浅田次郎の名エッセイ

「勇気凜凜ルリの色」セレクト(38)「聖夜について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第38回。キリスト国でもないのに、ほとんどの国民が大いに盛り上がってしまうクリスマス。幼少のみぎり、ミッションスクールに通っていた作家が、アウトロー時代にやらかした聖夜の大失敗!

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聖夜について

クリスマスにまつわる思い出話にはこと欠かない

たいへん意外なことであるが、私は幼少のみぎり、山の手のミッション・スクールに通っていた。

ガキといえばみなチャンチャンコを着て二本洟(ばな)をタラしていた時代の私立小学校は、今日でいうところの慶應幼稚舎などクソくらえの超ステータスであった。少々デキがいいとか、小金があるとかいうたまさかの理由では入れぬ、一種の貴顕社会であった。

しかし、もちろん貴族ではなく、てんで無宗教の戦後成金であったわが家は、ひたすらステータスを求めてセガレに皮靴をはかせ、聖書を持たせた。

今にして思えば身のほど知らずであり、神への冒瀆であった。かくてバチアタリの家はほどなく没落し、主の怒りに触れた私は神も仏もない人生を歩むハメになった。タタリは今なお続き、書けども書けども作家のステータスである賞とは無縁で、書物はことごとく初版ブッツリで絶ち消える。

ところで、そんなガキの時分に少年の心を悩ませた素朴な疑問があった。

もとよりクリスチャンなんてめったにいないこの国で、なぜこうもクリスマスだけが大ゲサなのだろうということだ。お釈迦様の誕生日なんていつだかも知らんし、天皇誕生日だってタダの休日であるのに、クリスマスというと町も家も、上を下への大騒ぎになる。

その疑問を口にすると牧師様は、「それは迷える仔羊たちの主に対する誤解なのだから、神の子である君は迷うことなくひたすら祈りなさい」とか、わかったようなわからんようなことを言った。

しかし──何だかわからんがともかくめでたい。どうでもいいけどともかくメリークリスマスなのである。牧師様の有難い訓(おし)えを胸に抱きつつ、クリスマスといえば杯盤狼藉の限りを尽くし、すべては主の福音であるということにして迷える仔羊になっちまうのが、以来今日に至るまで私のならわしとなった。

というわけで、クリスマスにまつわる思い出話にはこと欠かない。

昭和48年の春に自衛隊の禁欲生活から放たれた私は、急に大金持になった。キャラクターからいえばライフルの横流しなんぞを想像するかも知れないが、そうではない。

たまたま当時爆発的に流行した「マルチ商法」に参加し、持ち前の不義理非人情を遺憾なく発揮して一旗上げたのである。

マルチ商法については今さら説明することもあるまい。ネズミ講状の組織で商品を販売し、ごく一部が大儲けをする商売のことである。

なにしろその被害のために法律までできたほどなのだから、これは儲かった。一攫千金を夢見る老若男女が説明会場から溢れ出し、近所の喫茶店を昼夜わかたず占拠してしまうという有様であった。

わずか数ヵ月の間に中堅幹部に出世した私には、黙っていても金が入ってくることになった。仕事らしい仕事といえば、傘下セールスマンたちのたむろする「アマンド」に行って、やれカーネギーだのナポレオン・ヒルだののクセえ受け売りをカマし、妙に有難がられることぐらいなのだ。

私も儲かったが「アマンド」はもっと儲かった。急に売上が倍増したので、店長が表彰されたという噂であった。通称「アマンドグループ」の領袖である私とその店長とは、何だか共犯者のような関係であった。

成功のクリスマスケーキ

そんなクリスマスも近いある晩、アマンドに「出勤」した私に、店長が手もみしながらすり寄ってきた。傘下の皆様にクリスマスケーキを買ってもらえないか、と言うのである。

アマンドのケーキはうまい。たとえばそのうまいケーキに「フォー・ユア・サクセス」なんて文句をデザインし、「成功のクリスマスケーキ」とか称して売れば、またまたお互い儲かるであろうと、2人の意見は一致した。

