アフリカの凸凹道をバスで抜けて、私はようやくキリマンジャロのふもとの町、モシにたどり着いた。さっそく有名なキリマンジャロ・コーヒーを飲める喫茶店を探しに出かけたのだが、まさかの大苦戦。見つからない意外な理由とは……。
キリマンジャロ・コーヒーが飲みたくて
ルワンダからバスを乗り継いで、キリマンジャロ登山の基点となるモシという町に到着した私は、安ホテルを見つけてチェックインした。
そして共用のシャワー室で埃だらけの頭を3回ほどガリガリと洗い、着ていたものをバケツで洗濯して窓辺に干し終えると、バタンキューと寝てしまった。どのくらい寝ていただろう、気がつけばすでに夕方であった。
私はモシでやりたいことがあった。それは、「キリマンジャロを見ながら、本格的なキリマンジャロ・コーヒーを飲むこと」である。むくりとベッドから起き上がり、窓から首を伸ばすと、朝には見えていたキリマンジャロは雲に隠れていた。けれど、眺めのよいカフェだけでも見つけておきたいと外に出た。
今では東アフリカの各地でドリップ式のコーヒーが気軽に飲めるカフェが増えたと聞くが、私が旅をしていた20年ほど前は、よほど大きな町や観光地でもなければ、おしゃれな外国人向けのカフェを見かけることはなかった。
日本を出て早や1年。私が旅してきたユーラシアや中東はずっとお茶文化であった。だからこそエチオピアのカフェでようやく本格コーヒーを味わえた時は本当にうれしかったのだ。エチオピア同様、キリマンジャロは一大産地、きっととびきり旨いコーヒーが飲めるカフェくらいあるに違いない。そう信じてはるばるやってきたのだ。
地元の人は飲んだことがない?
ところがである。町中を歩き回っても、なかなかカフェらしきものがない。
レストランと兼ねているのかもしれないと思い、地元の人が集まる定食屋に入り、「キリマンジャロ・コーヒーを飲みたいんだけど」と、店のおばさんに聞いてみると、「ないよ! チャイならあるけど」とけげんな顔をされてしまった。確かに、皆、甘そうなチャイをすすっている。
諦めきれない私は、隣のレストランでも聞いてみようとドアを開けると、おじさんが大きなスープ鍋をお玉でガシガシとかき混ぜていた。「なさそうだなあ」と思いつつも、おじさんと目が合ったので、ダメ元でキリマンジャロ・コーヒーがあるか聞いてみると……。
「あ? コーヒー? あるよ」
「本当? やった!」
店内を見渡しても、ドリップの器具はないが、きっと調理場で今、ガリガリと豆を削ってくれているのだろう。しかし、運んできたお盆を見て絶句した。なんとそこには、お湯だけ入ったマグカップと、砂糖の壺、そして粉末コーヒーのインスタント缶が乗っていた。私は思わず日本語でつぶやいた。
「コレじゃない……」
おじさんは、「自分で好きな量を入れていいんだぜ」と無造作にテーブルに並べていく。確かに、タンザニアで作ったインスタントの粉末なら、これもキリマンジャロ・コーヒーなんだろうけど。
ううむ。缶を手に取った私に、おじさんはさらに衝撃のひと言を放った。
「日本人? 豆で入れるキリマンジャロ・コーヒーはここらにはないよ」
「えっ!? 何で?」
「この間もね、日本人が来て聞かれたんだけど、豆は、高く売れるから外国に行っちゃうんだ。タンザニアでも高級レストランとかホテルとかにはあるかもしれないけど。このへんの地元の人はインスタントしか飲んだことない人も多いし、普段はもっぱらお茶だよ」
そうだったのか! 残念だけど、今日のところはインスタントを味わおうと、粉をパラパラと入れてかき混ぜると、それはそれで実家で飲んでいたネスカフェの味がして懐かしかった。
キリマンジャロに登らないかい?
真っ赤な夕焼け空の下、とぼとぼと来た道を引き返す。美味しいコーヒーが飲みたくて、ここまで来たのに。おじさんは、ああ言っていたが、この町のどこかにあるかもしれない。ホテルまで戻ると、陽気なスタッフのお兄さんにスワヒリ語で「マンボ!(こんにちは)」と呼び止められ、流暢な英語で話しかけられた。
「ねえさん、明日、どこ行くの?」
「明日もポレポレ(ゆっくり)と、キリマンジャロ・コーヒー探しだよ」
「ははは。それは日本に帰ったら飲めるんじゃない?」
「いや、キリマンジャロを眺めながら飲みたかったの」
「それなら、そのキリマンジャロに登らないかい? 景色いいよ~ 楽しいよ~」
お兄さんは、まるで高尾山にでも誘うかのように、キリマンジャロを勧めてくる。標高5895mのアフリカ最高峰の山で、確か、ヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』の出だしには、凍り付いたヒョウの死体があると書かれていた。探検隊クラスの本気の人しか入山できない幻の山。そんなイメージがあった。
「無理だよ。それに私、サンダルだし」
「全部、貸してくれるよ。すぐそこの山ショップを見に行かない? 写真もいっぱいあるからさ」
「へえ、アフリカの登山道具店? 一度、覗いてみたいね」
お兄さんに連れられて行った店は山道具店ではなく、キリマンジャロ登山ツアーの事務所のようであった。棚にはレンタル用の古びた登山道具がぎっしりと並び、世界各地からやってきた外国人がリュックや靴を試し履きしていた。
コカ・コーラ? それともウイスキー?
