浅田次郎の名エッセイ

浅田次郎の「勇気凛々ルリの色」セレクト(17)「邂逅について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第17回は、思いがけない出会いに関する考察と浅田さんの身に起こったある「邂逅」の顛末を。

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「邂逅について」

「邂逅」と「遭遇」の違い

バッタリと出会うことを「邂逅」といい、「遭遇」という。

1995年版『大辞林』に拠れば、両者はともに「思いがけなく出会うこと」であるが、これではチト説明が足らん。

一方、昭和39年版『広辞苑』を引くと、「邂逅」は「思いがけなく出あうこと」とあり、「遭遇」は「思わずあうこと」とある。

さすがに古い辞書は賢い。もちろん『大辞林』より『広辞苑』がすぐれているというわけではないが、時流に則して百科事典化していない分だけ、古い辞書が言葉にこだわっていることは確かである。

辞書に頼らず、人生経験に照らし合わせて考えれば、要するに「邂逅」は「会いたかったヤツとバッタリ出会うこと」であり、「遭遇」は「会いたくないヤツとバッタリ出会うこと」であろう。当然、現実生活における頻度は、後者が圧倒的に多いことは言うまでもない。けだし人生は皮肉なものである。

さて、私は過日、極めて喜ばしい「邂逅」を体験した。

親しくしている某誌編集者から連絡があり、広告担当の課長O氏が拙著の愛読者なので、ゼヒ一度お食事でも、という。

私にとって愛読者はすべて恋人同然である。で、とるものもとりあえず赤坂の小料理屋へと出かけた。みちみち編集者は言った。

「O君はともかく浅田さんの小説の大ファンで、ぜーんぶ読んでるんです。きっと今か今かと、ドキドキしながら待ってますよ」

私もドキドキしていた。愛読者と会うときはいつも胸がときめく。

「いやァ、実は彼、最新刊の『天切り松 闇がたり』をまだ読んでなくって、きょうは昼間から首っぴきで読んでましたよ。読了後の興奮さめやらぬままに作者と会うんですから、さぞかし感激するでしょう。何しろ自他ともに認める浅田マニアですからね」

私は顔はデカいが案外気は小さいので、「自他ともに認める浅田マニア」にひどくプレッシャーを感じてしまい、ややおよび腰で料理屋の暖簾をくぐった。

邂逅の瞬間は目に灼きついている。

広告課長O氏は白木のカウンターに長身を折り畳むようにして、盃を舐めていた。出版社員には珍しい真白なワイシャツと端正な背広姿が印象的であった。

「だ、だれだ、てめえは」

「お待たせしました」

「ああ、どうもわざわざ。恐縮です」

立ち上がったO氏と正対したとき、私はギクリとした。どこかで見憶えのある顔だ。

もちろん広告担当者と作家とは日ごろ無縁である。だとするとこれは何かの因縁──「邂逅」か「遭遇」だとすれば、私の場合は人生経験を踏まえた確率上、「遭遇」にちがいない。

しかし、まだ正体のわからぬうちに走って逃げるのも何なので、とりあえず青ざめたまま座敷へと上がった。

向き合って座った。と、O氏の表情も青ざめている。明らかにひいきの作家と会った緊張などではない。彼もまた私の顔をマジマジと見つめながら、「邂逅」か、すわ「遭遇」かと思いめぐらしているふうなのである。

