歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」(2)カキを1200個も食べたローマ皇帝

エッセイストの夏坂健さんは、ゴルフの達人であるだけではなく食通としても知られ、1983年に、古今東西の偉人たちの食に関するエピソードを集めた『美食・大食家びっくり事典』を著している。この本のカバー折り返しには、美食家で料理人としても知られた俳優・故金子信雄さんが、フランス王妃マリー・アントワネットの有名な言葉「パンがなければお菓子をお食べ」を引いて、「パンが不味ければこの本をお読み」と書いている。 ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案何人の手引きで、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集をご堪能ください。

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第1章 絶命するまで啖(くら)いつづけた男たち

肥満が何だ、栄養がどうした。

美味なるものを死ぬほど食べる。

これが生きることの悦楽の極致。

古今東西の食の殉教者たちの

垂涎のものがたり。

(2)カキを1200個も食べたローマ皇帝

どんなに旨くたってホドホドにと思うところがヤセた現代人、旨いものは食えるだけ食う、これが本物の英雄の生きざまだ。 

旨いものをたくさん食べたいという人間本能の悲願は、歴史の上でも数多くのエピソードを生み出している。

ローマの皇帝チベリウスは、

「敵兵の死体の匂いは食欲をそそる」

と豪語した食人種的危険人物だが、彼は一度の食事にカキを100ダース、実に1200個、ペロリと平らげた。

ローマ帝国のもう1人の大食漢クラウディウス・アルビヌス将軍は皇帝のこの記録に挑戦したが、500個でダウンした。

のちにこの話を聞いて、今度はフランスの国王アンリ4世(1553~1610)が名乗りをあげた。人間、偉くなりすぎるとひまをもて余すらしい。マレーヌ産、ブロン産、カンカル産、そのあたりの逸品の天然カキを山積みにして、国王は黙々と召し上がった。やがて二十ダース、240個目をゴクリと吞み込んでからこうおっしゃった。

「カキの味がしなくなった。やめておこう」

それでも240個、立派である。

ついでだから、なぜカキにレモンをかけるようになったかその由来を申し上げると、むかしは海岸から荷車や乗合い馬車にがたがたとゆられてパリに到着するまで3、4日を要した。カキの水分は失われ、風味もそこなわれてしまった。どうしたら新鮮な味に戻せるか、多くの人がこの難問に取り組んだ。小さな町のレストランの見習いコック、ムソーという若者が、レモンをかけると取れ立ての新鮮さが甦えることを発見、彼はすぐに独立してレモン汁をたっぷりとかけた生ガキを提供するレストランを開店して大金を残した。この習慣が今だに残ったものである。

ヨーロッパを食糧危機に陥れたノルマン人の胃袋  

強烈な胃袋の持ち主ノルマン人の抬頭とその征服域の増大は深刻な食糧危機を招いた。それにしてもまさに驚異的な食欲!!

シェイクスピアの『リチャード3世』のころも、人々は黙々と食べ続けていた。庶民は貧しいものを大量に、上流社会では日毎夜毎大広間で山海の珍味をやはり大量に。

大牛、仔牛、羊、鶏、野鳥類、豚の丸焼き、伊勢えび、かに、鮭、魚介類、果物の山々。

16世紀ぐらいまでは食器類もそれほど発達していなかったので、男たちは腰の短剣を抜いて肉を切りわけ、女性たちにサービスした。顔中脂肪でベタベタになった男たちは、食にあきると女を抱き寄せ、豊かな乳房をつかみ出し、今度はそれにかぶりつくのだった。だれもが驚くほど大食で、しかも鯨飲した。

スコットランド、ノルウェー、デンマークあたりのバイキングたち、ノルマンの男たちはとくに豪快であった。

ハムレットやオフェーリアは肥満する前に夭折するが、クローディアス王は大食漢でよく太っていた。後年のことだが、『三銃士』を書いたデュマは、そう、このデュマも並はずれた美食家で、旨いものを漁る合い間にあの世界的ベストセラーを仕上げたご仁だが、彼は七面鳥を前にして、

「実に不思議な鳥もいたものだ。1人で食うにはちょっと多く、2人で食うにはちょっと物足りない」

といった。ところがハムレットの時代には、一人前の男なら2日で1頭の羊を平らげるのは普通だったと記録に残されている。2日で1頭の羊!

ノルマン人は猛烈な胃袋の持ち主だったが、同時に航海術にも長けていたので、例のバイキング船で南下してフランスにノルマンディ公国を作り、イギリスを植民地化し、シチリアにも王国を作った。よく食べる奴はいい仕事をするの見本通りだが、それから数年間というものヨーロッパは深刻な食糧危機に見舞われた。

やってきたノルマン人が片っぱしから動物を捕らえ、鳥を撃ち、野菜や果物をむしって胃袋におさめてしまったためである。

リンゴは青い実のうちに摘まれ、鳥は深刻な配偶者難に悩み、動物たちは、いくら励んでも交尾が間に合わなかった。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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