ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第37話をお送りします。
サラダの周りに野の花を摘んで飾る
文豪のなかに食通が多いことは事実だが、すべての文豪が食通だったという話は事実ではない。ヘミングウェイやフォークナーがそれを証明しているが、この二人に比べて、スタインベックは食に関して同列に置いてはいけないようである。
その証拠に、スタインベックの短篇に『朝食』というごくごく短いが鋭く光っている作品がある。
それは早朝の草原でアメリカのカツブシともいうべきべーコンをフライパンでカリッと焼くだけの話にすぎないのだが、はじける金色の油が朝日の中で踊って、香ばしいベーコンのこげる匂いと焼ける音の描写が圧倒的な逸品なのである。
これだけを読んでも、スタインベックの食に対する関心が浅からぬことがわかる。
『一料理は一文化を表す』
といったのは、現代のフランスを代表する名シェフで建築家のレイモン・オリヴィエだが、その通りいくらスタインベックが頑張っても歴史の浅いアメリカでは話のネタが不足気味で、たとえば『開かれた処女地』や『静かなドン』などを書いたロシアの文豪・ショーロホフのように、毎朝の日課に自分の食べるサラダの周りを飾るため、野の花を摘んで歩いた、といった挿話にぶつかると、もうとても歯が立たないのである。
ショーロホフはある朝、サラダ・ボウルの周りをすみれとナスターチウムの花で飾ってみたところ、とてもこの世の食べものとは信じられないほど美しく、幻想的で、まるで天使の首飾りと見まごうばかりになった。
「これほどに気高いものを食べてしまうことは神に対する冒瀆ではないだろうか」
ショーロホフはそう考えた。そこで形が崩れないように細心の注意を払いながら、見事な出来栄えのサラダを神父のところまで運んでいって、こう告げた。
「神父さん、主の朝食を持ってまいりました」
線の太い作品を書く人ほど情がこまやかなものだが、これは思わず微笑を誘われるすばらしい話である。
小説を書かずにじゃがいも料理の研究開発
同じくロシア人作家で、別名「馬鈴薯作家」と呼ばれたアクショーノフにもこれとよく似た話がある。彼が書いた『星への切符』はロマンあふれる名作だが、実生活では、少々ケタ外れのじゃがいも好きで、フェイエフという変名で“じゃがいも小唄”みたいなものまで書いている。
アクショーノフにいわせると、この地上にはじゃがいもにまさる見事なブロンドは存在しないというのだ。このブロンドを熱したかろやかな油の風呂に入れてやると、それはそれは見事としかいいようのない琥珀や黄玉の宝石に生まれかわって、食塩をふりかけると、この豊満な美女は晩秋の太陽に霧氷をまぶしたような気品と優雅に溢れるという。
そのあつあつを口に入れた瞬間の陶酔、無我、恍惚。
身も心も〔揚げじゃがいも〕の虜になったアクショーノフは、研究と開発に明け暮れてほとんど小説も書かなくなり、アメリカに亡命後、50歳の頃に2人の娘さんを使って、今風にいえばポテト・スフレ・ロシア風のチップ・スタンドを始めたところ、これが当たりに当たった。彼は5年間、売り上げに一切手をつけずに貯め込んで、ついにその金で生まれ故郷に立派なロシア正教の教会を建てている。まったく珍しい作家もいたものである。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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