浅田次郎の名エッセイ

27年前、浅田次郎が残虐な少年犯罪を考察し感じた“倫理というハードル”を教えられぬ「大人たち」の罪

倫理を欠いた社会が「恐るべき子供」を生み出す もうひとつの例がある。 さる写真週刊誌が、容疑者の顔写真を掲載し、世の非難を浴びた。 14歳の少年の顔写真をマスコミが入手するのは容易である。しかしそれを公開してしまうのは、…

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。

この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第96回は、「アンファン・テリブルについて」。

社会全体が置くべき少年へのハードル

「enfant terrible(アンファン・テリブル)」は、コクトーの小説の題名から出た言葉で、「恐るべき子供」の意である。

ていねいに説明するならば、早熟かつ非凡で突出的な行動をとり、社会に脅威を感じさせる子供、とでもいう意味であろう。

14歳のアンファン・テリブルが、小学生の児童を殺害し、頭部を切断して学校の校門に晒(さら)した。

今回は事件の猟奇的好奇心(もしくはテレビ的好奇心)から離れて、まじめに考えてみたいと思う。

本誌の読者の半数ぐらいは、容疑者と同年代の子供を持つであろうし、あるいはそうした子育ての経験があるであろうから、誌面を通じてたがいに考えることには意味があると思う。ちなみに私もそれに近い子供の父親である。

容疑者逮捕の報に接したとき、読者の多くは同じことを考えたと思うが、私もまず「14歳のころのわが子」について考え、次いで「14歳のころの自分」について考えた。

そしてたぶん、誰しもおのれの子供に関しては何ら脅威を感じなかったが、「14歳のころの自分」の記憶には、多少なりとも思い当たるふしがあったのではなかろうか。

つまり、それだけこの時期の少年の内面心理は複雑で、表出しにくいのである。父母にも教師にも、「ふつうの子」には見えるのだが、実はひとり残らずアンファン・テリブルであるとも言える。

もちろん私も「ふつうの子」であった。ほどなく異常な男になったが、とりあえず14歳の私は、誰が見ても「ふつうの子」であった。

しかしどういうわけか、残虐なものや破壊的行為にあこがれた。昆虫の標本を作るときに、科学的興味とはほど遠い一種の快感を覚えたり、小動物を虐待したり、残酷な記録写真を好んで見たりした。

こうした暗い興味は、たぶんこの年齢の少年たちの共通した心理なのであろう。

だとすると、事件の容疑者はあながち異常者というわけではなく、欲望と現実との間のハードルをわずかに越えてしまっただけなのではなかろうか、という気がしてならない。

つまり私たちは、この思春期のハードルをたまたま飛び越えなかったから、今もこうして原稿を書き、また通勤電車の中や午(ひる)休みの喫茶店や、晩酌の後の無聊(ぶりょう)にまかせて、「週刊現代」を読んでいるのである。

ハードルとは言うまでもなく「倫理」である。人として守らねばならぬ掟のことである。

そしてこのハードルは、少年が自ら置くものではなく、社会が置く。無知な少年の目にもはっきりと見えるように、親が、教師が、家族が、そして彼を取り巻く社会環境全体が用意するのである。

もちろん、少年の犯罪が親のせいだなどと言うつもりはない。子供に正しい倫理観を供与しつつ、しかもできうる限り自由に育てることの難しさは私もよく知っている。少くとも親のせいばかりではない。教育の場についてもそれは同様であろう。少年を取り巻く環境のすべてが、今やハードルを作る努力を怠っているのである。

たいへんわかりやすい実例が、はからずも容疑者逮捕のニュース画面に映し出された。

所轄警察署の玄関前で、記者が第一報をカメラに向かって読み上げた場面を思い起こしていただきたい。そのシーンは多くの人々がご覧になっているはずである。

「容疑者は被害者とは顔見知りの14歳の少年でした」

という、ショッキングなレポートをする記者の背後に、Vサインを出しながらはしゃぎ回る何人もの少年が映し出されていた。容疑者と同世代の子供らであった。

彼らが、いったいそこで何が行われているかを知らぬはずはない。自分と同世代の少年が小学生を殺害し、死体を損壊し、首を中学校の校門に晒した。事件は彼らなりに衝撃であったと思う。ましてや地元のことであるから、学校でも家庭でも話題はその噂でもちきりだったであろう。

