驚異の90分間ワンシーン・ワンカット その場にいるような没入感 本作には、演出面で大きな特徴があります。約90分間の本編の間、ワンシーン・ワンカットで撮影されている点です。つまり、カメラを途中で止めない“ノーカット”で、…
画像ギャラリー7月15日公開の映画『ボイリング・ポイント|沸騰』は、英ロンドンにある実在のレストランを借り切って撮影された臨場感あふれる映像で、観客を圧倒します。監督は元シェフ。厨房に立つシェフやスタッフはどんな思いで、調理し、客に接しているのか。高級レストランの混乱の一夜を、さまざまな人間模様を織り交ぜて描く迫真のドラマです。
監督の友人の人気レストランが撮影現場
ロンドン東部のダルストン地区にあるカジュアルなレストラン「ジョーンズ&サンズ」。日曜日は、人気の「サンデーロースト」を目当てに、多くの客で賑わうそうです。ダルストン地区は、クリエイターらが集まる流行に敏感なエリアとして知られています。
フィリップ・バランティーニ監督の『ボイリング・ポイント|沸騰』は、この実在のレストランで撮影されました。レストランのオーナーは、バランティーニ監督の友人。本作の主人公は、友人の名前を借りて「アンディ・ジョーンズ」と名付けられました。
実はバランティーニ監督自身も、12年ものシェフ経験がある元料理人です。「ジョーンズ&サンズ」で働いた経験も。以前から、過酷な労働環境や職場での様々なハラスメントなどレストラン業界で働く人々のストレスフルな状況に疑問を持ち、2019年に同名の短編映画を発表。これが映画祭で賞に輝くなど高評価を得て、今回の長編バージョンにつながりました。
明かされるレストラン業界の内幕
物語は、主人公アンディの“苦悩”を軸に進みます。ロンドン屈指の人気レストランの共同オーナーでシェフを務める恵まれた立場ですが、最近は妻子と別居するなどプライベートは絶不調。そこに、悩みがさらに増える出来事が……。
クリスマスを控えた金曜の夜、多くの予約客を迎えるための準備で忙しい店内に、衛生監視官が抜き打ちの検査に入ります。結果は、不備が見つかって安全評価が「5」から「3」に。衛生管理ファイルの記載漏れというアンディの失態が原因でした。食材を発注し忘れるなど自身のミスが重なり、スタッフたちとの関係もぎくしゃくした状態に。そんなトラブル続きの中でその日の営業が始まり、テレビの料理番組で人気のスターシェフ、アリステアが来店すると知ったアンディは不安を覚えます。元同僚のこのライバルが、自分の料理にどんな感想を漏らすのか。注文の鴨料理を、アンディ自らテーブルに運びますが……。
待遇に対して次第に不満を募らせていく優秀な女性副料理長、白人男性客の心ない言動に傷つく若い黒人女性のフロア係、スタッフたちと信頼関係で溝を深める共同経営者の娘の支配人、厨房スタッフの遅刻、そして客が食材アレルギーで発作を起こすという大問題が発生し……。次から次へと困惑する事態が起こり、本来なら優雅に食事を楽しむ空間が、まさにタイトルにあるように“沸騰点”に達したような混沌とした状態に陥ります。
驚異の90分間ワンシーン・ワンカット その場にいるような没入感
本作には、演出面で大きな特徴があります。約90分間の本編の間、ワンシーン・ワンカットで撮影されている点です。つまり、カメラを途中で止めない“ノーカット”で、スピーディーに物語が展開していきます。
過去のワンシーン・ワンカットの作品で、最も有名なのは、巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』(1948年)でしょう。殺人が起きた後のアパートの一室で繰り広げられる心理ドラマの名作です。フィルム1巻の長さは決まっているため10分程度でカメラは、部屋の物陰や人物の背中など暗い部分に移動。シーンのつなぎ目が分からないようにして撮影されました。結果、まるでカットを割らずに撮ったように見えるわけです。
デジタル機材となった現在では、ずっとカメラを回し続けることは可能ですが、場面の変化や俳優が演技し続ける負担などを考えますと、長編作品で全編ワンシーン・ワンカットは今でも難しい課題です。
しかし、本作は、そんな“疑似ワンショット”ではなく、正真正銘の“一発撮り”で、完全なノー編集。しかも、CGも使っていません。実現のためには、入念な撮影の準備と俳優の優れた演技力が必要でした。
撮影監督のマシュー・ルイスによると、「カメラの本体とバッテリーを背負って撮影した。撮影前に補助機材を着用してレストラン内を歩き回り、カウンターにぶつからないように、前もって調整を行った」といいます。
役者が一度でも失敗すれば、最初からやり直しです。アリステア役のジェイソン・フレミングは次のように話しています。「普通だとNGが出たら取り直すだけ、でも本作は自分の出番以前のシーンも台なしになる。そんな緊張感が俳優からいい演技を引き出した」
たしかに、その緊張感は、スクリーンの向こうにいる観客席にも伝わってきます。アンディ役のスティーヴン・グレアム(『アイリッシュマン』など)、女性副料理長カーリー役のヴィネット・ロビンソン(『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』など)ら俳優陣の情熱的な演技と、ディナータイムで多くの客を迎え入れて次々に料理を提供していく“戦場”さながらの店内の緊迫した空気感が重なり、観る者を作品世界に引き込みます。何よりも、ワンシーン・ワンカット撮影の効果で、実際に観客自身もその場にいるような没入感を体験できます。
舞台はほぼレストランの中という単調な場面設定なのに、まるでアクション作品を観ているような躍動感とスリリングな心理描写で、ラストまで一時も目が離せません。重厚でありながら、リズミカル。そして極上のエンターテインメント作品です。
文/堀晃和
『ボイリング・ポイント|沸騰』の情報 2022年7月15日から公開
7月15日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
2022年 英国アカデミー賞4部門ノミネート
(英国作品賞、主演男優賞、キャスティング賞、新人賞)
2021年 英国インディペンデント映画賞11 部門ノミネート、4 部門受賞(助演女優賞、ベストキャスティング賞、撮影賞、録音賞)
『ボイリング・ポイント|沸騰』
製作・監督・脚本:フィリップ・バランティーニ
出演:スティーヴン・グレアム『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』『アイリッシュマン』、ヴィネット・ロビンソン「SHERLOCK/シャーロック」、レイ・パンサキ『コレット』、ジェイソン・フレミング『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、タズ・スカイラー「ONE PIECE」
原題:BOILING POINT/2021年/イギリス/英語/95分/配給:セテラ・インターナショナル/PG12