浅田次郎の名エッセイ

過労の末、地下鉄の車内で失神し救急搬送! 浅田次郎が陥った「霍乱」の顛末

「鬼門」の赤坂で意識を失う いろいろと思い当たるフシがある。まず第一に、私は決してぞんざいな身なりで外出はしないのであるが、その日に限ってひどくオックウな気がし、ヒゲも剃らず、セーターの上にダウン・コートを羽織って出掛け…

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第119回は、「ふたたび霍乱について」。

作家が最も忙しい年末、一睡もせぬまま外出

「ふたたび霍乱について」というからには、「霍乱について」という稿もあったわけである。

昨年の1月末か2月初めの本誌であったと思うが、まさか「週刊現代」のバックナンバーを1年間揃えている奇特な読者はおられまいから、お読みになりたい向きは『勇気凜凜ルリの色(2)四十肩と恋愛』(講談社刊)を参照されたい。

要するに、ふたたび霍乱をし、救急車に乗っちまったのである。

年内の執筆予定をクリアーした直後の出来事であった。今から思うに、長距離走のラスト・スパートの後、ゴールに倒れこんだ感じがする。

「霍乱について」の項によれば、昨年の年頭に救急車に乗ったのは1月14日の深夜である。「ふたたび」が12月26日の午後であったから、ほぼ「仕事始め」と「仕事おさめ」にかような始末となった。考えようによっては、何とすばらしい1年であったことか。

やや自虐的な快感に酔いしれつつ、当日の模様を思い起こしてみる。オーバーワークの同世代読者にはけっこうためになるのではなかろうかと思う。

作家は年末が忙しい。その点はふつうの商店と同じなのである。なぜそうなるかというと、雑誌や新聞は「年末進行」に突入し、月刊小説誌は新年号にとりわけ力を入れ、そのうえ年明けに刊行される単行本の仕込みが、ドッと持ちこまれる。おまけにインタヴューとかサイン会とか対談とか講演とかいう類いの「外仕事」が重なって、ソラ怖ろしい日程となる。

私の場合、いわゆる「出たがり」のうえに営業畑が長かったので、ついついこうした書斎の外の仕事も引き受けてしまう。

まずいことには、初旬に中国旅行というイベントがあった。クリスマスも15日ごろから始まって、25日まで連夜のように続いた。その間隙(かんげき)を縫って原稿を書き、ゲラ校正をし、だいたい先が読めたので12月25日の晩、拙宅にて仕上げのクリスマス・パーティをやってしまった。

翌日の午前中までに新聞連載の原稿を入れれば、1年の仕事は終わる。で、朝の4時すぎまで、しぼり出す感じの馬鹿騒ぎをしてしまったのである。

明け方から机に向かった。2、3時間もあれば書き上がると思っていたのであるが、ちょうど私の最も不得手とするシーンにブチ当たっていた。どういうシーンかというとつまり、別れた男と女が15年ぶりに再会し、焼けボックイに火がつく感じでホテルにチェック・インし、しかも火がつきそうでつかず、とまどいながらうろたえながら、結局は裸のまま眠ってしまうという……おお、今考えただけでも汗が出る。

というわけで、一睡もせぬまま翌日の昼すぎにようやく脱稿し、ファックスを送ってから、さあ寝るぞォ、と快哉を叫んだところ、真黒に埋まったカレンダーの最後に忘れもののような一行を発見した。

PM3:00、T書店訪問。

そう、某社の編集者と画廊に絵を見に行く、という約束を交わしていたのであった。

家の者の証言によると、そのときの私はすでに半分死んでいるような状態であり、とうてい外出には耐えられない様子であったそうだ。だったら止めてくれりゃよさそうなものだが、私はどうせ言ってもきかぬので、ま、死にゃ死んだでいいかという気持ちで送り出したのであろう。

私は嘘をつくが約束は守る。その点、銀行と出版社には妙な信用がある。女からは鬼と呼ばれ、男からは仏と言われる。つまりそうしたアイデンティティーを賭けて、とにもかくにも家を出たのであった。

「鬼門」の赤坂で意識を失う

いろいろと思い当たるフシがある。まず第一に、私は決してぞんざいな身なりで外出はしないのであるが、その日に限ってひどくオックウな気がし、ヒゲも剃らず、セーターの上にダウン・コートを羽織って出掛けた。

