ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第34話をお送りします。
砒素をたっぷりと塗った仔豚の丸焼き
作家のモンスレーは、日に6回の食事と3回のオヤツを食べながら、ひたすら味覚文学を書き続けたタフなご仁だった。
彼の別の著書『美食術』の中には、医学史に残る有名なイタリアの医者カリオストロが、毒薬で調理した仔豚の丸焼きで決闘を挑んだ話が紹介されている。
18世紀末、カリオストロは招かれてロンドンで物理学の講義をしていた。そのころ同じロンドンに、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人を筆で攻撃したためにフランスを追われた諷刺作家モランドが、もっぱらユスリ、タカリでその日暮らしを送っていた。
モランドは、まず自分が主宰する『ヨーロッパ通信』という刊行物に獲物のスキャンダルを書きまくり、やおらユスリにかかるのが常套手段で、いわば現在のブラック・ジャーナリズムの元祖であった。
今世紀初頭のフランスに、堂々と『月刊モランド』と名乗ったタカリ専門誌が登場したぐらいだから、この業界の開祖としての資格は十分である。
富と名声に恵まれたカリオストロを獲物に選んだモランドは、例によってウソ八百を書き立てた。ところが選んだ相手が悪かった。カリオストロは公開状をしたためて、それをロンドンの市中に張り出したのだ。
『モランド君。
きみが作り上げた数々のホラ話の中で、もっとも私を感心させたのは、砒素(ひそ)を使って私が豚を太らせているという物語です。ところで物理や化学の世界では、推理やホラによって証明できるものは何一つ存在しません。
そこで私は砒素をたっぷりと塗った仔豚の丸焼きを一頭用意して、貴兄を昼食にご招待いたします。食事の結果は3つ、双方が死ぬか、双方生命に別状ないか、どちらか一方が死ぬかです。私はこの提案が冗談でない証拠に5000ギニーの賭け金を銀行に預けました。ささやかなこの招待に出欠のご返事をたまわりますように。
追伸 貴兄も文筆にて生計を立てている職業作家、この実験に参加するからにはご自分の書かれたものに責任と自信をお持ちだと存じます。そこで貴兄も賭け金の5000ギニーをお忘れなく』
これを見たモランドは、返事も出さずにスコットランドの田舎町へ逃げ出して、二度と立ち上がれなかった。
フィッツジェラルドが好きな作家の筆頭に挙げた
食の決闘噺に始まって、料理女を雇う場合の心得まで書き残したモンスレーの作品を、誰よりも愛し、理解したのは、ヘミングウェイ、フォークナー、スタインベックと並ぶ今世紀のアメリカが生んだ文豪、スコット・フィッツジェラルドである。彼はいつも好きな作家の筆頭にモンスレーの名をあげていた。
ちなみに、モンスレーのいう「料理女を雇う場合の心得」を紹介しておこう。
『唇は厚く、首は太く、肩はたくましく、両の乳房は破裂するほど盛りあがり、うしろから見たとき二匹の牛が並んで行進するかの如き臀部を有し、ぽってりと肉厚の手の指が愛らしくもよく動き、無口だが、時折発する声の見事に大きくて、目の小さな女』
これが、料理のうまい女性の理想像だというから恐れ入る。
試しに部分を集めてイメージを構築してみると、どこがどうとうまく説明できないが、
「なるほど! さすがッ」
と捻らせる観察の妙があるではないか。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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