商魂たくましい私はそれまでにもヒマにまかせて「成功のペンダント」「成功の黄色いハンカチ」「成功のスタミナドリンク」等を説明会場の受付で販売し、ボロ儲けをしていたのである。

かくて私は自信満々に1個3000円もするバカでかいクリスマスケーキを400個も注文した。20年前の3000円のケーキといえば、どのくらいデカいか想像できるであろう。ちょっとしたウェディングケーキなみのデカさである。これに名言集を綴った即製の小冊を添え、3900円で売る。しめて36万の儲けと踏んだ。

バタークリームにするか生クリームにするかと店長は訊いた。当然数日前から完売を期して売り出すので、バタークリームが良いと答えた。コストが下がった分、ケーキはさらに一回りデカくなった。

イブの数日前に納入されたケーキの山は説明会場を埋めつくすほどの量であったが、マルチ商法では派手こそ美徳とされていたので、上司や他の幹部たちもたいそう喜んだ。120万円の代金を受け取ったアマンドの店長はもっと喜んだ。

説明会場に出入りする人間は日に1000人は下らない。クリスマスにはみんなケーキを食う。どうせ食うなら「成功のクリスマスケーキ」を食うであろう──。

しかし、この目論見はモロにはずれた。理由は自明である。第一にデカすぎた。第二に高すぎた。第三に、クリスマス・イブの説明会場は当然のことながらガラ空きであった。

当てが外れた儲け話の結末

こうして私の手元にはみごとに売れ残った三百数十個の「成功のクリスマスケーキ」が残されたのである。聖夜が明けてしまえば、それはあたかも節句を過ぎた雛ひなのように、重陽の後の菊のように、無意味な飾り物であった。

ケーキの山は店長の心のこもったアフターサービスにより、アマンドのピンク色のトラックに積まれて私のマンションに回送された。広い説明会場ではたいした量に見えなかったのだが、いざ2DKに運びこんでみるとたいしたものであった。かつて自衛隊時代に見た東富士火器大演習の、弾薬集積場の壮観を彷彿とさせた。

そもそもこの大失敗は、私の趣味嗜好と少なからぬ関係がある。酒は飲めず、生来の甘党なのだ。てめえの好きなものは他人もみな好きであろうという思い込みがこの悲劇を招いたとも言える。

居室からキッチン、果ては風呂桶の中にまで積み上げられたケーキの山を見つめつつ考えた。日持ちするバタークリームであったのはせめてもの幸いだが、それにしたっていつかは腐るであろう。三百数十個の巨大ケーキが一斉に醱酵するさまを想像すると鳥肌が立った。

翌朝、まずマンションの全室に配って回った。しかしどの家庭でも前日は等しくクリスマスであったので余りいい顔はしなかった。管理人のジジイには2個持って行ったが、モロにウンザリとした顔をされた。

この行動はもちろん焼け石に水であった。そればかりか悪い結果をもたらした。「いつもお騒がせしております。どうぞお歳暮がわりに」と、つまらぬ口上を言ってしまったために、マンションのゴミ捨て場にケーキを捨てることができなくなったのである。

そのうえそこいらで遊んでいるガキとか、良く知らない人にまで配って回ったので、あちこちのゴミ捨て場までがアマンドのケーキ箱でいっぱいになった。

実家にはまとめて持って行ったが、父母はすでにケーキの食いすぎで糖尿病を患っており、人殺しと罵られた。いっそ自衛隊に寄贈しようかとも考えたが、手順も面倒そうだしあらぬ疑いをかけられてもまずいのでやめた。

こうなると何が何でも消化する他はないと肚をくくり、三度のメシがわりにケーキを食い、さかんに人を呼んでは「まあ食え」と勧めた。こうして餅もおせちもない正月を迎えるハメになったのであった。

日がなケーキを食いながら様々のことを知った。馬鹿騷ぎのクリスマスはやはり主への誤解にちがいないということ。人間はケーキのみでも存外生きられるということ。そしてバターケーキは2ヵ月も日持ちするということ。

──以来私はクリスマス用の生クリームとともに、正月用のバタークリームも買い置くことにしている。銘柄はもちろんアマンドに限る。

ともかく、メリークリスマス。

(初出/週刊現代1995年12月31日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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