ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第41話をお送りします。
友人とはメロンのようなものである。美味を見つけるために百も食べてみなければならない――メリメ――
生涯独身で完全菜食主義者だったプラトン
哲学者プラトンは80年の生涯を独身で通した。彼が愛したのはシチリアのシュラクサイの僭主ディオニュシオス一世の義弟ディオンただ1人。つまりプラトンは男色家であった。世界的な用語になっているプラトニック・ラブ(プラトン的な愛)の本当の意味を知ったならば、うっかりこの言葉は使えないことになる。
プラトンは愛人ディオンに逢うために、3度彼の住むシチリアに出かけているが、そのたびにプラトンの説く「理想国家論」を敵視するシチリアの政治家たちによって逮捕され、牢に入れられている。
紀元前360年の夏、3度目の釈放でようやくアテネに戻ったとき、すでに70歳近くだったというから、こちらの裏道もなかなかに深遠なものであるらしい。
この聖哲は、80年の生涯ただの1度も肉と魚を口にしなかった。完全菜食主義を実践しながら「プラトニック・ラブ」、つまり感覚よりも理性を、肉体よりも霊魂を尊ぶ思想を説き続けたが、彼の哲学はむろん師ソクラテスから教えられたものだった。
13歳で金持ち女のヒモになったルソー
プラトンらの唱えた「食べるために他の生き物を殺してはならぬ」という思想は、1712年にスイスで生まれ、1778年にパリ郊外で死んだルソーによって受け継がれた。ルソーは『社会契約論』や『新エロイーズ』『告白録』などで18世紀に独創的な社会批判を展開したことで知られるが、彼の食卓にもついに肉と魚は登場しなかった。
ルソーは時計職人の子として生まれ、生後10日目で母を失い、10歳のときには父親に逃げられ、小僧奉公をしていたときに金持ちのヴァラン夫人に拾われて、
「坊や」
「お母さん」
の同棲生活をはじめたわけだが、このとき彼は13歳だったといわれる。ヴァラン夫人は彼女自身が破産するまでの10年間、野菜料理ばかりにつき合わされていたことになる。
伯爵家の四男に生まれた文豪トルストイは、少年時代に『ルソー全集』を読破して大きな影響を受けた。神の前に禁欲的であろうとする姿勢は作品のあちこちに見られるが、例えば『随筆並びに書簡集』の中にも、
「結婚を禁じ、肉食を断て!」
「イギリス人男女は、どういうわけか身体にたくさんの石けんを使用し、大量の水を流すことを特に自慢している」
「ああ、キリスト教とビフテキ!」
「娼婦と狂人はみな喫煙する」
など、肉食を含めた消費文明を痛烈に罵倒している。34歳のときに18歳のソフィア・ベルスを妻に迎えてからは、さすがに「結婚を禁じ」とはいわなくなったが、「肉食を断て!」はトルストイの生涯のスローガンであった。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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