「砧線玉川砧間軌道新設線路平面図」より、遊園地下(のちの中耕地)駅の部分を拡大したもの。駅の周囲には「水田」を示す記号が描かれている=資料/国立公文書館蔵
玉電・砧線の廃線跡略図=世田谷区が設置した現地案内図に筆者加筆
世田谷区道「花みず木通り(砧線跡)」と書かれた道路標識。この通りはまさしく廃線跡だ=2026年1月6日、世田谷区玉川
玉川通り側から砧線の廃線跡である「花みずき通り」を見る。この“花みず木”とは二子玉川のシンボルツリー「ハナミズキ」から命名されたものだ=2026年1月6日、世田谷区玉川
花みず木通りを直進すると、道幅が拡がり歩道と車道に分離する。この歩道と車道のセンターあたりが線路敷だった。二子玉川から一つ目の駅となる中耕地駅(旧・遊園地下停留場)は、この写真の左手奥にあった=2026年1月6日、世田谷区玉川
中耕地駅跡に建つ「砧線中耕地駅跡」の石碑=2026年1月15日、世田谷区玉川
花みず木通りに入り、玉川通りから数えて三つ目の路地の片隅に建てられている「砧線中耕地駅跡」の石碑=2026年1月6日、世田谷区玉川
玉電・砧線の中耕地駅跡の歩道上に描かれた同駅のタイル画=2026年1月15日、世田谷区玉川
砧線が廃止される頃の中耕地駅。この手前側が二子玉川園駅寄りとなる。現在ある石碑は、この駅舎のあった位置に建てられている=1969年4月、資料提供/大塚勝利、世田谷区玉川
玉電・砧線の中耕地駅跡の現況写真。ひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影したもので、石碑以外に当時を伺い知るものは何も遺されていない=2026年1月15日、世田谷区玉川
1938(昭和13)年に作成された東京横浜電鉄と目黒蒲田電鉄時代の沿線案内。この当時の玉電は、東京横浜電鉄の路線だった。着色は筆者加筆のもの=資料提供/世田谷郷土資料館
「砧線跡歩道」として幅が広くなる「花みず木通り」の歩道。このあたりからしばらく砧線に関するオブジェがつづく=1992年6月、世田谷区玉川
砧線跡歩道にあるマンホールの蓋に描かれた旧砧線をイメージした路面電車。こうした蓋は、このほかにも周辺に3か所存在する=1992年6月、世田谷区玉川
砧線のレールをモチーフにした歩道柵。残念ながらこのレールは砧線で使われていたものではないという=2026年1月6日、世田谷区玉川
砧線跡歩道に設置されている「砧線軌道跡」の石碑=1992年6月、世田谷区玉川
「砧線跡歩道」と記された道標=2026年1月6日、世田谷区玉川
現在の「砧線跡歩道」のあたりをゆく現役時代の砧線。中耕地駅が電車の後方(二子玉川駅方向)にあった=1969(昭和44)年5月、世田谷区玉川、写真提供/宮田道一コレクション
玉電・砧線の廃線跡になっている「花みず木通り」の歩道の一部には、タイルで線路と枕木が描かれている。ひとつ前の古写真とほぼ同じ場所で撮影したもの=2026年1月15日、世田谷区玉川
中吉通り(なかよしどおり)に面して入口がある「大勝庵・玉電と郷土の歴史館」。そのたたずまいは15年前まで営業したいたそば店そのものだった。1番線を示す案内標示が歴史館の目印だ=2026年1月6日、世田谷区玉川
あれこれと砧線の話をしてくださった館長の大塚勝利さん。砧線への郷土愛は、ただならぬものだった。大勝庵・玉電と郷土の歴史館で=2026年1月6日、世田谷区玉川
かつて砧線で活躍した玉電(最後は世田谷線で活躍)の車両70形(71号車)の運転台は、東急電鉄から譲り受けたもの。大勝庵・玉電と郷土の歴史館で=2026年1月6日、世田谷区玉川
玉電と郷土の歴史館前に鎮座する元・玉電車両(のちの世田谷線)で使っていたパンタグラフと、砧線で使用していた鉄道さくがき(左端)=2026年1月15日、世田谷区玉川
のどかな田園風景をゆく砧線が走っていたとは思えないほど、周辺の景色は一変していた=2026年1月15日、世田谷区玉川
ひとつ前の写真と同じ場所を走りゆく玉電砧線。このカーブの先に二子玉川から二つ目の駅となる吉沢駅があった。(別記事の再掲)=1960(昭和35)年5月、写真提供/宮田道一コレクション
砧線と谷戸川が別れるあたりから吉沢駅の周辺を抜粋した開業当時の線路平面図。砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より。吉沢駅には側線が記され、その先には町田川(現・野川)を越える橋梁が描かれる=資料/国立公文書館蔵
砧線の吉沢駅に停車中の玉電の電車。開業時の線路平面図では側線を設けて上りと下りの電車が行き違いできるような構造で描かれていたが、実際には用地が確保されていたにすぎず、側線の線路が敷設されることはなかったという=1969年4月、写真提供/大塚勝利
玉電・砧線の吉沢駅跡地は道路と歩道に転用されている=2026年1月15日、世田谷区玉川
玉電・砧線の吉沢駅跡の用地を囲うように玉電マークの入った境界石が、3個現存する。写真の境界石のほかに、道路(廃線跡)を挟んだ反対側の歩道にも2個存在する=2026年1月15日、世田谷区玉川
玉電・砧線の吉沢駅跡に遺される玉電マークの入った境界石=2026年1月15日、世田谷区玉川
吉沢橋交差点そばのマンションと歩道との境目には、玉電の境界石(左手前の電信柱のたもとにある四角い石とその延長線上にもう1か所)が遺る=2026年1月6日、世田谷区鎌田