それに、家から駅まで歩き、電車に乗った経緯がよく思い出せない。ナゼか大金を持っていた。その理由はまったくわからない。駅前の銀行で金をおろした覚えはあるので、たぶん自動支払機のボタンを押しまちがえ、思考停止のままその大金をポケットにねじこんでいたらしい。

電車に乗ったとたん、前後不覚に眠ってしまった。新宿駅で乗客に肩を叩かれて目覚めた。地下広場を横切るとき、タクシーを使おうかと思い、いや年末で道路も混むから地下鉄の方がいいか、と考えた。

丸ノ内線に乗ったとき、ああ座れない、と思った。私は日ごろ、立っていることや歩き回ることにまったく苦痛を感じない。だがそのときに限って、座席がないことにひどく絶望した。それくらい疲れきっていたのであろう。

突然はげしい吐気に襲われたのは、地下鉄が四ッ谷駅を出たあたりであった。

本稿でも既述したが、私はしばしば乗り物酔いをし、食あたりもやたらとする。だがそのときの気持ちの悪さは異質のものであった。正直のところ、「いかん、切れた」と思った。

そのあたりで、記憶が途切れる。気が付くと、車内に仰向けに倒れて天井を見ていた。いったい何が起こったのか、自分が誰で、なぜそんな場所に寝転んでいるのかわからず、懸命に考えた。

救急隊員がやってくるまでそうしていたのだから、少くとも10分や15分は地下鉄を止めてしまったのであろう。

「頭を打ってる。動いちゃだめだ」という男の声が聴こえた。その人は救急隊員がくるまで、ずっと私の頭を動かさぬように両手で支えていてくれた。

ふしぎなことに意識が戻ったとたんから吐気は去っており、むしろ気持ちがよかった。ちょうど寝覚めの床のような気分で、体じゅうから力が脱けており、動きたくなかった。

担架の上でようやく放送が耳に入り、そこが赤坂見附の駅であるとわかった。赤坂は私にとっていわく因縁の多い場所である。その昔、しばしばお世話になったのが赤坂警察で、ちょくちょく監禁されたのも赤坂の事務所で、いまだに出版社の手で毎月ラチされるのも赤坂のホテルなのである。いわゆる「鬼門」であった。

携帯電話を取り出して、どこかに連絡をとろうとした。それがどこであるかはわからない。もういちど意識を失ったらそれきり不帰の客となるかも知れんと思い、さいならを言おうとしたらしい。ボタンが押せずにおろおろしていると、救急隊員に叱られた。さて誰にさいならを言おうとしたのか、正気に立ち返った今では謎であるが、この点は興味がある。

やがて赤坂病院の処置室に担ぎこまれた。若く美しい女医に脈をとられたとたん、恋に陥(お)ちた。まこと私のタイプであった。どさくさまぎれに手を握り返し、ついでに白衣の腕にすがった。

とりあえず頭部のレントゲンとCTスキャンを撮った。幸い骨に異常はなく、内出血もなかった。ただし緊急の検査であるから、改めて精密検査を受け、原因を調べるように、と言われた。

ということはつまり、突然の失神は原因不明なのである。過労にはちがいないが、そういう原因で気を失うということはないから、何か重大な疾患(しっかん)のサインかも知れぬと、美しい女医は怖いことを言った。

処置室に戻ると、早くも編集者たちが大勢集まっていた。有難いことである。有難いことであるが、枕元にゲラの束を置いて行ったやつがいた。

点滴を受け、真夜中に帰宅したところ、ファックスの山であった。文面はどれも同じで、「少し仕事をへらして、御自愛なさって下さい。ところで年明け締切りの原稿ですが―—」というようなものであった。何だか背中をさすられながらキンタマを蹴り上げられているような気がした。何とやさしい人々であろうか。

ところで、やさしい人といえば、地下鉄の中で「動いちゃだめだ」と言いながら、ずっと私の頭を支えてくれていた方は、どこのどなたなのであろう。

大きな手の温もりを思い出すと、涙が出る。

(初出/週刊現代1997年1月11日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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