おとなの週末的クルマ考

ジェミニの名前を知らなくても『街の遊撃手』といえば衝撃的なCMを思い出すいすゞFFジェミニ

2代目のFFジェミニのアクロバティックなCMは一世を風靡。そのインパクトは今でも焦ることはありません。ただCMだけでなくクルマとしての評価も高かったこともヒットした要因として見逃せません。

今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた199…

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第5回目に取り上げるのはいすゞの名車、ジェミニ。世界のジェミニと大々的にアピールした初代も凄いクルマだが、鮮烈なCMでお茶の間の話題をさらった2代目のFFジェミニにスポットを当てる。

GM傘下入りで誕生した初代ジェミニ

1960年代にはトヨタ、日産とともに日本の自動車メーカー御三家と呼ばれたいすゞ自動車(以下いすゞ)は、1971年に当時世界最大の自動車メーカーのアメリカのビッグ3、ゼネラルモータース(以下GM)と資本提携。GMがいすゞの株を34.2%取得したことで、いすゞはGM傘下メーカーとなったのだ。

当時のいすゞのラインナップを見ると、1960年代からいすゞの屋台骨を支えたベレットは設計の古さが目立ってきていたし、セダンのフローリアン、高級パーソナルクーペの117クーペは数の出るクルマではなかった。いすゞに必要なのは数が見込める中・小型車という判断から生まれたのが初代ジェミニで、GM傘下入りして4年後の1975年に登場。

いすゞの名車ベレットの後継モデルとして登場したジェミニ。このクルマの登場により、いすゞの乗用車販売台数は飛躍的にアップ

初代ジェミニはいすゞのオリジナルではなく、GMのワールドカー構想の『T-Car』によって同じGM傘下のオペルと共同開発したモデルで、オペルカデットがベースとなっている。デザインはカデットほぼそのままに、日本に適合させるために定評のあったいすゞ製エンジンほかいすゞの独自技術が盛り込まれた。

初代ジェミニは4ドアセダンと2ドアクーペをラインナップして日本でもヒット。いすゞでは名車ベレットの後継車ということをアピールするために、デビュー時は『ベレットジェミニ』の車名で、約1年でベレットを取ってジェミニに変更した。

こちらが初代ジェミニのベースとなったオペルカデットで1973にデビューして1979年まで販売された

初代ジェミニで思い出すのは私が小学生の頃の話。友人の岡本君のお父さんが新車で初代ジェミニを買って、「このクルマは西ドイツのオペルのクルマと同じなんだよ」と自慢していたこと。私は初めて耳にしたオペルなんてどうでもよくて、西ドイツというだけで、「おかもっちゃん家って金持ちなんだ」と、勝手に思い込んでいた。

子どもの頃の初代ジェミニに対する思い出なんてこの程度で、当時最先端のディーゼルを搭載していたり、ラリーで活躍したZZ-Rだったり、このクルマの本当の魅力、価値がわかったのは大人になってからだ。

2代目ジェミニは完全いすゞオリジナル

初代ジェミニのヒットにより、新たに小型車マーケットで存在感を示すようになったいすゞは、1985年にジェミニをフルモデルチェンジして刷新。駆動方式は初代のFR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)にチェンジ。初代のベースとなったオペルカデットは、1979年にFF化されていたが、これとは別物のいすゞオリジナルという点が特筆点だ。

初代ジェミニが4ドアセダンと2ドアクーペの設定だったのに対し、2代目は4ドアセダンと3ドアハッチバックに変更された。エンジンは1.5Lガソリンのみでデビューしたが、すぐに1.5Lディーゼルを追加。

FFジェミニの4ドアセダンモデル。セダンとしてはウェストラインが高くトランク部分が短いショートデッキスタイルでスポーティ

FFジェミニのデザインはイタリアの巨匠、ジウジアーロが手がけたと言われているが、いすゞとしてはいっさい公表していない。そこには大人の事情があったのだろうが、ジウジアーロサイドが公表した。このジェミニのデザインは、同じジウジアーロがデザインした117クーペやピアッツァのような華やかさやエレガントさといったものはないが、ライバルとなるカローラ、サニーとは一線を画すオシャレな感じがしたものだ。あと、イメージカラーのセイシェルブルーもとてもきれいな色で似合っていたし、ペパーミントグリーンやショッキングピンクといったこれまでの日本車にないボディカラーも斬新で、オヤジグルマじゃない感をアピールするに充分。

当時は3ドアハッチバックの人気が高かったため、FFジェミニもハッチバックがメイン。これがイメージカラーのセイシェルブルー

通常フルモデルチェンジすると従来モデルは販売終了となるが、ジェミニは2代目登場後も初代モデルを継続販売。登場時はFRの初代と差別化するためにFFジェミニを呼ばれていた。改めていすゞ広報部に確認したところ、正式車名はジェミニで、FFジェミニは愛称であるとのこと。なので初代が生産終了となった1987年以降はFFが取れて、ただのジェミニとなった。

デビュー時は魅力的には映らなかった!?

