自転車世界一周の旅をつづったベストセラー『行かずに死ねるか! 世界9万5000km 自転車ひとり旅』(幻冬舎文庫)』で知られる旅行作家、石田ゆうすけさん(55)の新著『世界の果てまで行って喰うー地球三周の自転車旅ー』(新…
画像ギャラリー自転車世界一周の旅をつづったベストセラー『行かずに死ねるか! 世界9万5000km 自転車ひとり旅』(幻冬舎文庫)』で知られる旅行作家、石田ゆうすけさん(55)の新著『世界の果てまで行って喰うー地球三周の自転車旅ー』(新潮社)が話題だ。今度も同様に自転車による世界旅行記だが、テーマは“グルメ”。各国で巡り合った「食」に対する驚きや感動が、軽妙な文章で紡がれる。『おとなの週末Web』では、本書に収められた全31編から「ブータンの絶頂メシー松茸の極楽浄土を目指して」の一部を抜粋して紹介する。
ヒマラヤ山中の“雲のような形の国”
(中略)
ブータンはヒマラヤの山中にある雲のような形の国だ。大きさは九州ぐらい。道路は未舗装だらけで、一部の舗装路も穴ぼこだらけ、かつ一日一度は標高三千メートル前後の峠を越える。ハードなんてもんじゃない。日頃のトレーニングなどまったくしない僕は、毎朝目が覚めると筋肉痛と異様なだるさで体がベッドに張り付いたように動けなくなっており、起き上がるだけでも一苦労だった。それでも己にムチ打って走りだせば、ヒマラヤと棚田の大パノラマに囲まれ、雲の上を旅しているような爽快な気分に浸った。
また、行く前から想像していたとおり、ここと似た国がまったく思いつかないぐらい個性の際立った国だった。大伽藍のような空港ターミナルからはや目を奪われたが、空港を出てからも道路沿いの家や店など、あらゆる建物が寺院のような手の込んだ伝統建築だ。人々は日本の着物のような民族衣装を身にまとっている(洋服姿の人もいるが)。衣装も建物も茶色やえんじ色など深みのある色で、一瞬にして中世の世界に放り込まれたようだった。
これらは「幸せの国」を目指す政策の一環として、つまり国策として文化保護を徹底しているからだ。そしてこの極端な保護政策は、おそらく食にも大きく影響を及ぼしている。
(中略)
村で開催された「松茸祭り」
そんなブータンの食のなかでも、大いに盛り上がる“絶頂”の瞬間があった。松茸だ。
じつはこの旅の目的の一つだった。ブータンでは松茸がとれる。しかも八月下旬、ウラという村では松茸祭りが開催されるという。ならそこを目指して走るのはどうだろう。ヒマラヤの山々を越え、祭りの日にウラにゴール、そして松茸三昧。完璧なストーリーではないか。いわば松茸は馬の鼻先にぶら下げたにんじん、自転車の強力な推進力になるに違いない。
実際、旅を始めてみると、悪路の峠越えに毎日くたばっていたのだが、松茸の食べ放題が待っていると思うだけで足に力が湧き、馬車馬のように駆けた。
予定どおり祭りの前日にウラに着いた。スイスを思わせる牧歌的な美しい村だった。山の斜面に農地や牧草地が広がっていて、家が点々と見える。標高約三千二百メートルの高地は八月でも秋のようなひんやりした空気が流れていた。
その日は民泊し、村の人たちと自家製焼酎のアラを飲んで大いに酔っ払った。
翌朝、まだ酔いの残る頭で祭り会場に行くと、カラフルな幟がはためき、鐘がカンカンと鳴っている。広場を取り囲むように出店が並んでいた。村人たちはみんな特別な民族衣装を着ており、いかにもハレの日の華やかな雰囲気が立ち込めていた。
(中略)
「松茸がないがな……」
やっぱり何か変だ。会場をあらかたまわったところで違和感の正体がはっきりした。というより嫌な予感が当たった。
「松茸がないがな……」
生の松茸は売られていたが、たいした量じゃなかったし、なにより生の松茸を買って帰って家で調理して食べるのでは話が違う。僕のイメージする松茸祭りは、会場に設置された巨大なの上でギネス登録を狙わんばかりに大量の松茸が焼かれ、来場者にふるまわれ、もう松茸なんて見るのも嫌──これだ。その極楽浄土に向かって悪路の峠をいくつも越えてきたのだ。
