訪日外国人の姿がかなり見られ、以前のような賑わいをすっかり取り戻した浅草。日本を代表する観光地であり、数百年と続く老舗があったり、その一方で若い人たちも参入し始めたりと、コロナ禍を経て街が改めて活気付いている。せっかくならば観光客向けよりも、地元に根付いた人の温かみを感じられるお店に行ってみてはいかがだろう。浅草で生まれ育った店主が切り盛りする店をご紹介したい。
店を継ぐ覚悟をした2代目の生き方とは
1971(昭和46)年創業のとんかつ店『浅草 カツ吉』(以下、カツ吉)の2代目・柳澤和美さんは生まれも育ちも浅草。幼友達には、洋食の名店『グリル グランド』やどら焼きが名物の『亀十』といった、浅草を代表するような店の後継者も多数いるのだそう。
同じような境遇の仲間も多かっただろうが、商いをする家に生まれたことをどう思っていたのだろうか。
「両親から店を継いでほしいと言われたことはありませんでしたが、『一人っ子ですし、承継者は自分しかいない』と感じていました。ただ同時に自分が置かれた境遇に苦しさを感じていた時期もありました」と話す。
しかし、店を継ぐことを自然と受け入れていたと言う。
「大学卒業後はもう『カツ吉』の世界に入るしかないと定められていることがわかっていたので、できるうちにやりたいことはやらせてもらおうと決めていました」
「日本太鼓の打ち手になりたくて」と18歳で飛び込んだのは、浅草で1861(文久元)年から続く老舗太鼓店『宮本卯之助商店』が始めた「日本太鼓道場」。
三社祭の賑わいを肌で感じ、子どもの頃から太鼓の音に心惹かれていたのだそう。
「とても厳しいお師匠さんでしたが、基本を習わずして何事も成り立たないということが理解できました」と、現在の経営だけでなく、生きていく上で大切な精神に通じることを学んだのだと言う。
そして、1期生として入学した文京学院大学ではサークルを多数立ち上げるなど、充実した学生生活を送った和美さん。
「役者になりたかった」とも話す彼女は大学時代、モデルプロダクション(MP=東京学生英語劇連盟)のオーディションを受けて合格。別所哲也氏や川平慈英氏などからアドバイスを受けたこともあるのだとか。
卒業後、店に入った時に感じたことを教えてくれた。
「例えば、親しくさせていただいている慶応時代創業の『どぜう飯田屋』さんなど、浅草には何代にも渡るような老舗がたくさんあります。うちはそこまでの歴史はまだありませんが、自分が現在の立場になってわかったのは、その家ごとに多くの出会いや別れ、そして思いなど、さまざまなことがたくさんあったのだろうということ。
数々の経験を経てきたことの、そのすべてが現在の味につながっているのだと感じます」
2019年に初代の柳澤勝雄さんは他界。亡くなる直前まで厨房に立たれていたのだそう。
その後は和美さんがメインで店を切り盛りしている。
コロナ禍により、原点に立ち返る大切さを実感
頼りになる父を亡くし、店を盛り立てようとがんばっている矢先に起こったコロナ禍。
みなさんもご承知の通り、世界の風景は一変してしまった。
「あれだけ賑わっていた浅草がまるでゴーストタウンのようでした」と振り返る。
浅草・仲見世通りの店の多くはその時期、シャッターを下ろしていた。
行列ができる人気店だった『カツ吉』も当時の客足はかなり減り「どうもがいていいのかすら、わかりませんでした」と和美さんが言うように売り上げはガクンと落ちた。
3年を経て、それまでの世界が戻ってきたような現在、何を思っているのだろうか。
「あの地獄の日々、どん底を味わったことは覚えておかなければなりません。苦しみを味わったからこそ、お客さまが戻ってきた今は何があっても辛くないですし、お客さまがお越しくださるありがたみと感謝の気持ちを持ち続けるという原点に立ち戻れました。
人に良いと書いて『食』。人は良き食から作られていくものです。通常通りの生活が戻りつつある中で、そういう原点を忘れてしまっている人が多いように感じます」
