歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

馬20頭にラクダのコブ汁…元の時代に催された中国史上最大のBBQに並んだ強精食

ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…

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ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第23話をお送りします。

騎馬民族ならではの最高級料理

史上最大のバーベキューをやらかした帖木児の強精大宴会。ラクダのコブ汁に馬の丸焼きとくれば40人の妾もこわくないゾ。

卵が欲しけりゃ鶏の声をうるさがるな――中国の諺――

人は1年に1000回の食事をとり、約1トンの食物を胃に送り込んでいるが、むろんこれは平均の話で、例外はいくらでもある。

燕帖木児といえば、元の歴代王のうしろから3番目、文宗に仕えて実権をほしいままにしていたキレ者で知られている。

蒙古人の作った元も、世祖の子成宗が在位13年で死んだのに続いて、武宗、仁宗、英宗から文宗、寧宗、順帝まで、どうしたことかすべて短命で終わっている。だから滅びるのも早かった。

帖木児はフランスでいえばフーシェみたいな変節の政治家で、何事にも冷静で打算的な上に機を見るに敏な才を持ち、私腹を肥やすことも名人だったといわれている。

いつの時代をみても、ゴマスリと風見鶏のタネはつきないようだ。中国式にいえば漢奸と宦官のタネ、ということになろうか。

あるとき、4軒ある別荘の1つで宴会が催されて多くの客が集まった。接待のためにどこからか呼ばれてきた酌婦の中に、帖木児は好みのタイプをみつけた。

根っからの強助だから、彼はすぐにその女をとなりに呼んで口説きにかかった。すると女は口を押さえて、

「お戯れを! ご主人さま」

と笑いころげた。なんと女は、40人もいる妾の1人だったというのだ。これだけ妾がいればいちいち顔をおぼえているヒマもないらしい。帖木児というのはそういう男だった。

この帖木児が、暴君ネロもシーザーもかなわない《史上最大のバーベキュー大会》を計画したのは、主君文宗の10歳の誕生日のことである。どうせ捏ねるならゴマは量が多いほどよろしい。

彼は途方もないプランをたてた。

秋の夕、宮廷の庭に薪があかあかと焚かれ、コの字型に作られた食卓の上には山海の珍味が山と積まれた。

残念ながらご馳走の内容は例によって〈山海珍羞、竜肝鳳髄、熊掌燕窩〉の慣用句が使われ、さっばり具体がわからない。また宴席にわらわらと集まりきたる美女たちの風情も〈沈魚落雁、閉月羞花〉ばかりで、閣僚の二号さんのドレスがどんな色であったかといった叙述はどこにも見られない。

やがて宴も盛りあがったところで、ドラの音とともに馬の丸焼きが20頭、食卓にかつぎこまれてきた。

人々はアッといったきり声も出なかった。騎馬民族の彼らにとって、馬はわが子同様であり、全財産でもある。いくら王侯貴族のパーティといえどもこの感情に変わりはない。

が、馬の丸焼きがことのほか美味であることも十分に知っている。当時の詩人が、

「死ぬまでにいっぺん香草づめの馬の丸焼きを食べてみたいもんだ」

という意味の歌を書いているが、料理法は腹をさいていろいろな詰め物を入れたローストだったようである。

BBQ会場の地中に埋められていた動物とは?

一座のどよめきが静まったところで、帖木児は文宗の前にぬかずいてこういった。

「前菜はお気に召したでしょうか?」

20頭の馬のローストが前菜とは、かなりキザなセリフだが、実力者がいうとかっこいいのである。このひとことで再び満座に驚きの声が起こった。

「それではただいまより帝のために特別料理を献じます!」

帖木児の声を合図に、コの字型の食卓の中央の地面をおおっていた布が次々にめくられていった。目をこらしてみると、なにやらモコモコした毛だらけの凸凹が広場一面に現れてきた。

人々はこの奇怪な小山の正体を帖木児にたずねたが、彼は笑って答えず、物かげで待機していた下僕頭に手をあげた。すると煮えたぎった熱湯を天秤でかついだ数十人の男たちが登場してきて、その正体不明のモコモコの上に次から次へと熱湯をそそいでいったのだ。あたりは湯気のためにひととき視界が悪くなったが、しばらくしてモヤが消えはじめると、そこには信じられない光景が展開されていた。

地中に生き埋めにされて、かろうじて開けられた空気孔から呼吸をしていた無数のラクダのうち、まだ元気が残っていた何頭かが必死で地中からもがき出ようと暴れていたのだった。下僕たちはラクダのコブに熱湯をかけていたのである。

「……!」

あまりの眺めに声を発する者もなく、急所のコブに電撃的なショックを受けて絶命するラクダの最期をただ息をのんで見守るばかりだった。

次に下僕たちが蛮刀を持って現れると、地中で絶命したラクダのコブのてっぺんを切り落とし、柄杓を中に差し込んでゼリー状の液体をくみあげて器に移すと、上から調味料と刻み青菜をふって文宗の前にうやうやしく差し出した。

「これぞ補中強精の王にございます」

帖木児が誇らしげにいった。

「今宵は皆様にも存分に召し上がっていただくつもりで、若いオスのラクダを30頭用意してございます」

地中に30頭を埋めて、コブの中の液体をふるまうという趣向だった。

水も飲まずに灼熱の砂漠を行くラクダのスタミナ源は、あのコブの中の液体にある。そんなところから遊牧民は不老長生の秘薬としてコブの中身に信仰を抱いていた。

ごくまれに、市場で売られることもあったが、コップ一杯ほどの液体が絹3反という高価さ。それを柄杓ですくって飲み放題というのだから、出席者が肝をつぶすほどの豪華さだったことがおわかりいただけるだろう。

以前にこれを飲んだ西ドイツの動物学者ラフナ博士によると、

「妙にすっぱい感じのドロリとした脂肪のゼリーで、お世辞にもうまいとはいえない」

というシロモノらしい。

その夜、文宗の食卓に供されたご馳走は、正体不明の山海の珍味は別にして、ラクダが30頭に馬20頭。文宗はまだ幼かったので早々に退席したが、帖木児は馬の腹の中に頭をつっこんで深夜まで啖い続けたというから、ハイエナやハゲワシも顔色なしの胃袋だ。

かつて唐の太宗が即位した際、一夜に羊30頭を焼いて評判になったものだが、このラクダのコブ汁飲み放題と比べたら、とてもじゃないが競争にもならない。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

  

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