バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時…
画像ギャラリーバブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第102回は、「テラ銭について」。
クラシック・シーズンには仕事量が3倍
私は小説家であると同時に競馬予想家である。
今のところ収入はほぼ拮抗しているので、どっちが本業でどっちが副業かと聞かれても困る。
幸い出版関係者はあまり競馬をやらないから、「浅田さんは競馬が好きらしい」と考えており、一方の競馬関係者はあまりマジメな本を読まないので、「浅田さんは小説なんかも書いているらしい」、と思っている。都合のよいことである。
自分で言うのも何だが、ガキの頃からたいそう勤勉であり、長じてからも1日平均16時間程度の労働はこなしてきたので、この2つの仕事について両テンビンをかけているという意識はもうとうない。これからもそれぞれ1人分の質量はちゃんと維持しつつ、双方をこなして行こうと思っている。
そんな私にとって、今年も地獄の季節がめぐってきた。さる桜花賞を皮切りに宝塚記念までえんえんと続く、春のGI戦線に突入したのである。
予想家の仕事は漫然と印を打っていればいいというものではない。資料を整理し、データを分析し、レースビデオをくり返し観察し、原稿を書き、インタビューに答え、対談もこなす。
春秋のクラシック・シーズンには、こうした仕事の量も3倍ぐらいに膨れ上がる。
それはまあ、例年の決められた仕事であるからいいとして、一番迷惑なのは大レースだけ馬券を買うという知人や出版関係者やその他よく知らない人から、ひっきりなしに電話がかかってくることである。
予想家の人は誰も口を揃えて言うことであるが、個人的に予想を伝えるのは苦しい。べつに責任を負うわけではないが、相手が自分の予想を信じて命の次に大事なカネを賭けるのかと思うと、自信の如何(いかん)にかかわらずまことに心苦しいのである。
そうかといって、せっかく訊ねられたものを、よくわからんとか自信はないとかは言えない。で、適当に買い目を教え、多少の解説を加えたのち、必ずこう言うことにしている。
「競馬は当たってもゼッタイ儲からないからね。たいがいにしときなさいよ」
そう。競馬はゼッタイに儲からないのである。電話口でその理由をいちいち説明するわけには行かないので、この謎の言葉を私から聞いた一部の出版社員、ならびに「俺はナゼ勝てないのだろう」と首をかしげている多くの競馬ファンの方々のために、「競馬がゼッタイ儲からないこれだけの理由」をこの場をかりて申し述べる。
1000円と750円を交換するという作業
競馬はバクチである。私はことあるごとにこれを力説するのでJRAの広報からは目の敵にされているが、あえてまた言う。競馬はバクチなのである。
バクチというのはそもそも、胴元が開帳して罪もない客からテラ銭を巻き上げる悪い遊びのことである。すなわち、巨大胴元であるJRAは馬券総売上の25パーセントをテラ銭として取り、残る75パーセントを「配当」と称して的中者に払い戻している。
わかりやすい例を上げる。さる4月16日、つまり皐月賞の当日の中山競馬場第1レース。馬番連勝馬券の総売上は約4億4000万円分。うち⑤—⑬の的中は、約4400万円分であった。
これが仲間うちのドンブリバクチであれば、10分の1の確率での勝利なのだから、配当は10倍となって当然である。しかし競馬においては25パーセントのテラ銭が控除されるので、このレースでの配当金は750円となる。
早い話が、1000円を支払って購入した馬券は、実は750円の価値しかなく、馬券を購入するということは、実は1000円と750円を交換するという作業に他ならないのである。
この第1レースが終了したとたん、ファンの懐から取り出された4億4000万円のうちの1億1000万円は、煙のごとくテラ箱に消えてしまったことになる。
