浅田次郎の名エッセイ

“徹底した無信仰”の浅田次郎が、「新興宗教に入信するのはすでに幸福な人」と考える理由

バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時…

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。

この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第94回は、「信仰について」。

仏教、神道、キリスト教が混在する中で育った

私の徹底した無信仰については、神も仏もない半生を過ごしてきたせいもあるけれども、そもそも幼時体験に起因するらしい。

わが家の宗旨はとりあえず浄土真宗である。とりあえず、と言うのは、東本願寺に墓所があるので、私が何ら遺言もせずにくたばれば、たぶんその法に従って往生するであろう、というほどの意味である。

檀家となっている寺には昭和46年に祖父が亡くなって以来かれこれ四半世紀も行っていないので、道順も忘れた。東京郊外にある墓地には、5年に一ぺんぐらい草をむしりに行く。

母方は奥多摩の御嶽神社というえらく格式高い神社で、遥かな太古より宮司を務めている。で、嫁入りとともにこの神様もわが家に勧請されたらしく、生家には立派な神棚があった。

しかしわが家は絵に描いたような戦後成金であったので、ひたすらステータスを求めて兄と私を私立のミッション・スクールに入れた。

というわけで、少年時代の私は何だか良くわからん信仰生活を送るハメになったのである。躾けはやかましかった。祖父母の言うなりに、毎朝ナンマイダを唱えて線香を上げ、神棚に灯明を上げて柏手を打ち、登校すれば牧師の説教を聞いて讃美歌を唄った。

こうした幼時体験を持つ人間が長じててんで神仏を怖れぬことばかりするようになったのは、けだし当然のなりゆきと言えよう。

どれかひとつをマジメに祈ると他のバチが当たるんじゃないかと考え、さりとて全部にお願いをするのも無節操なので、形ばかり手を合わせてお茶を濁す。宗教観がこのようであるから、現実生活においても、とりわけ女性からは鬼畜生と罵られることになった。

どうやら宗旨不明であることは、旗幟(きし)不鮮明に通じるらしい。

こういう私にとって、あまたの新興宗教が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する今日の社会はまことに不可解である。宗教の興亡は何も今に始まったことではないが、学びざかり働きざかりのいい若い者があたかもサッカーのサポーターどものごとく教団を構成しているという現状は、どう考えても異常事態に見えるのである。

たとえば、現在世間を騒がせている某教団など、ニュース画面で見たところ信者はほとんど25歳未満に限るという感じである。

さる年、集団結婚式を挙行して人々を驚愕させた教団も、また若い。意味不明のシュプレヒコールを上げて出版社を攻撃したりする教団も若者ばかりである。

しばしば保険の勧誘のごとく門付けに現れ、駅頭にパンフレットを掲げて佇立(ちょりつ)する教団は、前者より多少とうはたっているが、それでも一家の主婦、もしくは亭主と覚しき若さである。

不可解である。信仰を通じて子供らに倫理観や情操を扶植する方法は正しいと思う。老人が信仰によって人生を完結する方法はもちろん正しい。しかし自らの汗によって家族を養い、かつ自らも生きねばならない青壮年がかくも宗教に没頭することが、私には全く理解できないのである。

しかし、不可解をそのまま捨ておくのは男の恥であるから、私はつらつら考えた。なぜ若者が信仰に走るのか。

第一に考えられることは、何だかんだ言ってみなさん幸福なのである。さして汗水流さなくとも、生活の保障と生命の安全が約束されているから、信仰に目が向くのである。

なぜこのようにミもフタもないことを言えるのかというと、私の場合、神仏に頼る余裕もないほどシリアスかつデンジャラスな青春であったので、あえてこう言い切るのである。

かいつまんで言うと、前述の平和な家庭は私が9歳の時に突然崩壊し、一家離散の憂き目を見た(この点についてもバチが当たったのだとは思わない)。で、浮草のごとき流転の末、15で自活を始めた。

