国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。人気連載「音楽の達人“秘話”」は、今回から大滝詠一(1948~2013年)のシリーズが始まります。1970年代後半から80年代を中心に生み出された数々の名曲は色褪せず、今もなお多くの人を魅了しています。ただ、自身のアルバムを発表したのは、84年の『EACH TIME』が最後です。以後、どうして新たなオリジナル・アルバムを制作しなかったのか。2021年は、日本の音楽史上に残る名盤『A LONG VACATION』(ア・ロング・バケーション)のリリースからちょうど40年。この節目の年の終わりに、そして12月30日の命日の前に、その理由を考えます。
画像ギャラリー音楽だけでなく、生き方に影響を受けた「師匠」
生きていく上で師と呼べる存在は大切だ。様々な道を示してくれる導師は、何も直接的に指導してくれる人とは限らない。自分が勝手に師と決め、その言動を人生という道をゆく指標にさせていただければ良いのだ。心の師で良いのだ。そういう人~師がいると、何か困った時や思考がいきどまった時に、師ならどうお考えになるだろうかと発想できる。そういう存在が何人かいると人生の迷いは少なくなる。
ぼくが音楽シーンで勝手に師と仰いでいるのが西岡たかし師匠と大滝詠一師匠だ。おふたかたは素晴らしい音楽を残すだけでなく、その生き方がぼくに感動を与えた。おふたかたはとにかくGoing My Wayなのだ。妥協をしないで人生をどう生きるか、それを教えてくれる師匠なのだ。
布団をかぶってFENを聴いた少年時代
大滝詠一は1948年7月28日、岩手県で生まれた。幼い頃から音楽好きだった。いわゆる昭和歌謡からスタートして洋楽をFEN(米軍極東放送網のこと。1997年からはAFNに改称)などのラジオ放送で聴いた。
“まだ民放AMが深夜放送をやっていない頃、夜中に、家族に知られないように布団をかぶってFENを聴いてたね”と幼い頃の音楽体験を教えてもらったことがある。
ぼくもそうだったが団塊世代の音楽少年はラジオを聴いて必死でメモを取ったものだ。例えばヒットチャートの分かるラジオ番組なら今週の10位から1位までをDJが紹介するのを書き取る。コンピュータはもちろん、カセットデッキさえ無かった時代、耳で聴いてメモを取るしか記録の方法は無かったのだ。
不便な方法ではあったが、記録を手で行うと記憶には役立つ。大滝詠一のヒットチャートのランクなど尋常ならざる記憶力は幼い頃のラジオの書き取りにあったと思う。
“音楽を作ることはミュージシャンとして好きだけど、その前に音楽ファンとしての自分がいるんだな。音楽を聴くということは、自分をワクワクさせることなんだ。このワクワク感は何十年過ぎても忘れられないね”
そう語った大滝詠一は永遠の音楽少年として生き続けた人だと思う。音楽が生活の手段でなく、音楽に寄り添い、ファンでいることを選んだ人生だった。そこが大滝詠一という音楽人の素晴らしさであり、ぼくが師と仰ぐ理由のひとつになっている。
『A LONG VACATION』が大ヒット ファンやレコード会社は新作を望んだが…
1981年、『A LONG VACATION』が大ヒットして大滝詠一はスーパースターの仲間入りをした。その3年後、1984年の『EACH TIME』は自身初のオリコンチャートNo.1となった。しかし、『EACH TIME』以降、生涯、オリジナル・アルバムがリリースされることは無かった。だいたい、1972年のソロ・デビュー作『大瀧詠一』に始まったオリジナル・アルバムは、合計6作しかリリースされていない。
普通、ヒット・アルバムが出たら少なくとも数年に1枚、多くの場合は年に1作くらいのアルバム・リリースが続く。しかし大滝詠一は、度重なるファンやレコード会社の新作レコーディングの願いを叶えることはしなかった。
『EACH TIME』が発表されて随分と時が過ぎた頃、あるラジオ・スタジオで大滝詠一とばったり会った。しばし雑談をした後に、何故、ニュー・アルバムを作らないのか、新作が出ればヒット確実なのにと問うた。
“岩田クンはさあ、俺がいわゆる大ヒットを出す前から知っているよね。だったら分かると思うんだけど、金が欲しくて音楽を作ってるわけじゃないんだよな。そりゃ、生きてゆくのに金は必要だし、俺の趣味を充実させるのにお金は必要だ。でも必要以上に欲しいとは思わない。だから生きてゆくのに、趣味をやるのに、お金が原因で困ったらアルバムを作るかも知れない。でもそうならないと思うし、そうなるまではミュージシャン=レコード・リリースで無い形で音楽を紹介してゆきたいね”
大滝詠一にとって、人生の多くは趣味のためであり、その主たる趣味は音楽だった。趣味だからこそ、それは聖なるものであって安易な金儲けの手段にしたくなかったのだろう。そういう人だから、ぼくは師匠と呼びたいのだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
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