さかもと未明さんは、20年以上も人気漫画家として活躍してきましたが、近年は音楽や絵の分野に活動の中心を移しています。そんなマルチな才能を発揮しているさかもとさんが描いた絵が、毎年秋に仏パリで開催される伝統の展覧会「サロン・ドートンヌ」に入選を果たしました。11月9日からは、現地で個展も開きます。入選作に加え、個展の展示作品の中から自ら4点を厳選。『おとなの週末Web』では、「画家・さかもと未明」の作品コメントとあわせ、パリの薫りが漂うその計5点を特別に公開します。
画像ギャラリー1903年創設、新進芸術家の登竜門
サロン・ドートンヌは、1903年に創設された歴史ある展覧会。毎年秋にパリで開催されています。意味は「秋の展覧会」です。フォービスムを世に送り出した場として知られ、新進芸術家の発表の場としても有名です。日本人ではこれまでに、藤田嗣治や東郷青児、佐伯祐三、ヒロ・ヤマガタら名だたる美術家が入選しています。
さかもとさんは、作品「Bateau L’avoir(洗濯船)」が、2021年のサロン・ドートンヌに入選。この作品は、10月28日から31日にかけ、パリ・シャンゼリゼの特設会場で展示され、多くの視線を浴びました。
膠原病を患い、「画家」へ
人気漫画家として一線を走り続けてきたさかもとさんが、現在の活動に軸足を移したのは、難病がきっかけです。2006年、膠原病を発症。一時は、余命の宣告を受けるほど病状は悪化します。手足に力が入らず、歩くことも困難になって、10年から16年の間は、活動がほぼ休止状態になりました。
しかし、この間に結婚した夫の献身的な支えや、女優の川島なお美さんら親友3人をがんで亡くしたことなどから一念発起し、不自由な手で版画の制作を始めます。17年には版画と油絵の作品展を、東京・銀座の老舗ギャラリー、吉井画廊で開催。画家としての一歩を踏み出しました。
この体調がどん底の時期に、歌手としてもデビュー。これまでにアルバムを3枚リリースしたほか、音楽家ミシェル・ルグランの息子で歌手のバンジャマン・ルグランとデュエット2曲を発表するなど、音楽分野でも精力的に活動しています。
画家としても、活動は順調でした。19年のホテル椿山荘東京での個展は大成功。その後も、米ラスベガスやパリでの個展が開かれるはずでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大でいずれも中止になってしまいます。
そんな逆風下、「第21回日本・フランス現代美術世界展」に応募し、入選。さらに、本場のパリにも挑戦したいと、サロン・ドートンヌに応募するために作品の制作にとりかかり、今回、見事に入選を果たしました。
「(サロン・ドートンヌには)昔から憧れていたから夢みたい。入選だけど、画家になるためのスタートラインにやっと立てたと思う」
10月27日のサロン・ドートンヌのヴェルニサージュ(オープニング、内覧会)に出席し、パリに滞在中のさかもとさんは、こう喜びを語っています。画家として生きていくことに自信を深めたと言います。そして、こんな思いを明かしてくれました。
「日本のことは好きだけど、日本でおさまるのは嫌なんです。日本人は自分をアピールすることが苦手だけど、私はアピールしかできない人間。だから、こっち(海外)では、私を受け入れてくれて、楽にいられます。でも、一方で、日本人であることの価値も求められる。海外でも活動することで、新しいものを生み出せたらいいなと思っています」
入選作と個展で展示する4点を合わせた計5点を、『おとなの週末Web』で公開します。さかもとさんの「自作を語る」とともに、お楽しみください。
Paris Map
今回の個展のメインとして制作、ギャラリーに特に気に入っていただいた絵。
今回の個展会場「ESPACE SORBONNE4」のギャラリー・オーナ―、アントニオ・フランチアさんは、絵をこよなく愛するイタリア文化会館の現役館長さんであり、大の日本びいき。もともと「日本人から見たパリ」というテーマで、パリの絵を中心に用意していた作品を見て、「さらなる日本色を出したい」と言いました。
その時は主に油絵のパリの風景が中心でしたが、彼の求める「さらなる日本的なもの」を意識したとき、「屏風や日本画などの技法を用いてパリを描こう」と思いました。
もともとそういう技法を意識していたので、古い屏風を集めて裁断し、パネルを作りました。これを作るのに大騒ぎ。リフォーム屋さんに「古い屏風は割れるんです、作業中に壊れても責任取れませんよ」と悲鳴を上げられながら切り出したものです。
でもいざ加工となると、本金の屏風ではなかったので、金箔風の襖紙の地色では満足できず、パネル全面を本金箔で貼り直しました。まだ金箔貼りは上手くないので、三重に貼りました(お金かかってます!)。
その本金加工のパネル面に、まずはセーヌ川を絵画的に面白くなるよう、少し歪めて描きました。それに対応するように道路地図も歪めつつ、けれども実際の道路の形を可能な限り正確に写し取り構図を決めていきました。
描き出すと時間がかかり、結局1カ月かけることに。また、セーヌ川をより美しく表現したいと、螺鈿(らでん)を貼り込みました。メキシコ産のブラックアワビという珍しいものです。これもとても高価!
最も苦労したのは金の雲で、螺鈿の厚みがあるため、川との境目に段差ができてしまいます。何回重ねて貼ってもきれいにならないので、工芸好きの知人に相談すると、「金箔は怖ろしく薄いから、何重に貼っても段差は埋まらない。パテでなだらかにしてから貼りなさい」との事。
「わじろ白土」という砂と膠(にかわ)、金の顔彩で金色のパテを作り、段差をなだらかにして、それが乾いてから金箔を貼りました。
正直「もう二度と描けない!」と思う私の代表作のひとつになったと思います。今回の個展のポスターなど広報に採用されましたが、当然かな、と出来には満足しています!
