宅地化されていた大蔵貨物積卸停留場跡
さらに代行バスが走っている道路を、旧・伊勢宮河原駅から終点方に向けて500mほど進むと、大蔵貨物積卸停留場(駅/起点から1.829kmの地点)があった場所に出た。この場所のすぐそばには、砧線代行バス(玉06系統)の「都市大学グランド前」という名のバス停があった。ふと思い返せば、砧線の代行バスはバス停の名称こそ異なるが、存在した砧線の駅(停留所)があったところにはバス停があるのだ。
大蔵駅(停留所名)の名称は、開業の直前までは「大蔵砂利積込停留場」となっていたが、開業後は「大蔵”貨物積卸”停留場」に変更され、いつの頃からか「大蔵」と名乗った。この駅には、開業当初から引き込み線(積卸場)が設けられていたが、伊勢宮河原駅と同様に先の大戦前に廃止されたという。しかし、その正確な年月まではわかっていない。当然、当時の痕跡が遺されているわけもなく、今では駅があった場所も宅地化され、ざっくりとした位置推測しかできなかった。この付近の少し先には、廃線跡となる道路がY字に分岐していて、向かって右側へと逸れる一方通行の道路が砧線の廃線跡であり、代行バスが走るルートだ。
その廃線跡の道路を歩いていると、妙なものを見つけた。鎌田町南睦会会館にある鋼材で組み上げられた「半鐘(はんしょう)」と呼ばれる小型の釣り鐘をぶらさげるための小ぶりの鉄塔だ。見た目とその大きさといい、砧線の架線(電車に電気を送る銅線)を支持するための、いわゆる架線柱ではないかと一瞬疑った。しかし、残念ながら廃線末期に至るまでの砧線の架線柱は、木柱かコンクリート柱であり、これは砧線の遺構とは無関係のものであると判断した。念のため、砧線の末端となる砧駅にあった架線を終端部で引き留める鉄柱を移築したのではないかとも疑って検証を試みたが、鋼材の組み方が異なるため、同一のもの(移築したもの)ではないと結論づけた。







