肉類、卵、乳製品といったところが最もヤバい。
家族は私のこの特異体質を良く知っているので、スーパーの値引品もしくは冷蔵庫の中にしばらく眠っていた食品を食らうときには、必ず私に毒味をさせ、安全を確認したうえで食事にとりかかることになっている。
私が当たらずに誰かが当たるということは決してなく、誰も当たらぬのに私だけが当たるということはままあるので、この方法は家族の衛生管理上きわめて有効である。
ところで、私のこの食当たりについては、昔からある宿命的なパターンがある。どういうことかというと、意中の女性と喫食をし、夜も更けてさあいよいよというそのときに、さきの嘔吐・下痢・胃痛・発熱の大恐慌をきたすのである。
宿命的といえばいささか大げさではあるが、最低5、6回はこの経験があるので、もしかしたら生理学的な因果関係があるのかも知れない。
第1回目のこの記憶は、童貞を喪失したときよりも生々しい。それほど屈辱的であった。
忘れもしない22歳の梅雨のころ、けっこう有名な都内の某料理屋で会席料理を奮発し、蒸しエビに当たった。食中毒にかかった経験のある方は首肯されると思うが、ひどい苦しみをすると、顧みていったい何に当たったかということはハッキリとわかるものである。おそらく口に入れたその刹那、悪い予感はしているのであろう。
で、例によっておしゃれなバーで私はウーロン茶を飲み、女性にはお酒をしこたま飲んでいただき、その夜はお定まりの旧赤坂ヒルトン(現キャピトル東急)に急行したわけであるが、チェック・インしたとたんに、あえなく恐慌状態に陥った。
ところで、ホテルの部屋に入ったとき、女性はたいがい3種の行動様式をとる。タイプはやおら窓辺に寄って夜景を眺める。もちろん夜景なんぞどうでもいいのであって、実は夜の窓に映る男の様子を監視しつつ、背後から抱きすくめられるのを待っている。この手合はしたたかである。
タイプは酔ったふりしてベッドに倒れこむ。これはむしろシャイで素直な性格が多い。
タイプはドアを閉めたとたん抱きつくか抱き締められるのを待つ。この手はのちのちトラブルに発展する場合が多いので、住所氏名電話番号等は教えぬ方が望ましい。
その唇を奪ったとたん、恐慌が来た
ええと、話がそれたのであるが、要するにそのとき私は、ものすげえ美貌のタイプの女性をベッドにほっぽらかしたままバスルームに駆けこみ、突如獣の咆哮をあげて嘔吐し、雷鳴の如き下痢便を垂れちまったのであった。
どうかこのときの屈辱感を察していただきたい。いったん始まると、体じゅうの筋肉が全て弛緩してしまい、嘔吐と下痢は同時に噴出する。セコいビジネスホテルならば便器にしゃがんだまま洗面台に顎を載せられるのであるが、国際規格のシティホテルの場合は距離が遠い。洗面器もない。したがってバスルームはどっちを優先するにしろ酸鼻をきわめる。
女性は当然心配をし、ドアごしに「だいじょうぶ?」とか声をかける。私はゲロの合間に、「キ、キミは大丈夫かい?」と訊く。「私は何ともないけど……」
そう。そのときも同じ料理を食いながら、なぜか私だけ当たったのである(ちなみに、私は意中の女性には必ず『キミ』という呼称および標準語を使用する。『オメー』とは決して呼ばない)。
恐慌は1時間も続いたであろうか。脂汗にまみれ、1貫目も瘦せてバスルームからよろぼい出ると、当然のことながら女性はいなかった。
二日酔の通勤電車内でお読みの方、または食後の喫茶店でおくつろぎの読者には大変迷惑であろうが、ついでにもう1件。
場所は出張中の京都四条通り界隈、とだけ言っておく。明らかにタイプと予測されるこれまた美貌の女性と祝杯を上げ、めでたく私の宿泊するホテルに急行することになったのであるが、途中むやみに腹がへった。フト見ると路上に屋台のラーメン屋が出ていたので即座にタクシーを止め、2人して暖簾をくぐった。
宵っぱりの東京人から見ると、地方都市はどこへ行っても夜が早い。そのときもたしか午前零時ごろだというのに、屋台ははや店じまいの支度をしていた。オヤジはちょっと迷惑そうな顔をした。しかし私は他人の迷惑をむしろ喜ぶタイプであるので、全く意に介さず、ラーメンを2つ注文した。
オヤジは何となくぞんざいな感じで調理をし、ラーメンではなくチャーシューメンと覚しきものを差し出した。「もう看板やし、サービスしときまっせ」、とか言った。
元来チャーシューという食物は、それぞれの味にたいへん格差があるのだが、とりわけこのチャーシューはすばらしくまずかった。まずいものを避けるのは食中毒にかからぬ秘訣なのだけれど、私は他人の迷惑を喜ぶと同時に、他人の善意は決して拒否しないタイプであるので、すばらしくまずいチャーシューも我慢して全部たいらげた。
「うち、好きやない。食べて」と美貌の女性は言い、これも善意のうちであると解した私は、つごう10枚ばかりのすばらしくまずいチャーシューをすべて食った。
で、ホテルまでブラブラと歩いた。一般に関西の女性に対し、東京の下町方言は禁忌である。逆に「ボクね」「キミはさ」といった山の手標準語は絶大な効果がある。
「ボクはね、たぶん今夜のキミよりも、明日の朝のキミの方が、好きだよ。たぶん、ね」
てなこと言いながらホテルに至り、部屋のドアを閉めると、タイプと予測された美貌の女性は、ほれ見たことかスポットライトの下で抱擁を求めたのであった。このタイプの女性は明日の朝こそどうか知らんが、とりあえず今夜はすばらしい。
闘志に燃え、女性の腰を弓弦のごとく引きしぼってその唇を奪ったとたん、恐慌が来た。
サイテーのタイミングであった。多少の予兆こそあれ、恐慌はほとんど突然やってくる。しかもその夜の場合、原因は料亭の蒸しエビではなく、相応の悪意をもって盛られた屋台のチャーシュー10枚であった。
「ちょ、ちょっと待って」と、私はもがいた。
「いやや、離さへん!」と女性は思いがけぬ強い力で私を抱きすくめた。
再び二日酔の満員電車内でここまでお読み下さった方には申し訳ないが、二日酔をするほどの酒豪であれば、この直後に起きた悲惨な状況が不可抗力的であることを理解なされると思う。
まさか美貌の女性は、接吻の求めに対して嘔吐で応じるような無礼者がこの世にいようとは考えてもいなかったであろう。
どうか言い訳のひとつもできずにバスルームに駆けこみ、便座をまたいだまま洗面台に顎を載せて咆哮するみじめな男の姿を想像していただきたい。しかもそのかたわらでは、美貌の女性が輝くばかりの裸体をセッセと洗い浄めているのであった。
この女性はとてもいい人で、朝まで寝ずの看病をしてくれた。翌朝、何事もなく別れたままである。別れぎわに「今晩、来てくれるかな」と言ったのだけれど、やっぱり来てはくれなかった。
(初出/週刊現代1995年8月14日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。
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