是非、本物をご覧いただきたい作品です。
Lapin Agile
こちらは、モンマルトルに今も残るシャンソンの老舗「ラパン・アジル」を裏手交差点から見て描いた作品です。
中古ではありますが、比較的新しいきれいな風炉先(ふろさき)屏風を手に入れたので、「何を描こうかな」と楽しみに考えていたところ、この場所がぴったりだとインスピレーションがおりてきました。
この店の取材で、長くモンマルトルに逗留していたので、まさにこの目線のままの、交差点の角にすわって、贅沢にもゆっくりスケッチを取りました。
元々そこからみた風景がとても好きで、この店ができた19世紀初頭にもあった葡萄畑と共に、この場所の風景を丸ごと収めたかったのです。そんな私には、横長の画面が幸いでした。
少し魚眼レンズで見たように画面の端に見えるものには傾斜を与え、横長の構図に収めるとともに、動きをだせたと思います。似た場所をユトリロも描いており、彼の絵にサクレクール寺院の塔の一部がのぞいて、私の絵にもちゃんと描かせていただきました。まさにモンマルトルの魅力がぎっしり詰まっている作品です。
UNE FEMME ET TOUR EIFFEL 一人の女とエッフェル塔と
とても仲の良かったフランス人の女友達が、アトリエを訪ねてくれた時に取ったデッサンをもとに描きました。彼女がつけていた赤いストールを中心に色付けしている間に、彼女の膝が右側に向かうのか、常に左向いているのかわからない、騙し絵のような面白みが出てきて、自分でとても好きな1枚です。
あくまでも赤が主役なので、それを引き立てて喧嘩をしないオレンジやピンクを周りに使って構成しましたが、今ひとつ面白みに欠けると感じたので、耳下の髪のひと房を緑にしました。
マチスが描いた女性の緑の鼻のようなものでしょうか。女性が華やかな分、エッフェル塔はグレーのシルエットで描きました。とにかく何かパリに関わる絵として制作するよう、画廊に言っていただいたときから、様々な偶然によりできた、お気に入りの作品。
Chat Noir a Montmartre モンマルトルの黒猫
これも手がかかった作品。銀箔をキャンバスに貼って、「よいテーマを思いついたら」と2年も放っておきましたが、コロナで人気のないモンマルトルの丘の頂上近くを歩いていた時、黒い猫がさっと現れ、私の方を射すくめるようにして暫く止まって見た後、身も軽く姿を消しました。
「モンマルトル」「黒猫」と言えば思い出されるのが、ロートレックが描いた有名なキャバレー「CHAT NOIR」の看板。黒猫だけのもののほかに、人気歌手だったアリスティード・ブリュアンが、トレードマークの赤いスカーフに黒い帽子で登場するバージョンも有名です。
そんな100年前の人物にさえふと出くわしそうな古色蒼然たる、でも、とても洗練された文化的な雰囲気がモンマルトルにはあります。その雰囲気を表現したくて、銀箔の上にクラックベースを使い、ダークグレーのひび割れた地の色を塗り、更に明るいグレーを塗り重ねて、街の風合いを出しました。ひび割れの向こうに銀箔の輝きが残り、何とも言えない味わいがある作品です。
Bateau L’avoir
この作品は、11月9日から始まる個展にはありません。個展開催前の10月28日から31日まで、パリ・シャンゼリゼで開催された秋の風物詩「サロン・ドートンヌ」に入選した「Bateau L’avoir (洗濯船)」 です。
「洗濯船」と言っても意味か分からない方が多いでしょう。1881年、19世紀末に生を受けたパブロ・ピカソは、20歳で絵を志してパリに移り住みます。そのころ、先輩たちを訪ねたのが「洗濯船」という建物。当時は画家たちの共同アパートのようになっていました。ピカソは20代の中ごろからここにアトリエを構え、有名なキュビスムの傑作「アビニヨンの娘たち」もここで描きました。
当時からボロボロで、今にも崩れ落ちそうに歪んだ2階建てアパートの形が、セーヌ川にひしめいていた「洗濯用のボート」に似ていたことからつけられた呼び名です。そのころ人々は、石鹸ではなく、灰を使って衣服の汚れを落としていました。灰が船の中央に置かれていて、そこから洗剤としての灰をすくい、使用料を払ってセーヌ川で洗濯をして、船底や甲板に洗濯物を干して乾かす。そんな生活習慣だったようです。
その「洗濯船」に似たアパートは、1970年代に火事で焼失。今はホテル「Timhotel Montmartre」に隣接して、跡地の記念碑がわりの緑のショーウィンドウが残るだけですが、さすが世紀の画家たちを生んだ土地の前にある広場は何とも言えない雰囲気に満ちていて、そこにある木々も枝ぶりが印象的。そのパワーを表現したいと、描いているうちに、このような絵になりました。
ピカソゆかりの場所を描いた絵でドートンヌに入選でき、とても幸せです。
パリの個展情報
11月9日から23日まで、パリのアートギャラリー「Espace Sorbonne 4」で開催。オープニングパーティーは11月9日で、15時、16時、17時、18時から各20分ほどコンサートが行われます。バンジャマン・ルグランBenjamin Legrand、イヴ・マチュー Yves Mathieu(歌手)、フレデリック・トマ Frederic Thomas(歌手)ジャン=クロード・オルファリ Jean-Claude Orfali(ピアノ)、日本からバンドネオンの小川紀美代 Kimiyo Ogawaが出演し、インスタ・ライヴも予定しています。
2022年にはパリのマレ地区で開催される「パリ国際サロン展」(2022年2月3日〜6日)に推薦出品で3点が展示されます。
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