やがて悪業三昧のあげくに自衛隊に逃げこみ(この点については三島由紀夫の死に啓発されて、とする説もあるがウソである)、改心したかと思いきや筋肉がついた分だけいっそう悪いやつになって社会復帰した。

以後今日に至るまでの悲惨な生活は何冊かの自伝的著書に詳しい(この点については、面白すぎるので全部ウソとする説もあるが、全部ホントである)。

つまり、私の場合、幼時から先日までのほぼ30年にわたって、かたときも生命の保障も生活の安定もなかった。その間、この世に神も仏もいないということはハッキリと確認している。

というわけで、私見としてはいかな事情があれ神仏に頼る若者は幸福だと断言するのである。

「我レカクアルベシ。照覧アレ」

もうひとつの理由としては、若者をオルグする新興宗教の教義の明快かつ短絡的であることが挙げられよう。

どれもおしなべて、そのテーゼとするところは、世界終末思想もしくは神秘主義である。古来こうした主義思想が宗教の核の一部を形成していることに異論はないが、宗教家の宗教家たる所以ゆえんは、世の終りを説き、秘蹟を顕わしながらもなお、信者たちに普遍の幸福を与えようと努力してきた点にある。

しかし、多くの新興宗教が信者にもたらすものは、奇矯な結婚であり、シュプレヒコールであり、集団生活である。それらの是非はあえて問うまい。が、少くともそうした信者の姿が、普遍の幸福から乖離(かいり)していることは紛れもない事実であろう。

あまねく人々に普遍の幸福を与えようとした釈迦やキリストの偉大さに、彼らはなぜ気付かぬのであろうか。

終末思想や神秘主義は明快である。何だか良くわからんが、哲学の入りこまぬ分、明快なのである。世の中の基本的な構造を知らぬ若者たちにとって、これはほとんど麻薬に等しい。すなわち面倒な教義を確立するよりずっと手っとり早いから、新興宗教はおしなべて世の末を語り、秘蹟を見せるのであろう。

そうしたものに興味を覚え、いとも簡単に入信する若者たちには、先に述べたもうひとつの事情がある。みなさんけっこう幸福なのである。

つまり、釈迦やキリストがあえて世の末を語り、秘蹟を顕わさねば救いようのなかった人々など、少くとも今の日本にはめったにおらず、実はみなすでに普遍の幸福を生れながらにして享受しているのである。

今や人類が数千年にわたって希求してきた普遍の幸福は、先進諸国においてはほぼ実現できたと言えるであろう。

宗教においてしか救うことのできなかった苦悩は、科学の手に委ねられたと言える。あとは社会と個人の余力を肉体的地域的ハンデキャッパーに向ければ、かつての偉大な宗教家が理想とした世の中は実現するであろう。

だから私は、新興宗教の存在そのものよりも、あえて新たな宗教を起こそうとするその動機を疑うのである。

彼らの教義を良くは知らない。しかし信徒のひとりひとりに約束された普遍の幸福を寄進させてまで、さらなる幸福を与える力が宗教にあろうとはどうしても思えない。

仮に既存の宗教には決してなしえなかったパワーがそれらの教祖様にはあり、祈り信ずればさらなる幸福が約束されるとしたなら──それは祈りさえすれば煩悩までも満たされるという悪魔の教えだ。

と、こういうわけで私は信仰心というものをてんで持たない。

ところが、ものすげえ自己矛盾なのであるが、神社仏閣に詣でることを好む。手を浄め口をすすぎ、ちゃんと分相応の賽銭も投げて古式ゆかしく参拝をする。興がのればガキの頃に習い覚えたノリトの一発もカマし、題目を唱え、垢抜けた十字も切る。

つまり、信仰心はてんでないのだが、根は嫌いじゃないのである。だがしかし、どんな時でも、ああしてくれこうしてくれと頼み事をしたことは一度もなかった。

ちょっとキザだが、いつも「我レカクアルベシ。照覧アレ」てなことを祈る。

ためしにやってみるとよい。これは、効く。

(初出/週刊現代1995年4月15日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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