世界一と言っても過言ではない、美食の都市・東京。毎年、いや毎日そのどこかで新店が誕生している。その一方で、閉店してしまう店もまた多い。人気が出なかった、ライバルに負けたなどその理由は様々だが、せっかく築いた城ながら「後継者がいない」と言うものもある。この連載では、主に東京で、かつても今も人気を博しながら、その後継者不在から当代限りで閉店を決めている店主に取材。料理人としての矜持や喜び、飲食業の厳しさなどを伺いつつ、日本の食についても考えていきたい。
画像ギャラリーどこにでもある町中華だけど……そこにはオンリーワンの味が
長年愛される店というのは、佇まいも姿勢も、店主の生き方そのものだなあと思う時がある。もはや分身なんじゃないか、とも思う。
その店は、真っ赤なひさしの看板に『中華料理 八龍』と書かれたシンプルな文字が実直な旨さを予感させた。ガラス戸を開ければ、簡素なカウンターとテーブル席。古くても、掃除が行き届いた厨房。整然と積み上げられた食器の向こう側から、ジャッジャッジャッと鍋を振る心地いい音が聞こえてくる。
正直に言ってしまえば、どこにでもある昭和の町中華。けれど、どこにもない存在。ここでしか味わえない名物がある。
それは、テレビや雑誌で幾度となく紹介され、月イチで食べる芸能人もいるほどファンが多いこの店の代名詞。感動的に旨いというよりも、気づけば無性に食べたくなる中毒的な味らしい。一体どんなもんなのか。頭の中で妄想が膨らんで膨らんで、破裂寸前となったある日のこと、B級グルメ好きの仲間の情報で知ってしまったのだ。今の店主の後を継ぐ人がいないということを。
そうと聞けば、もう矢も楯もたまらず足が急いでいた。場所は東京都杉並区、JR西荻窪駅から徒歩3分。若者に人気の吉祥寺と荻窪の間にある、素朴で落ち着いた町だ。で、冒頭に戻ろう。今、この店のカウンター席に座っている。
挽き肉、ニラ、ネギを卵でとじた餡……まるで未知の小宇宙
目の前に運ばれたそれは、見たこともない丼だった。ご飯を覆い尽くす、挽き肉、ニラ、ネギを卵でとじた餡。複雑に入り混じる茶、緑、黄の色彩が、まるで未知の小宇宙に見える。
熱々をハフハフ。口中を席巻する素材の旨み、香味。後から押し寄せるピリッと辛い豆板醤の刺激。ぐうぅ。催促するかのように鳴るお腹の音に、レンゲを持つ手の動きが速くなる。濃厚な餡のとろみがご飯と絶妙に絡み合い、みるみるうちにエネルギーが体中に充満されていく。完食後は、格闘技の試合後かのような達成感。額にうっすら汗が滲む。
“台湾丼”(850円)。なぜその名にしたのかと聞けば、「地名が付いていると覚えやすいでしょ」と店主の渡辺喜彦さん(68)はいたずらっぽく笑った。30年近く前、働いていた中華料理店の親方と一緒に考えたのだという。1995年に独立し、ここ西荻窪で始めた自身の店で提供したところ、興味を引くネーミングとヤミツキになる味わいが人気となって名物に躍り出た。これしか食べない常連客もいるという。
「味の決め手は具材を炒める時に入れる豚骨スープ。それがうちの料理の基本だよ。豚ゲンコツを香味野菜と一緒に煮込んで毎日仕込む。豚足やアバラも入れない。ゲンコツだけの方がクセのない味になるからね。脂っぽくて濃過ぎてもダメだし、サッパリし過ぎてもラーメンが美味しくなくなる」
「この仕事は利口じゃやらない、馬鹿じゃできない」
ラーメン、チャーハン、カニ玉、五目焼きそば……。メニューはざっと数えただけでも50種類以上ある。数が多ければ仕込みが増えるのも当然。出前だってやっている。毎日、朝早くから夜遅くまで黙々と働き続けるのは、好きじゃなければできない仕事だ。取材時も、営業時間を終えたというのに、一度も座ることなく仕込みの野菜を切っていた。独立して26年間、いやそれ以前に働いていた店の頃から、ずっとこんな感じだったんだろう。
「この仕事は利口じゃやらない、バカじゃできない(笑)」
その言葉が、すべてなんだと思う。
「格が違うかもしれないけど、町中華はフレンチと同じで、仕事時間は長いし仕込みは多くて面倒。それなのにこっちは儲からないからね(笑)。昔ながらの個人店は無くなる一方でしょ? 仕込みにそれほど手間が掛からないイタリアンとかは料理人の成り手がいて人気のようだけど、町中華はやろうという人がいない。簡単なようで難しいから、誰かにやらせても潰れる方が圧倒的に多い。だったら自分の代でやめようと決めたんだ」
はっきりとは言わないけれど、決断に葛藤がなかった訳ではないはずだ。店は家族経営。実は出前などの仕事を手伝う息子さんはいる。彼にこっそり聞いてみると、困ったような顔でこう話してくれた。