最初のきのこスープはよかったが、盛り上がったのはそれだけだった。いや、いま思えばあのスープにも松茸は入っていなかったような……。
ガイドのテンジンに胸の内をぶちまけずにはいられなかった。
「これのどこが松茸祭りなんだ?」
「ブータン人、松茸がなくても誰も気にしないですよ。ヤク祭りにヤクが一頭もいないこともあります。ブータン人は祭りでお酒を飲んで酔っぱらえればそれでいいんです」
論点がずれている気がしなくもなかったが、妙に納得してしまった。たしかに男も女もみんな楽しそうに酔っている。松茸のことを気にしているのは、もしかしたら僕だけかもしれない。
「そもそもブータン人は松茸そんなに好きじゃないです。しめじのほうが人気あります」
あーあーあーと大きな声を出して耳をふさぎたくなった。じつはさっき、ガイドブックの取材にきているという日本人の記者に会い、彼からこんな話を耳打ちされていたのだ。
「この祭りは日本人観光客を呼ぶために最近始まったものですよ」
ブータン語で松茸は「サンゲシャモ」、ラベルには「MASUTAKEE」
会場に流れていた民族音楽がテクノに替わった。伝統芸能が行われていた広場では、腰穿きのだぼだぼジーンズにラフなシャツにキャップ、といういまどきの格好の若者がブレイクダンスを始め、もはや“伝統の祭り風”ですらなくなった。
とにかく松茸を食べないことには収まらない。ブータン語で松茸は「サンゲシャモ」だ。サンゲシャモの料理がないか人に聞いてまわったら、一人のおじさんが「あの店にあったよ」と教えてくれた。
行ってみると、何種類もの揚げ物がパックされて並んでいる。「サンゲシャモはどれ?」と聞いてみると、店のおじさんはかき揚げのようなものが入ったパックを指差した。ラベルには《MASUTAKEE》。
はあああとため息が漏れ、力が抜けていった。会場を覆っていたそこはかとない“やらせ感”がこのラベルに集約されているようだった。記者の言っていたことは本当かもしれない。
誰に向けた祭りか、このラベルにはっきりと表れている。もはやどうでもいいが、松茸のアルファベットの綴りもえらいことになっている。マスタケエエ。
どうやらそれが唯一の松茸料理のようだった。手のひらサイズのかき揚げが五個入って約八十円。かき揚げだから松茸は細かく刻まれている。買って食べてみると、ピリッと辛く、にんにくと生姜が強く香った。松茸の香りは完全に消され、シャキシャキした食感だけがかろうじて残っている。これならエリンギでええがな。
今年は不作、昨年は約10種類の松茸料理が出た
まさかこれでおしまい? 肉体を酷使してやっとたどり着いた松茸祭りの松茸が、まさかこのピリ辛にんにく生姜味の松茸だけ?
ち、が、う、だろー! とかつていた女性国会議員のように絶叫したくなったが、ええいもういい、祭りはいい、せめて松茸をたらふく喰ってやる、生の松茸を買って宿で自炊しよう、そう考え直し、販売ブースに行ったら松茸は売り切れて一つも残っていなかった。あはは。
そこへ祭りの実行委員を名乗る男が話しかけてきた。
「この松茸祭りをどう思いますか?」
「どこに松茸があるんだ!」
「今年はあまりとれなかったんです。去年は十種類ぐらいの松茸料理が出たんですが」
ほんまか? それはほんまにほんまのことか?
僕の疑惑の目をよそに男性はマイペースで「日本ではこの祭りのことがどれぐらい知られていますか?」「日本人の姿があまり見えませんが、これから何人ぐらい来そうですか?」といったことばかり聞いてくる。会場を歩きまわって目にした日本人はさっきのガイドブックの記者だけだ(このあと海外青年協力隊の日本人が何人か来たが)。
そこへ酔っぱらったおばさんがやってきて、「あんた楽しんでる?」みたいなことを言い、
僕の手をとって踊りながらクルクル回った。僕もやけくそでおばさんに合わせてクルクル回ったら、まわりのブータン人がやんやとはやし始めた。するとおばさんはますますハッスルして僕と一緒にルンバルンバ……って、これのどこが松茸祭りじゃあああっ!
松茸が入った大きな袋が!
