皇室のヒミツ、皇族の素顔 【画像ギャラリー】多摩陵を参拝する昭和天皇、陵印、当時の新聞号外 #宮内庁#皇居 記事に戻る 大正天皇=写真/宮内公文書館蔵「崩御」を伝えると同時に「新元号」をスクープしたとされる当時の新聞号外「東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社版)」。宮内省(当時)は、その後、正式に「昭和」と元号を発表したが、他の新聞社も「光文」と報じたことから、記事を見て変更したのではないかなど、数々の憶測を呼んだ=宮内公文書館蔵陵は南に面し、ドーム型の上円の内部は「玄宮(げんきゅう)」と呼ばれる空間に石槨(せきかく)があり、その中に御霊柩が納まる=2007(平成19)年5月7日、多摩陵(東京都八王子市)写真の階段を上ると特別拝所、さらに階段を上ると皇族拝所がある。鳥居は、皇族拝所と一般拝所に設けられている=2010(平成22)年12月25日、多摩陵(東京都八王子市)上円内部(玄宮)に納められた「墓誌」の拓本。亡くなられた日時と、玄宮に御霊柩が納められた日が記される。斂葬(れんそう)とは、一般でいう埋葬を意味する宮廷用語=宮内公文書館蔵山陵の五十日祭にあたり多摩陵を参拝する昭和天皇(左から2人目)=写真/宮内公文書館蔵陵印には、右側から縦に「大正天皇多摩陵」「貞明皇后多摩東陵」と彫られている=2007(平成19)年5月7日、多摩陵墓管区事務所においてみずから押す(東京都八王子市)大正天皇多摩陵の右隣に位置する「貞明皇后多摩東陵」。多摩陵よりもひとまわり小さく造られている=2010(平成22)年12月25日、東京都八王子市武蔵陵墓地の総門にある陵銘板(りょうめいばん)。写真の左手奥に写る建物が多摩陵墓監区事務所=2007(平成19)年5月7日、東京都八王子市武蔵陵墓地の周辺に設置されている観光案内板。JRと京王線の高尾駅から約1.5キロメートルの距離に陵墓はある=2010(平成22)年12月25日、東京都八王子市 記事に戻る 「陵印」の全数とは 大正天皇のご生涯に思いを馳せ、武蔵陵墓地を訪ねる