約20年前、世界各地を放浪していた私は、カンボジアの首都プノンペンをひとり歩いていたところ、全速力で走ってきた見知らぬおばちゃんに抱きつかれ……。カンボジアとベトナムを股にかけたインドシナの夜を前編・後編に分けてお届けします。
画像ギャラリー私、日本人なんだけど……
私は目が細く、顔が平たく、くびれもない。おまけに筋金入りの猫背である。
美人でもグラマーでもないので、道を歩いていて誰かに振り返られたことはまずない。福耳でもなく、お金持ちになるホクロもなく、アジア人顔のなかでもこれといった特徴も個性もない。ないない尽くしではあるが、実はこの顔が旅先ではおおいに威力を発揮するのだ。
なぜなら、二度見するほどの美人が旅先で歩くと目立ってしまうし、悪い男も寄ってくる。だから危機管理を考えると、旅先において目立たない顔はメリットである。もちろん、ヨーロッパの田舎やアフリカのサバンナなどで歩けば、さすがに目を引くが、同じアジアなら現地の人にすんなり溶け込めるのだ。
さて、そんな“地味顔”の私がインドシナへと旅に出た。タイから飛行機でカンボジアへ飛ぶと、20年前ほど前の首都・プノンペンはまだまだ内戦の跡が残っており、街は荒れ果てていた。しょっちゅうホテルの電気や水が止まるし、外に出れば道はボコボコで街は埃だらけ。酒瓶を抱えたおじさんが道端に座り、お金をねだっているし、野良犬もウロウロして、治安はあまりいいとは言えなかった。
特に夜は危険なので、日が落ちれば遠くのレストランには行かず、夕食はもっぱら私が泊まっていた安ホテルの1階の食堂か、すぐそばの屋台でとっていた。当時のカンボジアにはアジア各地からたくさんの出稼ぎの人がやってきていて、私がお気に入りのおいしい屋台も、中国人のおじさんが大きな中華鍋をふるっていた。
ある晩、私がいつもの屋台に向かおうとホテルを出て歩きはじめると、向かいからひとりで歩いてくる大柄なおばちゃんが、突然、ピタッと立ち止まった。50代くらいだろうか。そして目を凝らし、首を伸ばし、私のことをジーッと見つめるのだ。え、私、もしかして狙われてる?
みんな泣き出した
ヘビに睨まれたカエル状態。屋台まであと10メートル。大通りだし、こんな人通りの多いところで強盗を働くとは思えないが、いったん、ホテルに引き返そうかとジリジリと2〜3歩、後ずさりをはじめると、おばちゃんは逆に前のめりでジリジリと前進する。その数秒後、突然、おばちゃんが目をカッ!と見開き、何を叫んだかと思うと、全速力でダーッ!と突進してきたのだ!
えええ!? ちょ、ちょ、ちょっと、こわい、こわい!! とっさのことに慌てふためいて逃げ遅れた私にガシッ!と抱きついたおばちゃんは、私の体をギュウウウと締め付け始めた。ヘビといっても、史上最強のアナコンダのようである。
「へ、ヘルプ、ミー~~!!」
必死の形相で助けを求めると、道行くカンボジア人が「なんだ、どうした?」とわらわらと集まってきた。が、驚いたことに、今度はおばちゃん、人目もはばからず、ワンワンと泣き始めた。
えええ? ちょっと、どうしたっていうの? 泣きたいのはこっちなんだけど……と私がポカンとしている横で、おばちゃんとひと言、ふた言、言葉を交わしたカンボジア人たちも、目に涙をためて「ううう…」ともらい泣きを始めたではないか!
どうやら、悲しいというよりも、「ええ話や~」的な温かな空気は察したのだが、ひとり、放置された私は、英語で「あのー、誰か通訳プリーズ!」とカンボジア人に声をかけた。
そのとたん、今度はおばちゃんもまわりの人々も、ピタっと固まって顔を上げた。そしてあっけにとられた表情のおばちゃんが、英語でモゴモゴとこう言った。
「えーっ!? あんた……ユンじゃないの?」
「ユン? 私はアヅサ。ジャパニーズだけど……」
「あいや~~~!」
その時の人々のがっかり顔は今でも忘れられない。聞けば、おばちゃんはプノンペンには出稼ぎで来ているベトナム人らしい。私によく似た故郷の娘が自分に会いに来てくれたと思ったのだとか。感動劇場があっという間に終了し、人々は「なーんだ」とばかりに散っていった。
娘の顔ものっぺりしているの?
