バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時…
画像ギャラリーバブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第88回は、「摩天楼と温泉について」。
新宿の摩天楼に登るのが好きなもう一つの理由
高い所が好きで、しばしば副都心の摩天楼に登る。
妙な趣味ではあるが、ひとりで最上階のラウンジに上がり、ペリエ・ウォーターをカクテルのようになめながら、ぼんやりと夜景を眺めるのである。
横顔の美しい、無口な女性がかたわらにいればなおいいが、ひとりもまたいい。窓際の席で、手の届きそうな星を見、ピアノに耳を傾けて二時間も過ごす。
うらぶれた中年男がひとりでそうするのは怪しいので、ボーイには「あとから連れが来ます」と噓をつく。席を立つときにネクタイをゆるめて時計を見、溜息をひとつつけばこの噓はばれない。
暇さえあれば書物を開いてしまうのが職業上の悲しい習性だが、ロマンチックなランプシェードの灯りではまさかそれもできないので、ひたすらぼんやりと夜景を眺める。そうしているうちに、猥雑な頭の中から活字がこぼれ落ちて行く。
私を縛(いまし)め、呪い続けていた文字たちがひとつずつ天の彼方に飛び去って、星になり、街の灯になる。小説家の頭から文字を奪ってしまえば、何も残らない。眠りの中ですらも忘れることのできない言葉の星々。それらがみな本物の星になってしまえば、至福の安息がやってくる。そうしてじっと、来るはずのない人を待つ。
いつであったか、私のこの妙な趣味の、もうひとつの理由に思い当たったことがあった。
悲しい理由であるが、たぶんはずれてはいない。
私は新宿の摩天楼のきわみから、喪(うしな)われたふるさとを探していたのである。東京生れの東京育ちで、多摩川を渡れば親類のひとりとてなく、もちろんその先に住居を持ったこともない私にとって、摩天楼から望む夜景はせつない望郷に他ならないのであった。
44年の間に、20回も転居をくり返した悪い人生である。そのうちのいったいどれが故郷であるかとも言えぬほどであるが、いずれにせよ、それらはことごとくビルの谷間に消えてしまった。
たとえば──高層ビルのひしめくこの副都心のあたりにしても、かつては私のふるさとであった。
その昔、ここには巨大な浄水場があった。今では記憶にとどめる人もそうはいないであろうが、青梅街道から甲州街道に至るまでの区域、つまり現在の新宿中央公園を含む副都心の全域は、淀橋浄水場と呼ばれる給水施設だったのである。
私の生家は中野だが、浄水場をめぐる淀橋や柏木の一帯に何軒もの親類があった。幼いころ、従兄弟たちと施設の柵をくぐり抜け、浄水場の森で遊んだものだ。
足元の夜景を目でたどる。ふと、中央公園の闇の向こうに、かつて十二社(じゅうにそう)という温泉があったことを思い出した。
副都心に温泉と言えば、多くの読者は訝(いぶか)しむであろう。だが、そこにはたしかに、れっきとした天然温泉が湧出しており、山の手の住民たちの憩いの場になっていたのだ。
あれはいったいどうなってしまったのだろうと私は思った。見下ろすかぎりでは、中央公園の西側にもぎっしりとビルが建てこんでしまっている。あるはずはないと思うのだが、だとすると温泉はビルの谷間に、永久に封じこめられてしまったのであろうか。
時刻はまだ早かった。幼いころ、祖母に連れられて何度か行ったことのあるその温泉を、探してみようと私は思った。
小さな看板に十二社天然温泉の文字
摩天楼のエレベーターを下りながら胸がときめいた。過ぎ去った時間をさかのぼるように私は地上に降り立ち、聳(そび)え立つ摩天楼のはざまを西に向かって歩いた。公園の木立ちからは夜の霧が流れ出ていた。
意外なことであろうが、東京には元来、温泉が多い。近代的なクア・ハウスになった平和島は良く知られているが、そのほか浅草の観音様の脇にも、六本木の交差点にほど近い麻布十番にも、れっきとした天然温泉が今も湧き出ている。ことに大田区や品川区の一帯には銭湯の形をした天然の温泉がたくさんあるのだ。