座敷は茶室のように狭く、おたがい逃げ場はなかった。

思い出せぬ。どうしても思い出せぬ。だがまちがいなくこの男とは、かつてどこかで、それもかなり親しい距離で会っている。

名刺を交換するまでの数秒間が、1時間ぐらいに感じられた。吹き出る冷や汗の中で私が思いめぐらした可能性は、ざっとこのようなものであった。

①かつて大金を踏み倒した相手。

②かつて大金を踏み倒された相手。

③女をめぐって揉めたヤツ。

④インチキ麻雀でハメ殺した男。

⑤東京競馬場のパドックで会った名も知らぬ馬券師。

⑥ゴム相場でハメられたときのセールスマン。

⑦ネズミ講の残党。

⑧改心した極道。

⑨かつて歌舞伎町の路上でボッコボコにしたヤツ。

⑩かつてミナミの路上でボッコボコにしようとしたら、逆にボッコボコにされちゃったヤツ。

……etc.いずれにせよ、ロクな相手ではない。

すると、彼もまたどういう人生を歩んできたのかは知らんが、私に対して相当のマイナス思考をたくましゅうしていると見え、顔色は青さを通りこして黒ずんできたではないか。

名刺入れを取り出そうとして内ポケットに手を入れたとたん、殺気を感じて同時に立ち上がった。

(……だ、だれだ、てめえは)

O氏の目も言っていた。

(だれなんだ……おまえ、だれなんだ)

ただならぬ気配を察知した編集者が、おろおろと言った。

「アレ、Oさんと浅田さん、お知り合いですか?」

私たちは睨み合ったまま、ゆっくりと首を横に振った。そして、O氏はピストルを出さずに名刺を出し、私はピストルを出さずに名刺を出そうとして、まちがってハズレ馬券を出してしまい、フッフッと笑った。

苦笑ではない。私が優位に立っていることに気付いたのである。つまり、名刺に書かれている私の名前はペンネームであり、O氏のそれは本名にちがいなかったから。

O氏がさめざめと泣いたわけとは!?

名刺をひとめ見て、私は思い当たった。「T・O」──彼は名門駒場東邦中学の同級生だったのである。

そうと気付いてみれば、O氏は30年前の顔形とどこも変わってはいない。大柄な体も天然パーマも、そっくりそのままだ。

「おまえ、わかったぞ!」

と、私は叫んだ。とたんにO氏は肩で息をしながら壁ぎわまで後ずさった。

「Oだろ! そうだよな。おおっ、ここで会ったが百年目! 俺だよ、オレ、わかるだろ!」

わかるはずはなかった。紅顔の美少年そのままのOに引き較べ、私の頭はすっかりハげ、体は肥え、メガネをかけ、のみならず名前まで変わっちまっているのである。

自分で言うのも何だが、また挿絵からはにわかに想像できぬであろうが、私はかつて藤井フミヤとうりふたつの愛らしい少年だったのである。

「俺だァー、オレだよー! 思い出せ」

興奮のあまり胸ぐらを摑んでゆすり立てると、抵抗するO氏の腕からフッと力が脱けた。

「……もしや、○○?」

「そうだよ、そうだよ」

「……あの、ブラスバンドの? ……授業中にいつもエロ小説書いて回してきた……」

「そうそう。そんで今も小説書いてるんだ」

「日本史の時間に、石田三成が淀君を強姦するって小説書いて……ああ、あれは毎週連載だった……ううっ」

 O氏は私の腕を握ったまま、さめざめと泣いた。

「おい、何も泣くことないだろう。30年ぶりの邂逅がそんなに嬉しいか」

「……いや、そうじゃない。俺はきょうの昼間、『天切り松 闇がたり』を読んではからずも泣いてしまった。おまえの小説で泣いたと思うと、情けなくって涙が出る」

私たちはそれから、仲介の労をとってくれた編集者をほっぽらかして、夜の更けるまで旧交を温め合った。語るほどに、見つめ合うほどに、30年は1日のごとく思い起こされた。

かくて30年間行方不明、生死なお不明であった私は、O氏の呼びかけで開催されたクラス会に招かれることになるのであるが、その模様はまた後日に書く。

ところで、私の机上には常に2冊の辞書が置かれている。

1冊は最も新しく刊行されたもので、こちらの方は毎年のように買い替えられて行く。

もう1冊は昭和39年版の『広辞苑』で、これは30年間使いっぱなしのボロボロである。

最新版の辞書で情報を引き、古い辞書で言葉を引く。

日々めぐりあう新しい情報はかけがえないが、旧(ふる)い言葉はありがたい。思えば昭和39年は、私が中学に入学した年である。

(初出/週刊現代1996年11月9日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブ

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