私の顔はそんなにベトナム人に似ているのか? えらい勘違いであったものの、これも何かの縁だろうと、おばちゃんと屋台で夕食を一緒にとることになった。
彼女はベトナムのホーチミンから、プノンペンのホテルに出稼ぎにやってきて今年で2年になるという。ホテルで働いているだけあって、私よりも英語は流暢だ。ベトナムに残してきたユンという娘は今、20歳になったばかり。「ホクロの位置がちょっと違うけど、それにしてもパッと見は分からないわー!」と、彼女はまくしたてた。
「ユーは、うちの娘に本当にそっくりよ」
「うーん、やっぱり顔はのっぺりしているのかな? でも、おばちゃんの目はパッチリしているし、私と似てないよ」
「ユンはダンナに似ているからね。ちょっとあんたのほうが背は高いけど、体型もそっくり」
「もしかしてユンさんも寸胴なのかな……」
「ところで、これからどこに行くの?」
「明日はホーチミンだよ。ベトナムを南から北に縦断するの」
「えっ、それなら、私の娘に手紙を渡してくれる?」
「うん、いいよ。でもベトナム語もできないし、会えるかなあ?」
「ホーチミンの中心にある、大きいレストランで、アルバイトしているって娘からの手紙に書いてあったから」
「へえ、じゃあ、そのお店に行けばいいのね」
「うん、うちの娘、英語も日本語もちょこっと習っているから。そうそう、ユーはベトナム行ったら、アオザイ(ベトナムの民族服)作りな。きっと似合うよ」
さよならカンボジア
その日が2週間ほど滞在したカンボジア最後の夜だったので、屋台の主人である中国人のおじさんが空心菜炒めを大盛りにしてくれた上、お客が途切れると一緒に席に着いてビールを飲み始めた。
仲良くなった海外の旅人も寄ってくれて、星空の下、わいわいとサヨナラ大宴会になった。
屋台のおじさんがだいぶ酔っぱらって、ちょっと調子に乗ったのか、驚くほどの達筆で、伝票の裏に「我、君が恋しい」「花のように美しい」というような内容のメモをせっせと書いては私に渡す。
2週間前、おじさんはスタイル抜群のスイスガールに夢中で、地味な私になど見向きもしなかったのだが、毎晩、食べにきたお客なので、最後に少しは持ち上げてやろうと思ったのかもしれない。
のっぺり顔の私にも、ラブコールを送る男がようやく現れたかと思ったら、なじみの屋台のおじさんかあ、、、とぼんやり紙を眺めていたら、みんなに何と書いてあるのか聞かれた。漢文を通訳すると、おばちゃんは、まるで親戚のおばちゃんのように、いい加減なおじさんを叱るので大笑いになった。おじさんは、へへへと頭をかいて笑い、料理を注文したお客が待っているのにグースカ寝てしまった。
翌日、早朝にもかかわらず、おばちゃんはバス停まで見送りに来てくれた。サンドイッチの差し入れと、娘への手紙と妙な柄のTシャツのお土産を託され、バスに乗る私に「気を付けてね!」と声をかけた。そして、昨晩のように、窓越しにまた私の顔をまじまじと見つめて、今にも泣き出しそうな顔をした。
私は、ああ、こうやって見つめてくれるのが若い男子だったらロマンチックなんだけど……と不謹慎なことを頭の中で考えていたら、バスがひどいエンジン音をたてて動き出した。私は「きっと、手紙を渡すから!」と窓から首を出して言った。砂埃の舞う道で、おばちゃんは小さくなるまでずっと手を振っていてくれた。
次回、国境を越えてベトナムへ。巨大都市・ホーチミンで、おばちゃんから渡されたメモを頼りに、そっくり人間のユン探しを始めた私はついに……。インドシナ後編もお楽しみに。
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