夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

1989年の全米オープンゴルフで起きた“1890兆分の1”の奇跡とは?

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。…

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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。

夏坂健の読むゴルフ その49 「1890兆分の1」の確率!

ホールインワン最年長記録は99歳9ヵ月

寿命が延びるにつれて、ゴルフの記録にも異変が生じるようになった。

たとえば1985年、元銀行員のオットー・ブッチャーがスペインのラ・マンガの12番、130ヤードでホールインワンを達成したとき、99歳と9ヵ月だった。本人曰く、

「出来れば3ヵ月後、満100歳の記念すべき誕生日まで、こんなに気持ちいいことは取っておきたかったね」

一方、1986年にはアール・ロス夫人が、フロリダのパームビーチにあるエバーグレイデスCCの17番、110ヤードを一発で仕留めたとき、満95歳だった。夫人は一日おきに歩いて9ホール回るのが唯一の趣味だった。

ゴルフは歩き始めてから歩ける限り心から楽しめるゲームだと、矍鑠(かくしゃく)たるご両人は証明してみせた。
一つのホールインワンには、必ず一つのドラマがある。

たとえば1995年、イギリスのコッツワルドGCでプレー中のジョン・レミントンは、7番、175ヤードのショートホールを5番アイアンで攻めることにした。

ボールはかなり左に飛び出して金網近くの排水口に飛び込んだ次の瞬間、右に大きく跳ねてバンカーに飛び込み、駆け上がってレーキにぶつかったあとグリーンに落下して、まず先行組のA氏のボールに命中、次にB氏のボールにも命中、なんと4回もジグザグ行進の最後に音もなくカップに吸い込まれていった。

さて、ジョージ・シフォードが、ニューヨーク州のロチェスターにあるオークヒル・カントリークラブにやって来たのは、試合が始まる2日前、即ち1989年6月13日のことである。

彼は全米ゴルフ協会の理事として、15日から始まる全米オープンの競技委員をつとめることになっていた。

いよいよ競技が開始されて、彼は一刻も早く熱戦の模様が見たいと思った。ところが運の悪いことに大会本部付、テレビのモニターからゲームの進行を監視する役がふり当てられた。

「正直なところ、テレビで見るくらいなら家にいても同じこと、心底ついてないと思った。最近では選手に帯同する役員の数を減らす傾向にある。

そこで私は大会本部のモニターの前に座って、最後の選手がホールアウトするまで退屈な時間をうっちゃるしかなかった。

2日目、私は競技委員長にせめて半日ぐらい、誰かと代えてもらえないかと申し出た。ここまで来て全米オープンが見られないなんて、拷問に等しいとも言った。

ようやく私の懇願が受け入れられて、午前中だけ参観が許されたあとが不思議、まるで見えない糸にたぐり寄せられるように、足がひとりでに6番のグリーン方向に歩き出して行ったのだ」

トーナメント観戦にも個人の好みがあって、プロの豪快なドライバーに魅せられ、決まってロングホールのティグラウンドに陣取る人もいれば、グリーン上の芸術だけに興味のある人もいる。

たとえばゴルフ観戦が唯一の趣味だった文豪、J・R・キップリングも、全英オープン開催コースに椅子を持ち込み、難易度の高いグリーンの近くに陣取って離れなかったほどのパッティング・マニアとして知られた。

ジョージ・シフォードの場合、グリーンを狙って打つセカンドショット地点がお気に入りの場所だった。ところがその日に限って、なぜか6番のグリーンに足が向いたのである。

「190年に1回」、あるかないかの天文学的奇蹟

予選ラウンドの2日目早朝とあって、彼の記憶によると50人前後の観客が所在なさそうに立っているだけだった。

「とりあえず2~3組のプレーを見物したあと、7番のティグラウンドにでも移動して、連中の豪快なドライバーを見物しようと思っていた。

その矢先のこと、いきなり目の前で途方もない出来事が連続して発生したのだ」

6番、159ヤード、パー3のホールに第1組がやって来たのが午前8時15分だった。

中堅プロ、ダグ・ウィーバーの打順は2番目、7番アイアンで打たれた彼の美しい放物線が奇蹟の発端となった。ボールはピン手前2メートルに落ちて小さく弾んだあと、吸い込まれる感じでカップに沈んだ。

本人はむろんのこと、ギャラリーと一緒にシフォードも大喜び、6番に迷い込んだ幸運に感謝したほどである。

その興奮が冷めやらぬ30分後、堅実なプレーで知られるマーク・ウェーブがやってくると、同じく7番で完壁なショットを放ち、またもやホールインワン! 

その25分後、こんどはジエリー・ペイトが高い弾道のショットを放って、これまたホールインワン!

地鳴りのような歓声につられて、いまやコース中のギャラリーが6番グリーンに集まり始めていた。

そのころ、プレステントの中でも大騒ぎ。1日のうちに同一グリーンで3連続ホールインワン記録があったかどうか、記者たちはコンピュータの検索に追われ始めていた。と、そのとき彼方から再び津波のような大歓声が沸き起こった。

最終組の一つ前の組でプレーしていたニック・プライスもまた、7番アイアンを手にすると、やや抑え気味にヒットした。ボールはピンの右方向に飛び出してグリーンに着地すると、傾斜に沿って2メートルほど転がり、止まるかに見えた一瞬、最後のひと転がりでカップに消えた。

わずか1時間50分のうちに4回のホールインワンとは、にわかに信じられない出来事である。

「2発目のときは膝が震えた。3発目では頭が真っ白になった。心臓に持病のある私にとって、これはあまりに刺激的すぎる光景だった。誰かが大声で、一体どうなっているのだ! と叫んだが、同じ気持ちだった。

3回も素晴らしいショーに遭遇して十分だというのに、4発目、ニック・プライスのボールがカップに吸い込まれた瞬間、これは白日夢かと思い、自分の頰をつねってみたほどだ。もう、何が何やら周囲はお祭り騒ぎだった」

ジョージ・シフォードは最終組が通過したあと、常時携帯しているニトログリセリンを飲んだと語っている。


そのころになると、オークヒル全体に4連続ホールインワンのニュースが広まって物情騒然。プレステントの中の記者たちも啞然とするばかり、今度はキーボードを叩くのに大忙しだった。

その日、偶然にもギャラリーの中にハーバード大学のジョセフ・ハリス教授がいた。彼は専門の統計学的見地から興味深い数字を弾き出した。

まず、ツアープロがラウンド中にホールインワンを出す確率は「3708分の1」であり、全米オープンに限っていうと、過去にたった17回しか出ていない。

さらに、1日のうちに同一グリーンで4回のホールインワンが達成される確率は、驚くなかれ「1890兆分の1」だという。

これは統計学的にみて「190年に1回」、あるかないかの天文学的奇蹟であり、理論的には22世紀のある日、再び起こりうる可能性もあるが、何しろ気まぐれなゴルフのこと、定かな話ではないと教授は呟いた。

さて、ニトログリセリンの服用によって、ようやく落ち着きを取り戻したジョージ・シフォードを待ち受けていたのがテレビカメラである。

グリーンサイドで見ていた唯一の役員として、彼は貴重な証人だった。ネクタイをしめ直し、髪をなでつけ、呼吸を整えてから、彼は息荒く言った。

「内緒の話、あれだけ簡単にホールインワンが出てしまうと、1オン・2パットの選手がアホに見えて気の毒だったよ」

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

『ナイス・ボギー』 (講談社文庫) Kindle版

夏坂健

1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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