その30分後、ファンは性懲りもなく約5億円の馬券を買い、うち約3000万円が的中しているにもかかわらず、12.5倍の配当しか受け取ることはできなかった。このレースにおいても、約1億2500万円のカネが煙のごとくどこかへ消えてしまったのである。
賭場の習わしに従い、時間の経過とともに人々の興奮はいや増し、投資金額は上積みされて行く。
かくてメインレース、第55回皐月賞の締切に際しては、馬番連勝馬券で253億円余、枠番連勝で67億円余、その他単勝とか複勝とかはあいにくデータ不足でわからないが、ともかく400億円ぐらいのカネがファンのポケットから放出され、うち100億円ぐらいのカネが煙のごとく消えてしまったのである。
怖ろしい話である。しかも、仲間うちのバクチならトイレに立つフリをして勝ち逃げ、という手もあるが、競馬場の雰囲気はまずそれを許さない。
つまり1日のなかばで運良く勝ちに回っているファンも、結局は勝ち分を上乗せして馬券をさらに買い続けるハメになる。
で、最後はどういうことになるかというと、10万人のファンが競馬場に持ち寄ったカネのほとんどが、煙のように消えてなくなってしまうのである。
よおく考えてもらいたい。控除率はたしかに25パーセントであるが、まさか4人に1人が勝って帰れる話ではない。75パーセントが配当されるといっても、4人のうち3人が元金を保全できるという話でもない。
すべてのファンがたまさかの勝ち分をさらに1日中馬券と換え続けるのだから、最終的に保全される金額は、最終レースの配当総額プラスアルファ、ということである。
ちなみに皐月賞当日の最終レースの払戻し金額は、馬番連勝式で17億円余、枠番連勝式で4億3000万円余であった。まあこのぐらいはお車代として持って帰らせてもよかろうという胴元の呟きが私には聞こえるのであるが、はたしてどうであろうか。
「競馬は当たってもゼッタイ儲からないからね。たいがいにしときなさいよ」と私が言う理由は、つまりこういうことなのである。
必要経費も年間100万円
さて、読者の周辺にも競馬で儲けていると自称するファンはおいでになると思う。
しかし真に受けてはならない。年に一度か二度とか、GIレースだけ、とかいう趣味のファンならいざ知らず、毎週何がしかの馬券を買いながらプラス収支を計上するということは数理上ありえないのである。
もしそれが本当だとしたら彼は、「1000円と750円を交換し続けてもなおおカネの増える奇蹟の人」ということになる。
私のかなり確信的な推測によれば、毎週馬券を買い続けていながら「俺は勝っている」と豪語している人でも、年間100万円は負けている。だが、それでも彼は名人である。
「ま、トントンだね」と答える人は、200万円ぐらい負けている。これがごく一般的なファンであろう。はっきりと「俺はハマっている」と自覚できる人は、300万円以上は負けている。
幸い競馬ファンの中に正確な収支明細をつけている人はおらず(そういう律儀者は最初から競馬なぞやらない)、また馬券を買うカネというものはふしぎとどこかしらからか出てくるものであるから、みなさんことほどに被害者意識はない。
しかし年間数百万円のカネといえば、人生を変えうるほどの大金である。
さらにこれに加えて、競馬をやるには存外経費がかかる。
私の昨年度の税務申告によれば、新聞、メシ、交通費、入場料、指定席代その他モロモロの必要経費が約100万円支出されている。ふつう勝とうと思えば、これだけの出費はどうしても必要である。
もちろん一般のファンは私ほどパーフェクトに競馬場まで通ってはいないだろうし、関西やローカルまで足を延ばしたりはしないだろうから、まず半分の50万円と見てよかろう。
しかし私は全く酒を飲まないので、競馬場の帰りに掛茶屋で一杯やる人は、私より経費をかけているとも言える。
要するに、永遠の25パーセントのテラ銭を物ともせず、年間100万円の経費すらカバーしうる人だけが、真の勝利者なのである。
小説を書くことは別段自慢にはならないが、以上の理由により、例年競馬で勝ち越していることは、私の自慢である。
(初出/週刊現代1995年4月22日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。