「毎日、朝早くから店に出掛けて行って、夜遅くに家に帰ってくる父の仕事を近くで見ていたら、自分が継ぎたいとはとても思えなくて……」
真面目にやればやるほど、続けることの大変さがつきまとう。息子には無理に継がせたくないという思いが、渡辺さんの決断の言葉から痛いほど伝わってきた。この店だけじゃない。家族経営の町中華が、次世代へと受け継がれていくことの難しさ。
15歳で上京、料理の道へ
新潟県出身の渡辺さんは、15歳で上京した。蕎麦屋で働いていた時に中華料理店を営む親方と出会い、蕎麦の道から中華へと方向転換。親方や仲間と共同で系列店を始めた。それぞれが店主として『八龍』の名で経営し、昭和の全盛期には赤坂や六本木、大宮などで5店舗を展開していたという。
「5人のうち3人はもう亡くなった。ギャンブルと酒が好きで、仕事後は夜中まで寝ないで遊んでいたからね。やっぱりそれじゃ続かない。病に倒れちゃってね。当時の『八龍』としては大宮の店だけが残ってるかな」
今でこそ営業時間は日にちをまたがないが、50歳頃は夜中3時頃までやっていたそうだ。当時は住んでいた千葉・九十九里浜からバイクで通う日々。朝の通勤時間帯は片道1時間半かかることもあった。曰く「根性がなくなって(笑)」、店の近くにアパートを借り、週のほとんどはそこに寝泊まりした。
「休みの日も店に来てる。今も来ない日はほとんどないよ。だって最高だもん。誰もいない店内で黙々と仕込みをしている時が、一番落ち着くから」
好きな店が自分の町にある幸せ
この人は本当に、仕事が、店が好きなんだなあと思う。話を聞いていると、よく分かる。そして西荻窪という町の魅力も、今まで店を続けられている理由なのだと教えてくれた。新宿や渋谷といった都心とは違う、地元ならではのホッとする“町”の安心感があるのだという。
「常連のお客さんが会社帰りにうちに来て、ここなら大事な鞄を置いたままでもトイレに行ける、って言う。都心の居酒屋では絶対できないよね。西荻なら平気なんだって」
『八龍』は常連客にとって職場や家ともまた違う“居場所”だ。店は単に飲食を提供するだけの存在ではない。好きな店が自分の町にある意義は大きい。
年に200日以上通ってくる客も 常連の存在の大きさ
「旨い料理を出せば流行るだろうけど、店は味だけじゃないんだよね。嫌なお客さんや、気の合わない人がいないってことも大事。うちはお客さんが皆いい。年200日以上通ってくれる常連さんもいるよ。1回1000円使ってくれたとしても、店は25年以上やってるから使ってくれたお金はもう500万を超える。ありがたいよね。コロナ禍でも売り上げがあまり落ちなかったのは、常連さんの存在と、出前をやっていたおかげ。やっぱり餃子が一番よく出るね」
そう言って作ってくれた餃子(450円)は、ひと皿に大ぶりが5個。きつね色が見るからに美味しそうだ。特注の皮の中には、挽き肉、キャベツ、ニラの餡がズシリと入っている。かぶりつけば、じゅわっとあふれるジューシーな旨み。結構なボリュームの台湾丼を食べたばかりなのに、2個、3個、もう1個……。ビールが進む。はああ、やっぱり熱々の餃子と冷えたビールは旨いよなあ。
「75歳までは続けようと思ってるよ」
「野菜はあえて水分を絞ってないから、旨みが残ってるでしょ?」
赤いポロシャツ姿で自慢気に笑う表情はとても若々しいけれど、今年68歳。常連客からは「無理はしないで。夜遅くまで営業しなくていいから、長く続けてね」と頼まれているそうだ。重い中華鍋を軽いチタン製に変えて負担を減らしたのも、毎日5分のストレッチを欠かさず健康に気を付けているのも、店をリニューアルしようと決めたのも、そんな声に応えるためなのかもしれない。
「75歳までは続けようと思ってるよ」
21年11月、“分身”の店は、壁紙の張替えなど内装が一新された。ご本人も改装中の休みで少しはリフレッシュされたかな。「もう68歳」じゃなくて、「まだ68歳」。本当は75歳までなんて言わずにもっともっと続けてほしいけれど、言うだけは簡単。その言葉は、心の中にしまっておいた。
『中華料理 八龍』の店舗情報
[住所] 東京都杉並区西荻南2-22-3
[電話] 03-5370-1720
[営業時間]12時〜15時、17時半~22時 ※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、営業時間は異なる場合があります。
[休日]木、水は不定休
[交通]JR中央線ほか西荻窪駅南口から徒歩3分
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。
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