FFジェミニが登場した1985年は、日航機ジャンボ機墜落事故があった年と記憶している人も多いだろう。そのほか松田聖子が郷ひろみと破局&その直後に神田正輝と電撃婚するなどビックリさせられたが、殺人事件がテレビで生中継された豊田商事会長刺殺事件は衝撃以外何物でもなかった。

1985年の私といえば、1984年に大学受験に失敗し大学浪人中。けっこう悠々自適な浪人ライフを謳歌していた。高卒の地元の友達はほぼ全員、大学に進んだヤツも続々と運転免許を取得していたが、運転免許は大学に入ってからと決めていた私は、助手席、リアシート要員としていろいろなところにドライブに行った。自分で運転したわけじゃないけど、夜中でも行きたいところに行ける、誰にも邪魔されず好きなところに行ける、というこの時期の経験がクルマ好きをエスカレートさせることになったのは間違いないと思う。

よく言えば奇をてらわずオーソドックスな室内デザインだが、エクステリアに比べると武骨で古典的な感じ

友人たちとのドライブによって街中で見るいろいろなクルマのことが気になりだした。だからFFジェミニがデビューしたのもクルマ雑誌を読んで知っていたが、新型が登場したのね、という程度。

ただ、奇抜なボディカラーによって街中では目立っていたこともあり、友達のクルマでドライブがてら、FFジェミニを見るためにいすゞディーラーに行ったこともある。正確な店舗名は忘れたが、確か山口県の2号線沿いの店だったと思う。展示されていたのは赤のハッチバックで、それをひととおり見て、カタログをもらって帰った(その後は自宅に放置)。私にとっていすゞディーラーに行ったのはこれが最初で最後の経験だ。

1.5Lのインタークーラー付きターボエンジンは後から追加になるが、デビュー時に登場していればもっと若者が飛びついたハズ

日本のクルマ史に残る斬新なTV CM

 FFジェミニは田舎の10代少年を熱狂させるようなクルマではなかったが、それはある時を機に状況が一変。TVのコマーシャル映像だ。FFジェミニのキャッチコピーは『街の遊撃手。』(途中から句点がなくなった!!)、これはあまりにも有名だ。

 FFジェミニといえば、TV CM。間違っていればご指摘いただきたいが、有名なアクロバット走行シリーズが放送されたのは、デビューしてからちょっと後からで(1986年からか?)、デビューした直後は、外国の街並みを走るイメージ映像のごく普通のCMが流されていたと記憶している。

デビュー当初はオシャレなイメージを強調していたFFジェミニ

映画『007シリーズ』のカースタントチームを抜擢して撮影されたアクロバットCMは2台並んでのダンス走行や4台並走では車両をリンクで接続していたというものの、それ以外はすべてカラクリなしだったという。今なら合成したり、精緻なCGで作ることは可能だが、FFジェミニのCMはCGを一切使用せず実写だった。原稿を書くに当たり、もう一度見直してみたが、今見てもそのテクニックと発想には驚かされる。YouTubeで「ジェミニ CM」で検索すれば視聴可能。ホントにいい時代だ。

クルマ雑誌の『ベストカー』などでもFFジェミニのCMの検証&再現企画を展開していたのをはじめ、TV番組などでもその凄さがたびたび取り上げられていた。当然のように、クルマの好き嫌い関係なくジェミニが話題になった。予備校仲間、クルマ仲間でもクルマそのものよりも、CMの話で盛り上がったのを覚えている。

一連のシリーズはテストコース(空港?)で2台がダンス走行をした後にエッフェル塔をバックにツインジャンプ、というのが第一弾だったと思う。その後もイケイケのやりたい放題で、10×2列の隊列走行、10台程度のアクロバット走行、川を2台で大ジャンプ、2台で噴水ジャンプ、2台で階段降り、2台で街中を片輪走行、2台で遊園地のメリーゴーランドの隙間を走行し、ジェットコースターのコースを横切り大ジャンプなどなど、視聴者の斜め上を行く発想で見る者を飽きさせなかった。全14作作られたというが、そのすべてが映像作品と呼ぶにふさわしい出来だった。

個人的に一番圧巻だったのは、パリの街中を走行後、地下鉄の階段を下りてホームを走行するというもの。一連のシリーズはクローズドエリアを除きパリで撮影されたという。撮影許可が下りたのがパリだけだったというのが理由のようだが、パリ市には感謝しかない。話題になったクルマのCMはいっぱいあるが、一般ユーザーをここまで心ワクワクさせてくれたものはないんじゃないだろうか。

若い世代にはその凄さ、同時のインパクトがわかりにくいかもしれないが、ネット動画に換算すれば数十億再生って感じのバズり方かな。

パリで撮影されたCMの影響もあるが、FFジェミニは外国の風景とよく似合う

【2代目ジェミニ3ドアハッチバックC/C主要諸元】
全長4035×全幅1615×全高1380mm
ホイールベース:2400mm
車重:850kg
エンジン:1471cc、直列4気筒DOHCターボ
最高出力:86ps/5800rpm
最大トルク:12.5kgm/3600rpm
価格:109万8000円(5MT)

【豆知識】
FFジェミニはTV CMばかりが話題になりがちだが、デザイン、ガソリンエンジンと遜色のない性能を誇ったディーゼル、自然なフィーリングのFFのハンドリングなど評価が高かった。斬新なトランスミッションのNAVi5を搭載していたのもトピック。そしてスポーツモデルの存在も見逃せない。オペルのチューナーとして有名だったイルムシャー、同じGM傘下という関係で設定したZZハンドリング・バイ・ロータスなど若者からマニアまでを唸らせるモデルを設定して個性を放っていた。

1986年に1.5Lのインタークーラー付きターボを搭載したスポーツモデルのイルムシャーを追加。リアスポイラー、エアロホイールがカッコいい

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/ISUZU、ベストカー

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