東京と神奈川の境を流れる多摩川に寄り沿うように走っていた玉川電気鉄道の支線「砧線〔きぬたせん〕」。廃止から57年の歳月が過ぎ、長年親しまれてきた玉電(たまでん)の愛称も聞かれなくなって久しい。むかし住んでいた近所の蕎麦屋で出前を頼むと、薬味の入った小皿の懸け紙には系列店舗の所在地名一覧が載っており、”玉電山下”と書かれていたことを思い出す。「玉川線」の名も、地下鉄・新玉川線へと引き継がれたが、2000(平成12)年からは田園都市線に編入され、“玉川”の名は消滅してしまった。かつて渋谷~二子玉川~砧を結んでいた路面電車「玉電」の記憶は、人々の脳裏からも消え去ろうとしている。そんな砧線に思いを馳せながら、二子玉川(世田谷区玉川)から砧本村(同区鎌田)までの2kmの廃線ウォークへと出かけることにしよう。
※トップ画像は、二子玉川園駅(当時)を出て左にカーブを描きながら砧駅へ向けて走りゆく、在りし日の玉電砧線。この池の場所は現在、玉川高島屋SC東館と同館駐車場になっている=1961(昭和36)年8月、写真提供/飯島巌コレクション
「花みず木通り」に生まれ変わった砧線
砧線の廃線跡は、二子玉川駅から田園都市線(旧・新玉川線)と並走した後、大きく左にカーブを描きながら、小さな雑木林と化した軌道敷跡を過ぎて、玉川高島屋SC東館と同館マロニエコートとの間を進む。この雑木林を抜けた先は、街並みや道路が整備され街は一変しており、砧線の面影は何も遺されていない。
廃線跡はそのまま玉川通り(国道246号線の旧道)を渡ると、その先は細い道路へと生まれ変わっていた。道路標識には、「花みず木通り(砧線跡)」と書かれている。この”花みず木”とは、二子玉川のシンボルツリーである「ハナミズキ」のことで、2016年(平成28)年に道路の通称名として採用されたものだ。
砧線跡をたどるこの道路は全長760mあり、砧線の廃線跡のうち3分の1を占める。このように世田谷区道として整備された理由には、廃線時に線路敷のほとんどを民間に売却するのではなく、東京都や世田谷区へ一括して移管したことが大きい。
この細い道路をそのまま進み、頭上を高架で跨ぐ国道246号線の新道バイパスを通りすぎると道幅は拡がり、歩道と車道とに分離する。ほどなく歩くと中耕地駅(なかこうちえき)があった路地に出る。歩道の隅には、「砧線中耕地駅跡」と書かれた石碑が建てられている。歩道上となるこの場所に、1969(昭和44年)5月10日まで中耕地駅は存在した。
開業まもない頃は、遊園地下(ゆうえんちした)という名の駅(停留場)だった。この「遊園地」とは、今も世田谷区瀬田4丁目にある「身延山関東別院、妙隆山・玉川寺〔ぎょくせんじ〕」の周辺にあった玉川電気鉄道が乗客誘致のために創設した「玉川第一遊園(第二遊園は1985/昭和60年まで二子玉川駅近くにあった二子玉川園)」のことだ。
そして、いつの頃からか「中耕地」という駅名になった。起点の二子玉川駅(開通当時は玉川駅)からは0マイル27チェーン(約543メートル)の地点だった。開通当時の図面「砧線玉川砧間軌道新線線路平面図」には、キロメートルではなく“マイルチェーン”で距離程が記載されている。これは、当時の日本の鉄道がイギリスの技法を取り入れていたことに由来する。駅周辺には、水田が広がっていたこともこの地図からは読み取れる。






























