適当なところで切り上げ、夕方になる前に車にのった。自転車で走ってきた道を車で一気に駆け抜け、出発地であるパロの国際空港に戻るという予定だった。もっとも、悪路のために車でも一日では走りきれず、途中で一泊する。
村の出口でテンジンが車をとめるよう運転手に言った。テンジンは車の窓を開けて村の男性に声をかけ、何か話している。男性は頷き、家に入ったかと思うと、大きな袋を抱えて現れた。
「わわ、松茸やん!」
「この人は知り合いなんです」
ダメ元で聞いたらちょうど在庫があったというのだ。どうやらテンジンは落胆している僕を見て、なんとかできないかと気をもんでいたらしい。あんた最高のガイドだよ!
袋の中には大きい松茸が十五本ほど入っていて、五百ヌルタム、日本円でなんと八百円!
その夜、村のホテルに着き、厨房を貸してもらえないか聞くと、宿はすぐに了承してくれた。
松茸をタワシでこする光景に絶叫!
松茸をテンジンに託し、部屋に入ってさっとシャワーを浴びる。そのあと食堂に行き、厨房をのぞいた瞬間、顔から血の気が引いた。テンジンと運転手の二人が松茸をボウルの水につけ、靴でも洗うようにタワシでゴシゴシこすっていたのだ。
「やめろーっ! 香りが飛んでしまう!」
だが時すでに遅し、タワシで洗われた松茸はホワイトマッシュルームのように白くなっていた。頭がクラクラしたが、洗浄作業は始まったばかりだったようで、洗う前のものがまだたくさん残っている。助かった……。
僕は彼らに「いいかい、こうやるんだ」と言って布巾で表面の泥を優しくふきとった。そうやって処理した茶色い松茸と、徹底的に洗われた白い松茸、両方を金網にのせ、コンロに置く。
驚愕の美味しさ「松茸オムレツ」
松茸はまだまだあり、それをスライスすると小さなどんぶりに軽く二杯分になった。その一杯を、ホテルが僕らに用意していた野菜スープに入れ、もう一杯を卵と混ぜてオムレツにする。
テンジンと運転手と僕の三人で料理を囲み、まずはスープをすすった。松茸がドドドドドと口の中に入ってくる。クキュクキュと音が鳴りそうな歯触りにふわあっと広がる芳香、なんたる贅沢! 水炊きのエノキダケみたいに松茸が食べられるなんて!
次いでオムレツを頬張ると、とろとろのクリーム状になった半熟卵の中から大量の松茸が口内になだれ込んでくる。うほほ。至福の思いで噛むと、繊維がシャキシャキとほぐれ、香りを放ちながら松茸が身悶えし、こっちも身悶えしながら、ルンバルンバ……バ、バ、
「爆発的にうめえええっ!」
牛丼をかっこむように松茸オムレツを口いっぱいに詰め込み、香りに酔い、嚥下し、再びかっこむ。僕は長いあいだ誤解していた。松茸は少量をありがたく食べるからうまいのだと。でもそうじゃない。口いっぱいに頬張ったらもっとすごい。これが「幸せの国」の実力か!
ブータン人が松茸を好まない理由って?
もう満足、目的は達せられた、そう思ったのだが、最後にメインが待っていた。焼き松茸だ。
食べてみると最高級の日本産となんら変わらない。松茸は新鮮なほど香るというから、現地で食べればうまいのは当然だ。いや、遠慮なく大量に頬張れる分、日本でちびちび食べていたときよりも僕は舞い上がった。香りを愛でるにはやはりシンプルな網焼きが一番かもしれない。
タワシでゴシゴシ洗った白い松茸と、そうしなかった茶色い松茸の差も歴然としていた。白い松茸は思いっきり神経を集中しても遠くのほうでかすかに香る程度で、ほとんど歯ごたえしか残っていない。テンジンも運転手も茶色い松茸を食べて目を丸くしている。まるでいま生まれて初めて松茸を食べた、といったような顔つきなのだ。
あれ? ブータン人が松茸を好まない理由って、もしかして……。
石田ゆうすけ
旅行作家。1969年、和歌山県白浜町生まれ。東京在住。高校時代から自転車旅行を始め、26歳から世界一周へ。無帰国で7年半かけ、約9万5000km、87ヵ国を走る。帰国後、専業作家に。自転車、旅行、アウトドア雑誌等への連載ならびに寄稿のほか、国内外での食べ歩きの経験を活かし、食の記事も多数手がける。世界一周の旅を綴った『行かずに死ねるか! 世界9万5000km 自転車ひとり旅』(幻冬舎文庫)など著書多数。全国の学校や企業で「夢」や「多様性理解」をテーマに講演も行う。