そうした“食の原点”でありたいと願い、フレンチのコックでもあった勝雄さんが開いたのが『元祖 カツ吉』だ。
お客さんに喜んでほしいという思いで勝雄さんが開発したメニューはなんと50種類以上! その多くは、豚上ロース肉の間に具材を挟み、衣をつけて揚げるという手をかけたもの。さまざまな素材を生かしたラインナップだ。
名物の「味噌とんかつ」(単品1300円)は、独自の発酵製法を施した自家製味噌を中に閉じ込めている。
初代のアイデアが光る「納豆とんかつ」(単品1730円)や「餃子とんかつ」(単品1730円)、気温や季節などによりチーズのブレンドを変えるという「チーズとんかつ」(単品1470円)なども人気だ。
最近は特に名物の味噌やチーズなど、発酵食品を使用したメニューがよく出るそう。
一見しただけではどんな料理かわからないメニューが載っているのも『カツ吉』のユニークさだ。
例えば「ザ・スペシャル」(単品1780円)は、海苔とネギとカツオ節がとんかつの中に隠されている。
和食材の旨みが詰まっているから食べ飽きないし、シンプルだからこそ肉のおいしさがよくわかる一品だ。
ちなみに、何がスペシャルかというと、初代が毎日入荷する肉のコンディションを確かめるときにこのメニューで肉の質と味の見極めをしていたからだとか。
現在は先代の味を忠実に再現できる約30種類に絞って提供。気になるメニューが目白押しなので、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか。
『浅草 カツ吉』のとんかつを実食
名物の「味噌とんかつ」は、熱々をひと口頬張れば、味噌が芳しくふわりと香り、中から甘みのある味噌がたっぷりとあふれ出す。薄衣からはほんのりとゴマ油の風味も感じられる。
この日はもう1品いただいた。こちらも人気だという「梅とんかつ」(単品1520円)だ。
梅はその時々にベストなものを選んで配合。梅の甘酸っぱさと爽やかさが肉の甘みとマッチし、ご飯がほしくなる。そんなときは、プラス500円で定食にするのがいい。ご飯・味噌汁・漬物・コンニャク煮が付く。
同店のとんかつは国産豚を使用し、肉のジューシーさとサクサクとした衣の食感が特徴。植物油を使って揚げられているので、軽やかにいただけることも魅力だ。
添えられたケチャップ味のスパゲッティは郷愁をそそるし、たっぷりと盛られたキャベツもうれしい。
外国人観光客からのオーダーが多いのが「和鎖美(わさび)とんかつ」(単品1470円)。
「メニュー名は当て字なのですが、私の名前が隠されているんです。父が亡くなる前に残してくれたことがうれしくて」
現在店を切り盛りする和美さんが最も注力しているのは、その味を継承すること。
味が変わることを危惧し、フランチャイズ化はしないようにと先代からの言いつけもあったという、まさにここでしかいただけないとんかつである。
「独自性があり唯一無二の味で、50年続いてきているという自負があります。この味を愛してくださるお客さまを大事にしていきたいと思います」と話す和美さん。
「味を変えない」と言う老舗の多くも、時代に応じたアップデートは大なり小なり行っている印象だが、同店はどのように考えているだろうか。
「私は温存したいと思っています。アップデートしたい気持ちもありますが、その時はまるっきり違うものをご提供したいんです。
お客さまの声にお応えすることが我々の責務です。お客さまの立場になった時のことを知るために自分が外に出て、他店さんを経験することも大切だと思っています」と和美さん。
これが初代からの味と暖簾を守り続ける、今の『カツ吉』の戦い方なのだ。
■『浅草 カツ吉』
[住所]東京都台東区浅草1-21-12
[電話番号]03-3841-2277
[営業時間:11時半〜14時半LO、17時〜20時LO
[定休日]木曜
[HP]https://asakusakatsukichi.wixsite.com/website
取材・撮影/市村幸妙