「問い合わせ」に答え続ける生活を送ってきた。多い日なら100の単位で問い合わせがお客さんから寄せられるから、私はSNS上でひとつひとつ律儀に返答をする。問い合わせを受け、内容を理解し、そこに込められた感情を汲み、場合によ…
画像ギャラリー「問い合わせ」に答え続ける生活を送ってきた。多い日なら100の単位で問い合わせがお客さんから寄せられるから、私はSNS上でひとつひとつ律儀に返答をする。問い合わせを受け、内容を理解し、そこに込められた感情を汲み、場合によっては相手のプロフィール欄や直近の投稿をいくつか目を通して、適切な返答となるテキストを打つ。購入を要する場合や専門的なやりとりが必要な場合は、その窓口となるどこかのURLも貼る。一件の問い合わせに対して、私が行う一連のアクションはたいていこれである。
■だれかの強めの感情を浴び続ければ、その人の感情が影響されないわけがない
それが仕事だからとはいえ、それを長らく続けてきたから、いまや私は息をするように、お客さんの問い合わせに回答する。息をするようにと言ってしまうと、まるで感情も意識もゼロの、ロボット的な事務作業に思われるかもしれないが、実態はすこしちがう。寄せられた問い合わせに怒りが含まれていれば、その怒気に心はキュッと萎縮するし、喜びがこめられた文面を見ると、私もほんのりうれしくなる。
もちろんどちらの事象にも、私に直接の関わりはない。「おたくの社用車の運転、荒すぎでは?」とお叱りが来ても、私が運転していたわけではないし、「親に贈って喜ばれました」とお褒めをいただいた商品も、私は企画や製造に従事したわけではない。お客さんの問い合わせは、私のせいでもないし、私のおかげでもない。だけどやっぱり、いくぶんかは私のこととして、生身に受信してしまう自分がいる。
この感覚はたぶん、コールセンターで働く人に近いのでは、と勝手に思っている。さいきんはコールセンターでコールを受ける人が別の会社から派遣された人であることも当たり前になったけれど、電話越しあるいはメール越しの剥き出しの感情を、まず生身の状態で受ける役割であることにちがいはない。
いくら他所の会社の出来事が原因とはいえ、だれかの強めの感情を浴び続ければ、その人の感情が影響されないわけがない。そもそも人間の感情は、感情に反応するようにできているのだ。もしその感情が悪意や嫌悪に基づいていたなら、それを一身に浴びた人が後にどうなるかを、私たちはSNSで炎上という状態に陥ったタレントさんらを通じて、痛いほど知ってきたはずだろう。
ただし私の場合、コールセンターの人たちとは決定的に異なる部分もある。お客さんから寄せられる声は、クレームだけではないのだ。なにか世間の感情を害する行為を企業がした場合、あるいは私がだれかの感情を害する不適切だとされる発言をした場合、クレームが押し寄せることはある。しかし、毎日ではない。ふだんはきわめて牧歌的に問い合わせが寄せられ、そのほとんどは「あんたのところの家電を買ったよ」か「けっきょくのところどれを買えばいいの?」なのだ。
■押し寄せたのはクレームではなかった
そうとう古い話になってしまうが、会社のアカウントを開設した当時、私は周囲からずいぶん心配された。その心配はSNSなんて場所に企業のアカウントを設ければ、顧客からのクレームが無数に押し寄せるのではないか、というものだった。電話をかけるように文字で怒りがぶつけられ、そうなればとうてい私ひとりなんかでは対処できないのではないかと懸念されたのである。当時の私も、それを不安に思っていた。そうなったら早々と白旗をあげようと決めていた。
しかしいざはじまると、押し寄せたのはクレームではなかった。押し寄せたのは報告と相談だったのだ。怒りが寄せられるのはごくまれで、予想に反して次々と寄せられたのは、ようやく今年の冬は空気清浄機を買っただとか、ひとり暮らしをはじめるにあたり冷蔵庫はどれがいいのかといった、きわめてパーソナルな、そして親密な、お客さんからの「問い合わせ」だった。
だから以降の私は、来る日も来る日も「ご購入ありがとうございました」と、「こちらの機種などいかがですか」と製品サイトのURLを貼り続けてきた。その数はこれまでの発信数18万回あまりのうち、相当な割合を占めると思う。よくそんな手間ひまをかけられますねと感心されるが、私にとってのそれは、労力や効率とはすこし意味合いが違うのだ。
どちらかというと、その予想外は私のモチベーションだった。お客さんは怒れる存在ではない。そんな当たり前の事実は私に、マーケティングの希望や、商売を実感する喜びといった感情をもたらしたのである。振り返ってみても、あの感情がなければ長らく仕事を続けることはできなかったと思う。
そしてもうひとつ。お客さんは相談したいのだと知れたことも、大いなる発見だった。そこに窓口があれば、たとえ企業であっても、しかも我田引水な誘導をするとわかっていても、お客さんは「それってどんな感じ?」と問い合わせる親密さを持ってもらえるのだ。その事実は、どこまでいっても広告としてしかふるまえない私をとても勇気づけた。
ちなみに買い物相談の問い合わせを受け続けていると、泣きながら笑うみたいなアンビバレントな感情に陥る時がある。自分の会社が扱っていない家電を「ある」と思い込んで相談される時だ。あると信じて疑わないお客さんに、「ウチにはないんです」と回答する時ほど、引き裂かれた感情になることはない。ないものは案内できない、しかし悔しい。いつも私は、その感情を持て余してしまう。
ここでだけ告白しておくと、あると思われるけど実はない家電の筆頭は食洗機である。てっきりあると思って相談されるケースは意外なほど多い。そのたびに私は「実はやってないんです」と言いながら、そっとパナソニックのページを貼るのだ。泣き笑いの顔をしながら。
文・山本隆博(シャープ公式Twitter(X)運用者)
テレビCMなどのマス広告を担当後、流れ流れてSNSへ。ときにゆるいと称されるツイートで、企業コミュニケーションと広告の新しいあり方を模索している。2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021ACCブロンズ。2019年には『フォーブスジャパン』によるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。近著『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社ビーシー)
まんが・松井雪子
漫画家、小説家。『スピカにおまかせ』(角川書店)、『家庭科のじかん』(祥伝社)、『犬と遊ぼ!』(講談社)、『イエロー』(講談社)、『肉と衣のあいだに神は宿る』(文藝春秋)、『ベストカー』(講談社ビーシー)にて「松井くるまりこ」名義で4コママンガ連載中