店を継ぐ覚悟をした2代目の生き方とは
1971(昭和46)年創業のとんかつ店『浅草 カツ吉』(以下、カツ吉)の2代目・柳澤和美さんは生まれも育ちも浅草。幼友達には、洋食の名店『グリル グランド』やどら焼きが名物の『亀十』といった、浅草を代表するような店の後継者も多数いるのだそう。
同じような境遇の仲間も多かっただろうが、商いをする家に生まれたことをどう思っていたのだろうか。
「両親から店を継いでほしいと言われたことはありませんでしたが、『一人っ子ですし、承継者は自分しかいない』と感じていました。ただ同時に自分が置かれた境遇に苦しさを感じていた時期もありました」と話す。
しかし、店を継ぐことを自然と受け入れていたと言う。
「大学卒業後はもう『カツ吉』の世界に入るしかないと定められていることがわかっていたので、できるうちにやりたいことはやらせてもらおうと決めていました」
「日本太鼓の打ち手になりたくて」と18歳で飛び込んだのは、浅草で1861(文久元)年から続く老舗太鼓店『宮本卯之助商店』が始めた「日本太鼓道場」。
三社祭の賑わいを肌で感じ、子どもの頃から太鼓の音に心惹かれていたのだそう。
「とても厳しいお師匠さんでしたが、基本を習わずして何事も成り立たないということが理解できました」と、現在の経営だけでなく、生きていく上で大切な精神に通じることを学んだのだと言う。
そして、1期生として入学した文京学院大学ではサークルを多数立ち上げるなど、充実した学生生活を送った和美さん。
「役者になりたかった」とも話す彼女は大学時代、モデルプロダクション(MP=東京学生英語劇連盟)のオーディションを受けて合格。別所哲也氏や川平慈英氏などからアドバイスを受けたこともあるのだとか。
卒業後、店に入った時に感じたことを教えてくれた。
「例えば、親しくさせていただいている慶応時代創業の『どぜう飯田屋』さんなど、浅草には何代にも渡るような老舗がたくさんあります。うちはそこまでの歴史はまだありませんが、自分が現在の立場になってわかったのは、その家ごとに多くの出会いや別れ、そして思いなど、さまざまなことがたくさんあったのだろうということ。
数々の経験を経てきたことの、そのすべてが現在の味につながっているのだと感じます」
2019年に初代の柳澤勝雄さんは他界。亡くなる直前まで厨房に立たれていたのだそう。
その後は和美さんがメインで店を切り盛りしている。