しかし、競い立つ新宿副都心のスカイ・スクレーパーの直下のことである。そこに今もふつふつと温泉の湧き出ている姿は、どうしても想像ができなかった。
甲州街道の西参道交差点、つまりかつての新宿ガスタンクの跡地に建つパークハイアットホテルから青梅街道に抜ける道路は、旧淀橋浄水場の西端にあたる。高層マンションの建てこんだ街路を歩く。往時をしのぶよすがは何ひとつなかった。
たしかこの通りぞいにあったとは思うのだが、行けども行けどもビルばかりである。何しろ私が確認しているのは30年以上も前のことなのであるから、まさか「このあたりに温泉はありますか」と尋ねる気にはなれない。交番があったのでよっぽど訊いてみようかと思ったが、巡査は20代の若さに見えたのでやめた。万がいち巡査も知らない昔話であったなら、たちまちその場で白髪の老人になってしまうような気がして怖ろしかった。
裏道まで探しあぐね、やっぱり埋められてしまったのだと諦めた。ところが、摩天楼に向かって帰りがけた信号のきわに、とうとう発見したのである。
それはビルの地下階段の入口に、ひっそりと小さな看板を灯していた。十二社天然温泉──通行人はたぶん誰も信じはしないであろう。信じようと信じまいと、ここには昔から温泉が湧いているのだよと、小さな看板は呟いているようであった。
私は階段を下りる前に、ガードレールに腰をかけて煙草を一服つけた。振り返れば摩天楼の林が、胸や頭に赤い灯火を点滅させて競い立っていた。中央公園から湧き出た夜の霧が、やっと見つけたなとばかりに、街路を流れ去って行った。
螺旋状の階段を地下深く下りると、銭湯でもサウナでもないふしぎな温泉が私を待っていた。
1800円の入湯料は話の種にしても安すぎる。だが館内はがらんとしてひとけがなかった。
褐色の湯に浸りながら、これは夢ではなかろうかと私は思った。摩天楼のラウンジでぼんやりと夜景を眺めているうちに、ありもせぬ過去の世界に迷いこんでしまったような気分だった。
しかし夢ではない。ふるさとも学び舎も、都電も浄水場も、瓦屋根もガスタンクも映画館も、みなビルの谷間に消えてなくなってしまったが、十二社温泉は今も副都心の地下の湯舟に、こんこんと湧き出ているのであった。
パークハイアットのトップラウンジでグラスを傾け、帰りがてらにひとっ風呂──そんなおしゃれなデートでもしてみようか。
さて、話は突然と変わるが、ついに本稿が単行本として上梓される運びとなった。毎週ヤマのようなファン・レターをいただきながら、作家の筆無精でいっさいお返事を書いていない私にとっても、たいへん喜ばしい限りである。
熱烈なるご要望にお応えして、もっと早く刊行する予定ではあったのだが、マジメな小説『蒼穹の昴』と、お笑いエッセイ『勇気凜凜ルリの色』が同時刊行ではうまくない、順序が逆ではもっとまずい、という版元の配慮により、長らくお待たせしてしまった。その間、編集部に対してほとんど督促状に近いお手紙、脅迫に近いお電話、ついには無言ファックスまで寄せて下さった全国の愛読者の皆様には、伏してお詫びを申し上げる。
とりあえず第1回から第50回までをひとまとめとし、無修整ノーカット版で来たる7月10日、一斉に発売される。ただし、初版部数には限定があり、本稿を最も面白がっている版元社員や出版関係者がとっさに買いしめてしまうおそれもあるので、なるたけお早目に買われた方がよろしいかと思う。
他人事のように言うが、ゲラ刷りでまとめて読んだところ、50倍どころか500倍は面白かった。この1600円は、十二社温泉の1800円と同じぐらい安いと思うのだが。
(※編集部注/新宿十二社天然温泉は、2009年3月29日に営業を終了した)
(初出/週刊現代1996年7月13日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。