玉電マーク(旧東京急行委電鉄の社紋)が入った境界石=2026年1月6日、世田谷区鎌田
玉電マークの変遷。上から、玉川電気鉄道当時の社紋(玉電の創始会社)、東京横浜電鉄当時の社紋(吸収合併後)、東京急行電鉄当時の社紋(大東急合併以後~廃止まで)=資料提供/宮田道一コレクション
砧線の開業時に架けられた町田川橋梁の平・断面図=資料/国立公文書館蔵
開業当時に架けられた町田川橋梁を渡る砧線=現地にある碑石に添えられた写真より
2007(平成19)年に架け替えられた三代目となる吉沢橋。砧線の橋梁とほぼ同じ位置に架けられている=2016年1月6日、世田谷区鎌田
橋上に設けられた下流側の歩道には、砧線とその橋梁に関することが記された石碑と玉電のレリーフが設置されている=2016年1月6日、吉沢橋の橋上で
砧線とその橋梁に関することが記された石碑=2016年1月6日、吉沢橋の橋上で
砧線の廃線跡(伊勢宮河原~大蔵)をゆく砧線代行バス「玉06系統」=2026年1月15日、世田谷区鎌田
伊勢宮河原駅の場所を示した線路平面図。開業当初に作成した砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より一部抜粋=資料/国立公文書館蔵
1935(昭和10)年に内務省(当時)によって作成された大東京区分図の35区のうちの世田谷区詳細図より砧線部分を抜粋。この時点で伊勢宮河原駅(停留場)は記載がない。着色は筆者加筆のもの=資料提供/世田谷郷土資料館
空き地となっていたころの旧・伊勢宮河原駅跡地=1969年4月、写真提供/大塚勝利
玉電・砧線にあった伊勢宮河原(いせみやがわら)駅跡地は、「三角公園」に生まれ変わっている=2026年1月15日、世田谷区鎌田
多摩川の土手から撮影した旧・伊勢宮河原駅付近を通過してゆく砧線の電車。現在この電車の走っている場所は三角公園になっており、電車の手前の空き地は宅地化され住宅が建っている=1969年4月、写真提供/大塚勝利
玉電・砧線の伊勢宮河原駅跡地は「三角公園」という名の公園になっている=2026年1月15日、世田谷区鎌田
旧伊勢宮河原駅~旧大蔵駅間をゆく砧線の電車=1969年4月、写真提供/大塚勝利
ひとつ前の玉電・砧線が走る写真とほぼ同位置で撮影した現況写真=2026年1月15日、世田谷区鎌田
大蔵貨物積卸停留場の場所を示した線路平面図。開業当初に作成した砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より一部抜粋=資料/国立公文書館蔵
当時の大蔵駅のようすを記した構内配線図。この図の右端に示される本線路が切れているあたりに、現況道路(都市大グランド前バス停付近)のY字分岐がある。砧線大蔵貨物積卸停留場設備図より=資料/国立公文書館蔵
玉電・砧線の大蔵貨物積卸停留場があった付近の現況写真=2026年1月15日、世田谷区鎌田
砧線・大蔵貨物積卸停留場跡地から旧・砧本村駅方向を見る。道路となった廃線跡の上を走る砧線代行バス(玉06系統)=2026年1月15日、世田谷区鎌田
大蔵駅跡から終点の砧本村駅跡へと続く道路へと転用された砧線の廃線跡=2026年1月15日、世田谷区鎌田
道路へと転用された砧線の廃線跡に突如現れた鉄道遺構(架線柱)と見間違うような造りの半鐘を釣るための鉄塔=2026年1月15日、世田谷区鎌田
砧(のちの砧本村)駅の位置を示した開業当時の図面。砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より一部抜粋=資料/国立公文書館蔵
砧線の終点、砧本村(旧・砧)駅から二子玉川園駅方向を見た風景。線路沿いにある架線柱は、ほとんどが木柱だった=1969(昭和44)年5月、写真提供/宮田道一コレクション
ひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した砧線・砧本村(旧・砧)駅跡地(鎌田2丁目南公園)から見た廃線跡=2026年1月15日、世田谷区鎌田
旧砧駅の構内である砧本村バス折り返し所には、砧線のホーム屋根を転用(移築)したバス待合所と、駅があった当時から営業していた売店が共存していた時代があった=1992年6月、世田谷区鎌田
現在の砧本村バス停(バス折り返し所)のようす=2026年1月6日、世田谷区鎌田
砧本村駅(旧・砧駅)に設置されていた上屋(屋根)は、廃線後に代行バスの砧本村バス停へと移築された=1969年2月、写真提供/宮田道一コレクション
砧線のホームから移築された上屋(屋根)を活用したバス停の待合所。現在は撤去されており存在しない=1992年6月、世田谷区鎌田
かつてはここに砧線砧本村(旧・砧)駅ホームの屋根を使用したバス待合所があった。東急バス砧本村バス停で=2026年1月15日、世田谷区鎌田
砧本村バス停(バス折り返し所)の売店跡地に遺される「鉄道さくがき」=2026年1月6日、世田谷区鎌田
玉電・砧線の終点駅「砧本村(旧・砧)駅」の駅名板。琺瑯(ほうろう)と呼ばれる金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬を高温で焼き付けたものでできている=2026年1月15日、玉電と郷土の歴史館で