×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

バスの折返所になった砧本村(旧・砧)駅跡

そろそろ終点に近づいてきたようで、歩いてきた廃線跡となる道路の先には公園「鎌田2丁目南公園」が見えてきた。この公園とその先にある倉庫、東急バスの砧本村バス停の一帯が、砧線の砧本村〔旧・砧〕駅(起点から2.192km≒2.2km)があったところだ。廃線跡ウォーキングのゴールである。

開業当時の住所は、東京市北多摩郡砧村大字大蔵字河原765番地。現在は、東京都世田谷区鎌田2丁目19番地だ。まずは周囲を見渡すと、34年前に訪れた時と雰囲気はだいぶ変わっていた。建物などは大きく様変わりし、バス停の待合所として転用されていた砧線砧本村駅のホーム屋根(上屋)は、老朽化のため2022(令和4)年に解体され、そこには真新しい待合所が建っていた。

元々の砧線のホームは、このバス停と同じ向きにあったわけではなく、バス停に対して直角を向くように駅の構内だった敷地のほぼ中央(現・東京都の建物〔倉庫〕がある場所)に位置していた。砧線の駅として唯一の遺構だったホーム屋根が解体されたことについて、「玉電と郷土の歴史館」の館長である大塚勝利さんは、非常に残念がっていた。なお、解体されたホーム屋根の部材は、再建が可能な状態で保管されているという。

駅に隣接してあった売店「東急バス折返所前・砧売店」も、跡形もなく取り壊されていた。駅跡地そのものは、バス折り返し所、東京都の施設(倉庫)、公園の一部として姿を変えているが、その敷地の大きさから知っている人がみれば、ここに駅があったことは容易に想像できよう。そのことを示すように「鉄道さくがき」が、バス折り返し所に併設された自転車駐輪場の片隅に遺されていた。時間の経過とともに、ここに玉電砧線が走っていたことや、ここから和泉多摩川駅まで延伸する計画があったことなど、人々の記憶からは消え去ってしまうのだろうか。

砧(のちの砧本村)駅の位置を示した開業当時の図面。砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より一部抜粋=資料/国立公文書館蔵
砧線の終点、砧本村(旧・砧)駅から二子玉川園駅方向を見た風景。線路沿いにある架線柱は、ほとんどが木柱だった=1969(昭和44)年5月、写真提供/宮田道一コレクション
ひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した砧線・砧本村(旧・砧)駅跡地(鎌田2丁目南公園)から見た廃線跡=2026年1月15日、世田谷区鎌田
旧砧駅の構内である砧本村バス折り返し所には、砧線のホーム屋根を転用(移築)したバス待合所と、駅があった当時から営業していた売店が共存していた時代があった=1992年6月、世田谷区鎌田
現在の砧本村バス停(バス折り返し所)のようす=2026年1月6日、世田谷区鎌田
砧本村駅(旧・砧駅)に設置されていた上屋(屋根)は、廃線後に代行バスの砧本村バス停へと移築された=1969年2月、写真提供/宮田道一コレクション
砧線のホームから移築された上屋(屋根)を活用したバス停の待合所。現在は撤去されており存在しない=1992年6月、世田谷区鎌田
かつてはここに砧線砧本村(旧・砧)駅ホームの屋根を使用したバス待合所があった。東急バス砧本村バス停で=2026年1月15日、世田谷区鎌田
砧本村バス停(バス折り返し所)の売店跡地に遺される「鉄道さくがき」=2026年1月6日、世田谷区鎌田
玉電・砧線の終点駅「砧本村(旧・砧)駅」の駅名板。琺瑯(ほうろう)と呼ばれる金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬を高温で焼き付けたものでできている=2026年1月15日、玉電と郷土の歴史館で

注)文中の距離程表示〔km〕は、当時の図面に記載されたマイルチェーン〔MC〕をkmに換算したものであり、多少の誤差(図面上での測定誤差29m)があります。

icon-gallery

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

icon-prev 1 2 3 4 5 6 7
関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

工藤直通
工藤直通

工藤直通

おとなの自動車保険

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2026年1月15日発売の2月号では、「50歳…