要するに記者の背後ではしゃぎ回る子供らは、倫理観に欠けているのである。「こういうときにはしゃいではならない」というハードルが見えていないのである。

しかし、倫理のハードルは少年が自ら置くものではない。社会がそこに置く。

カメラの周囲には多くの通行人や野次馬がいたはずであり、オン・エア中であるのだからテレビ局のスタッフもいたはずであり、警察署の前なのだから警官もいたはずではないか。

つまりあの画面を見る限り、そうした周辺の大人たちは、誰もとっさにハードルを置こうとはしなかった。とがめようとしなかったのである。

「周辺の大人たち」というのは、少年たちを取りまく社会環境のことである。

「こういうときにはしゃいではならない」という倫理観を持たぬ子供らは、「テレビに映ることの快楽」またはそのことへの欲望のために、はしゃいではならない場面ではしゃいだ。

おそらくあの少年たちは、誰もハードルを置いてくれないという最悪の環境の中で、大人になって行くのであろう。もちろん大人になった彼らが、次世代の子供らに倫理を語ることはできない。

倫理を欠いた社会が「恐るべき子供」を生み出す

もうひとつの例がある。

さる写真週刊誌が、容疑者の顔写真を掲載し、世の非難を浴びた。

14歳の少年の顔写真をマスコミが入手するのは容易である。しかしそれを公開してしまうのは、明らかに倫理に欠ける。

よりセンセーショナルな記事や写真を求めるのは、出版社も読者も同じであるが、だからといってそれをあからさまに公開してしまうのは、売る方も買う方も倫理のハードルを持たないからであろう。

私はその出版社とは仕事上のつながりがある。知人も多いし、当該写真週刊誌とも何度か仕事をし、いくばくかの収入を得ている。だが、私も一方に週刊誌のコラムを持つ以上、これに目をつむることはできない。「周辺の大人たち」のひとりにはちがいないのである。

例はさらに続く。

写真週刊誌がコンビニやキヨスクの店頭から消えたあと(売り切れてしまったのか、引っこめたのかはわからないが、ともかく一瞬のうちに消えたそうだ)、その顔写真のページをコピーして売るふとどき者が何人も出現したという。

にわかには信じ難いが、新宿駅頭では一枚500円の値段で飛ぶように売れていたと、ニュースで報じていた。

はっきり言って、500円は大金である。私はついこの間まで、この500円惜しさのために昼メシを抜いていたし、500円の金がないために銭湯にも行けず、洗面所で体を拭いていた。したがってごく個人的な理由かも知れぬが、500円という不当な金額には猛烈な怒りを感じた。

もちろん金額が正当か不当かという話ではない。500円という金の有難味を知っているはずの大の大人が、何の倫理観もなくコピーを売り、我さきに買ったことに憤りを覚えたのである。

こういうバカな大人たちは、たまたま14歳のときに人を殺さなかっただけだと思う。人を殺すことの是非とか、死体を切り刻み、頭部を中学校の校門に晒すことの倫理的な是非などは、大人になった今でもまったくわかっていないのではなかろうか。

私見ではあるが、容疑者の少年は哀れであると思う。私が子供のころは、悪い時代を体験し、痛みや苦しみをわかっている説教おやじが周囲に大勢いた。見知らぬ人に叱りとばされた経験はいくどもある。そう思うと、おそらく勾留された今でも、おのれのなしたことの怖ろしさに正確には気付いていないであろう十四歳の少年が、哀れに思えてならない。

彼は読書家であったそうだ。だが、彼が読書を通じて現実を夢想するようになったという一部の報道は、ひどい詭弁(きべん)である。

書物は決して、人を犯罪者にはしない。倫理を欠いた社会が、彼をアンファン・テリブルにしたのである。

(初出/週刊現代1997年7月19日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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