店の奥からアフリカ版・山男といった感じのごつい山オヤジが出てきて、私に登山アルバムをどっさり運んできた。絶景の写真を眺めているとウズウズする。「まあ、まあ。ゆっくりしていって」と、チャイも運ばれてきた。とりあえず長居をさせようという作戦のようだ。
ちょうど、キリマンジャロ登山から戻ってきた西洋人の一行が道具を返しに店に入ってきた。「どうだった?」と聞くと「楽しかったよ! 4泊5日だったけど、高山病にさえならなければ、道はきれいに整備されているから問題ないよ」という。
私は腕を組んで考えた。標高6000m近い登山なんて考えたこともなかった。学生時代、標高3000m級の日本のアルプスの山々を歩いてきたが、キリマンジャロと比べたら約半分ほどの標高である。キリマンジャロの山頂はどんな世界なのか。登れるものなら登ってみたい。
日本から行くキリマンジャロ登山ツアーは往復の飛行機代を入れて50万円以上かかる。しかし、ここからなら、レンタル代や小屋代や食事、ガイドさんやポーターさん、パーミット(登山許可証)などを入れて約5万円ほどであった。揺れる山女心を見透かした山オヤジは鼻をふくらましながら言った。
「どう? もし、高山病になったら、さっさと下山すればいいさ」
「うーん、私、日本で山小屋のバイトしていただけに、山の怖さは知っているからなあ」
「なんだ、姉さん、日本でも山登りしてたの? それじゃコースを選べるよ」
「へえ、どんなコースがあるの?」
「ひとつは、コカ・コーラルート、もうひとつはウイスキー・ルート」
「だいぶ、ふざけた名前だね」
「コカ・コーラは整備されたライトな道。夜は山小屋だし快適だよ。ウイスキーはワイルドな道でちょっと酔う。アメリカ人とドイツ人に人気で、テントで寝るんだ」
「うーん、説明がざっくりしてるなあ。ちょっと地図を見せて」
「コカ・コーラなら、明日、いろんな国の人の混合ツアーが出るけどどう?」
「え、明日?」
「明日のガイドのロビンを紹介しよう。おい、誰か外にいるロビン、呼んできてくれ! 彼は23歳のいいやつだよ」
若い! どうしよう、てっきり髭ヅラのニッカポッカが似合いそうな山おじさんだと思っていたのに! 私は急にテンションが上がった。もし、かっこいいガイドさんだったら、山登りも楽しいだろう。ちょっと期待して入り口に目を向けたが、ロビン君が登場した瞬間、思わずのけぞった。
遊び人風の真っ赤な背広のポケットに手を突っ込んで、耳にはピアス、首元にはタトゥー、そしてギラギラの鎖のついたカバンを持っている。イヤホンをして、くちゃくちゃとガムを噛んでおり、どうにもチャラすぎる。
三流ホストとチンピラとナンパ師をごった煮にしたような雰囲気に、思わず私は細い目をさらに細めてジロジロと彼を眺めた。今日のインスタントコーヒー同様、私の頭の中で「この人じゃない……」という言葉が反復する。
「うーん、山に登るタイプには全く見えないんだけど」
「姉さん、こう見えてもロビンは11歳からポーターをしていて、ガイドになってからは150回も登頂してるベテランなのさ」
「そうなの? 本当~?」
あからさまにテンションが急降下した山女心を察知した山オヤジは慌てて言った。
「おい、ロビン、腕、腕まくれ!」
そうオヤジに言われたロビン君はニコニコと腕をまくり、言われないのに足の裾もめくった。すると、ド派手スーツの下から、浅黒い筋骨隆々の手足が現れた。これだけで腕のいいガイドかどうか判別はつかないが、山によく登っていることは確かだろう。
「本当にガイドさんなんだ……」
「よし、決まった! 姉さん、明日な!」
「え、うん、まあ、じゃあ……よろしくお願いします」
思わず、押されてうなづくと、なぜか山オヤジやロビン君たちよりも先に、チャイを飲んでいたホテルのお兄さんが「よっしゃあ!」とばかりに飛び上がって体をよじった。
そして急に強気な顔をして、「今夜は姉さんの出発祝いだ! 俺のおごりで一緒にディナーを食おう」と、顎をしゃくった。きっと私をここに連れてきたので、後で山オヤジからマージンをたっぷりもらうのかもしれない。
私がツアーの契約を済ませ、ザックや靴を選んでいると、お兄さんはすでに店の前にある屋台に先に座って地元の人に混じり鼻歌混じりにビールを飲んでいた。屋台の食事メニューは70円の定食、ワリニャマのみ。ワリとはご飯、ニャマは肉という意味だ。パサパサしたご飯に、肉を煮込んだトマトベースのスープをかけて食べる。スパイスがきいて香りがいい。
外はすっかり日が落ち、一番星が光っている。赤道直下とはいえ高原なのでタンザニアの夜は涼しかった。「見上げてごらん、月がきれいだぜ」とお兄さんはロマンチックに夜空を指さすのだが、私はうなずく代わりに口から小石をペッ!と吐き出した。
アフリカの屋台では珍しくないのだが、ご飯に砂や小石が時々、混じっていてじゃりじゃりしていることがある。私はスイカの種のように石だけ吐き出すのが、いつのまにか上手になっていたのだ。
次回はいよいよキリマンジャロ登山。月夜の美しい晩にいざ山頂へ! タンザニア後編もお楽しみに。
文/白石あづさ