「たらこスパゲッティを発明」「オーダーボイルを開始(=オーダーされてから茹でる)」のふたつの文化を日本にもたらした『壁の穴』の歴史物語に迫る。
「壁の穴」、そして「たらこスパゲッティ」誕生秘話『壁の穴』@渋谷
昭和20年代、在横須賀の米国人高官と交流して、ひらめきを得た気鋭のシェフ、成松孝安氏は昭和28年に開いたスパゲティ専門店に「A HOLE OF WALL」という店名をつけた。
のちに『壁の穴』と訳される不思議なフレーズは、シェークスピアの戯曲『真夏の夜の夢』の一節で、ひび割れた壁の穴越しに恋人のピラマスとシスビーが話す場面に出てくる。
そこへ成松孝安氏が込めた意味は、オーダーボイルをすると注文から提供まで、茹であげに10分やそこらお客様に待ってもらう。その間にお客様と盛んに話をする。シェフと客の心の壁を超えて話すのだ。「何をのせたらおいしいと思いますか」と。これが『壁の穴』の原点だという。
時が下って、昭和30年代後半に、この店を気に入っていたNHK交響楽団のホルン奏者が「キャビアをのせよう」と言い、そこから「たらこだ!」と考案されるのである。穴から声が聞こえて、たらこスパゲッティはできた。
元祖たらこスパゲッティ1408円
麺を白ご飯に見立てたレシピ
令和7年の現在、『壁の穴』の総料理長を務めるのは柳田慎一さんだ。彼は、いちばんの衝撃をこう語った。
「イタリアンでは麺は塩水で茹でます。だが『壁の穴』は塩水で茹でていない。真水です」。
成松孝安氏が発想したのは、白ご飯の上に醤油で味をつけた具が乗るイメージだった。だから、麺には味をつけない。
「イタリアと真逆の発想がすごい。つなぎの味で昆布粉を入れるのも最初からで、当時に生み出せた成松孝安シェフにリスペクトしかない」。
現在の麺は太くて表面がざらざらの1.8ミリ麺、食感を高める裏技は大小粒の違う2種類のたらこを入れる、などプロならでは技がちりばめられているが、究極の極意はなんだろうか。
「麺にはアツアツの熱を入れ、かつ、たらこには熱を入れないようにすること。全く矛盾しているのです(苦笑)。たらこに熱が回ると美味しくない。そのために、ひまわりオイルとバターでたらこの粒をコーティングする。そして麺のお湯切りを完璧にするレシピに改良しました」
口にすると、粒のプチプチ感や麺の弾力感など、食感の多層構造設計がすごい。3Dのたらこスパゲッティは元祖ならではの誇りだ。
近年、ヨーロッパでの醤油ブームもあり、外国人の関心が高まっていると柳田慎一さんはいう。イタリア南部にはボッタルガ(ボラやマグロの塩漬け乾燥卵)のスパゲッティがあるが、和風たらスパが席巻する日は近いかもしれない。
総料理長:柳田慎一さん「「不易流行」の言葉を大事に提供します」
[店名]『壁の穴渋谷本店』
[住所]東京都渋谷区道玄坂2-25-17カスミビル1階
[電話]03-3770-8305
[営業時間]月~金:11時半~15時LO、17時~21時LO、土・日・祝:11時半~21時LO
[休日]不定休
[交通]JR山手線ほか渋谷駅ハチ公口から徒歩4分
撮影/小島昇、取材/輔老心
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