「あそこまで歌が巧い人は知らない」 普通、シンガーと呼ばれる人が街のカラオケに行ったという話をあまり聞かない。しかし、中森明菜が六本木や赤坂のカラオケ・ショップに行ったという目撃談は、何度もぼくのところに届いていた。音楽…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から歌手・中森明菜のシリーズが始まります。1982年5月1日、16歳の時にシングル「スローモーション」でデビュー。圧倒的な歌唱力で瞬く間に、80年代を代表する歌手としてスターの座に駆け上がりました。その歌声は、アイドルの枠を大きく超え、“歌姫”の称号がふさわしい。名だたる作曲家、作詞家が書いた数々のヒット曲は、デビュー40周年を迎えた今も色褪せません。第1回は、東京・六本木で目撃された信じられないようなエピソードから……。
高視聴率だった1989年の伝説のライヴ
中森明菜が1989年4月29日と30日、東京都稲城市のよみうりランドEASTで行ったライヴが2022年7月9日、NHK総合テレビで『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』として放送された。同番組は同年4月30日にNHK‐BSプレミアム・BS4Kで放送され、好評だったので地上波でのオンエアとなった。
放送時間は土曜夕方。どのくらいの視聴率となるか関係者は注目した。結果、関東地区の世帯視聴率は4.6%だった。この時間のNHK総合は前4週の平均視聴率が3.3%。通常より1.3ポイントも高かった。そもそも視聴率の低い土曜日の夕方からすると、かなりの高視聴率だったと言える。
中森明菜は2017年12月のディナーショーを最後に、芸能活動を事実上中断している。NHK地上波が放送された時点でおよそ4年半、活動をしていない。シングルもアルバムもリリースされていない中、NHKの高視聴率は、いかに中森明菜の復活を待っているファンが多いかが伝わる。
テレビの歌番組の前で、歌う天才少女
ぼくはこれまで中森明菜と2度逢っている、初めて逢ったのは1984年1月、冬の寒い日だったと記憶している。1月1日に7枚目のシングル「北ウイング」が発売された直後だった。この年には、11月14日に初期の彼女の代名詞となる作詞・作曲が井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」がリリースされている。
FM東京の日曜夕方の番組『レコパル音の仲間たち』のゲスト・コーナー収録のために、虎ノ門にあったFM東京の子会社FMサウンズに彼女はやって来た。テレビで観るよりはずっと小柄で細身だったのを覚えている。当時の彼女は18歳。少女なのに大人の女性の持つ色気が感じられ、年相応のキャピキャピしたところはまったく無かった。
番組の構成者として、30分ほどインタビューをした。18歳の少女が喜びそうな話題を振ってみる。“ええ”、“そうです”と答えは返ってくるのだが、ノリが今ひとつ悪い。そこで音楽の話をすると反応が良くなった。
“物覚えの無い幼い頃から、歌うのが好きだったみたいです。テレビの歌番組の前で、言葉もしゃべれないのに歌っていたそうです”
後に歌姫の本領を発揮していたのだ。
“歌って、いいじゃないですか。人の心を変えられるでしょう”
そう言った18歳の少女の言葉を今も覚えている。そして、彼女はすでにオーラを身に纏っていた。
「あそこまで歌が巧い人は知らない」
普通、シンガーと呼ばれる人が街のカラオケに行ったという話をあまり聞かない。しかし、中森明菜が六本木や赤坂のカラオケ・ショップに行ったという目撃談は、何度もぼくのところに届いていた。音楽シーンは狭いのでそういった話はすぐに伝わる。
1980年代の終わりごろ、六本木のカラオケ・ショップで隣室になったというレコード会社の社員は、その模様を教えてくれた。スタッフと思しき人たち数人とやって来た中森明菜は、2時間ほどずっと歌っていたという。歌うのは昭和の歌謡曲。彼女の年代には馴染みの少ない曲でもとにかく歌いまくっていた。
隣室となった彼らは、自分たちはカラオケするのを止め、漏れ聞こえて来る中森明菜の歌に圧倒されていた。親しかった彼いわく、“ぼくも一応、音楽のプロだけどあそこまで歌が巧い人は知らない”。
中森明菜を全世界デビューさせたい
話は飛ぶが1980年代末、オーストラリアに行った時の話だ。そこでアメリカから出向していたweaというレコード会社の社長と会食した。音楽業界のV.I.Pらしく、彼は世界中の、もちろん日本のヒット曲も聴いていた。
そこで、“Akina Nakamori”はどういう活動を今してる?”と訊かれた。彼が言うには自分がアメリカの本社に復帰したら、中森明菜を全世界デビューさせたいと願っている、彼女の声は本物のソウル・ヴォーカリストの持つものだとのことだった。
そう、彼女には、彼女の声には歌の女神が宿っている。それもかなり強力な女神で、全世界デビューを果たせなかったが、だからこそデビューから40年が過ぎた今も多くの人を虜にしているのだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)