皇室のヒミツ、皇族の素顔

昭和天皇が気に入られた名車 初の国産御料車「ニッサン・プリンスロイヤル」誕生の背景とは

初の国産御料車「ニッサン・プリンスロイヤル」=2005(平成17)年9月25日、皇居外苑(東京都千代田区皇居外苑)

歴代天皇の自動車利用は、1913(大正2)年の大正天皇にはじまり、以来、多くの外国車が使われてきた。ようやく1965(昭和40)年代に入ると、「御料自動車は国産車で」という機運が高まった。このことを希望されたのは、昭和天皇であったとされる。そうした経緯から、1967(昭和42)年以降に導入した御料自動車は、国産車が主流となり、国内の自動車会社がその製造にあたっている。それでは、現代における皇室の自動車史をひも解くことにしよう。

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歴代天皇の自動車利用は、1913(大正2)年の大正天皇にはじまり、以来、多くの外国車が使われてきた。ようやく1965(昭和40)年代に入ると、「御料自動車は国産車で」という機運が高まった。このことを希望されたのは、昭和天皇であったとされる。そうした経緯から、1967(昭和42)年以降に導入した御料自動車は、国産車が主流となり、国内の自動車会社がその製造にあたっている。それでは、現代における皇室の自動車史をひも解くことにしよう。

※トップ画像は、初の国産御料車「ニッサン・プリンスロイヤル」=2005(平成17)年9月25日、皇居外苑(東京都千代田区皇居外苑)

戦後、“アメ車”の使用も

先の大戦が終結したころの御料自動車(以下、御料車と記す)は、ドイツ・ダイムラーベンツ社が製造した「メルセデスベンツ・グロッサー770(通称:赤ベンツ)」を使用していた。昭和天皇がみずからの発案によって行った全国ご巡幸では、”ランドーレット(オープンカー)”に改造した赤ベンツ御料車2台と、アメリカ製の「パッカード特別車」(オープンカー)が、頻繁に使用された。

1951(昭和26)年には、さらにアメリカ・ゼネラルモータース社製の「キャデラック・セブンティファイブ(1950年式)」が宮内庁へ納車された。この導入には諸説あり、その一説では「アメリカ側が昭和天皇に贈ったもの」といわれている。当初は、特別車という扱いであったが、1958(昭和33)年からは“正式な御料車”として使用され、1970(昭和45年)まで活躍した。

アメリカ製「パッカード特別車」。年式は1937(昭和12)年であるが、皇室が導入した正確な時期はわかっていない。戦後、GHQが持ち込んだとする説もある=写真提供/宮内庁
1951(昭和26)年に宮内庁が導入したアメリカ・ゼネラルモータース社製「キャデラック・セブンティファイブ」=写真提供/宮内庁

イギリス車の返り咲き

明治、大正以降の皇室史のなかで、イギリス王室との関係には紆余曲折があった。先の大戦中、同盟関係が失われていた時期には、非友好的な関係からイギリス車は御料車の座から降ろされた。しかし、戦後になると同国とは再び良好な関係を築き、宮内庁は1957(昭和32)年にイギリス車「ロールスロイス・シルバーレイス」を導入した。その後も、1961(昭和36)年と1963(昭和38)年に、「ロールスロイス・ファントムⅤ」を計2台導入した。

これらのイギリス車は、のちの国産御料車の“手本”となるクルマになった。

1957(昭和32)年に導入した「ロールスロイス・シルバーレイス」=写真提供/宮内庁
1961(昭和36)年に導入した「ロールスロイス・ファントムⅤ」。1963(昭和38)年に導入した同型車とは、外観のデザインが異なる=写真提供/宮内庁

御料車は国産で

1965(昭和40)年9月、昭和天皇は「御料車を国産化できないか」というご意向を示された。これを受けた宮内庁は、自動車工業会へ“御料車の製作”を打診した。依頼を受けた自動車工業会は、上皇陛下が皇太子殿下であった当時、皇室に自動車を献上した実績もあるプリンス自動車工業(現在の日産自動車)が、製作を担うことになった。

開発は、昭和天皇のお気持ちに沿うべく、「外観は親しみやすく、内・外装は華美を避け、できるだけ簡素に」をコンセプトに、「安全で確実に走行できるクルマ」を目指すことになった。1966(昭和41)年7月には、試作車が完成し、車名は会社名のプリンスを冠し「プリンスロイヤル」とした。その年の10月に開催された「第13回東京モーターショ―」にも出品、展示され、当時は皇太子殿下であった上皇陛下も会場を訪れ、ご覧になられた。

宮内庁へは、1967年(昭和42)年2月に第1号車が納車されたが、この時点でプリンス自動車工業は、日産自動車と企業合併していたため、車名は「ニッサン・プリンスロイヤル」として納車された。

比叡山延暦寺に到着した昭和天皇と香淳皇后。御料車は「ニッサン・プリンスロイヤル」=1975(昭和50)年5月26日、滋賀県大津市、写真提供/日本地方新聞協会

納車第1号は昭和47年

1967(昭和42)年の第1号車の納車以降、1972(昭和47)年までの間に、宮内庁へ納車した台数は5台で、そのほかに外務省へ貴客用車として2台が納車された。当時の納入価格は、製作年次や仕様にもよるが、1000万円から2280万円だった。昭和天皇は“プリンスロイヤル”を大変お気に召したといわれ、国内各地へのお出ましでは常に使用していた。最後のご乗車となったのは、1988年(昭和63)年9月8日の那須御用邸からのお帰りの時だった。

御料車「ニッサン・プリンスロイヤル」から降り立たれる香淳皇后(当時は皇后陛下)=1981(昭和56)年6月5日、国鉄前橋駅(群馬県前橋市)、写真提供/日本地方新聞協会

時代は平成に

時代は平成となり、”プリンスロイヤル”御料車も継承された。しかし、豪華な“リムジンタイプ”ということもあり、特別扱いを好まれないといわれた上皇陛下(当時は天皇陛下)のお考えにより、地方訪問で使われることはなくなった。昭和天皇がこよなく愛した御料車は、都内近郊で行われる国家行事や国賓接待という用途に限定された。

2004(平成16)年になると、老朽化を理由に製造元の日産自動車から“段階的に使用を中止”することが求められ、次世代の国産御料車「トヨタ・センチュリーロイヤル」へとバトンが渡された。”プリンスロイヤル”御料車は、誕生以来、現役を退く2008(平成20)年までの41年もの間、御料車の座に君臨し続け、その地位を確固たるものとした。

「ニッサン・プリンスロイヤル」御料車の後部座席。シート生地はウールで、小型のシートは侍従などが座るジャンプシートと呼ばれるもの=写真提供/宮内庁

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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