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砧線代行バスも走る道路へと転用された廃線跡

野川(旧・町田川)を超えると廃線跡は、花みず木通りと同様に世田谷区道へと転用されており、その道路の上を「砧線代行バス」が走っている。東急バス「玉06」系統、二子玉川駅バス停~砧本村バス停を結ぶ路線バスだ。

このバスは、往路と復路では走るルートが異なる区間がある。途中の吉沢バス停(旧・吉沢駅至近)から砧本村バス停の間(吉沢駅→伊勢宮河原駅→大蔵駅→砧本村駅)は、廃線跡をなぞるように走るのだが、砧本村行きのバスしか通らない。復路のバス(砧本村→二子玉川駅)はというと、廃線跡とはまったく別のルートを通る。なお、二子玉川駅バス停~吉沢バス停の間は往路・復路ともに、砧線の廃線跡ではなく「中吉通り」を経由している。

吉沢駅跡から185m進んだあたりは、伊勢宮河原停留場(いせみやがわら・ていりゅうじょう/起点の玉川駅から1.352kmの地点)があったところだ。駅名の由来は、当地の住民が多摩川で投網漁をしていたところ、お伊勢様の御神体がその網にかかり、これを河川敷に祀ったということが、その語源らしい。

この停留所(駅)があった場所は、多摩川の河原からは至近距離にあり、現在は「三角公園(世田谷区立鎌田遊び場)」と呼ばれる世田谷区の公園になっている。この場所のすぐ目の前には、砧線代行バス「玉06系統」のバス停「三角公園」がある。

駅は開業後の1930(昭和5)年に、「伊勢宮河原”貨物”停留所」に変更され、同時に砂利積込用の側線が新設された。この側線は、5年後の1935(昭和10)年には撤去されており、これは「1934(昭和9)年に二子玉川周辺における多摩川での砂利採取が禁止されたこと」に関係しているとする向きもある。

停留所(駅)そのものについては、1942(昭和17)年ごろまであったとする地元住民の証言はあるものの、具体的な時期については正確な記録が残されていないため、わかっていない。いずれにしても、駅が廃止になった後も、長年にわたり”玉電用地”として手つかずのままその用地が残され、砧線の廃止と同時に世田谷区へ移管され、現在の公園が誕生したということになろう。

なお、駅名の由来となった”お伊勢さん”を祀った祠(ほこら)は、古くは多摩川の畔に実在したとする言い伝えがあるものの、どこに建立されていたのかまではわからないという。

砧線の廃線跡(伊勢宮河原~大蔵)をゆく砧線代行バス「玉06系統」=2026年1月15日、世田谷区鎌田
伊勢宮河原駅の場所を示した線路平面図。開業当初に作成した砧線玉川砧間軌道新設線路平面図より一部抜粋=資料/国立公文書館蔵
1935(昭和10)年に内務省(当時)によって作成された大東京区分図の35区のうちの世田谷区詳細図より砧線部分を抜粋。この時点で伊勢宮河原駅(停留場)は記載がない。着色は筆者加筆のもの=資料提供/世田谷郷土資料館
空き地となっていたころの旧・伊勢宮河原駅跡地=1969年4月、写真提供/大塚勝利
玉電・砧線にあった伊勢宮河原(いせみやがわら)駅跡地は、「三角公園」に生まれ変わっている=2026年1月15日、世田谷区鎌田
多摩川の土手から撮影した旧・伊勢宮河原駅付近を通過してゆく砧線の電車。現在この電車の走っている場所は三角公園になっており、電車の手前の空き地は宅地化され住宅が建っている=1969年4月、写真提供/大塚勝利
玉電・砧線の伊勢宮河原駅跡地は「三角公園」という名の公園になっている=2026年1月15日、世田谷区鎌田
旧伊勢宮河原駅~旧大蔵駅間をゆく砧線の電車=1969年4月、写真提供/大塚勝利
ひとつ前の玉電・砧線が走る写真とほぼ同位置で撮影した現況写真=2026年1月15日、世田谷区鎌田
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宅地化されていた大蔵貨物積卸停留場跡
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工藤直通
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