酒の造り手だって、そりゃ酒を飲む。誰よりもその酒のことを知り、我が子のように愛する醸造のプロ「杜氏」は、一体どのように呑んでいるのか? 震災に遭ってしまった蔵がある。それを支援すべく立ち上がった蔵がある。今回は、震災に負けず能登での銘酒造りに尽力するふたつの蔵を訪れた。
画像ギャラリー酒の造り手だって、そりゃ酒を飲む。誰よりもその酒のことを知り、我が子のように愛する醸造のプロ「杜氏」は、一体どのように呑んでいるのか? 震災に遭ってしまった蔵がある。それを支援すべく立ち上がった蔵がある。今回は、震災に負けず能登での銘酒造りに尽力するふたつの蔵を訪れた。
石川県『御祖(みおや)酒造』
【横道俊昭氏】
1959︎年大阪府生まれ。市役所員時代に友人のフィリップ・ハーパー氏(現木下酒造杜氏)と酒蔵めぐりを始め、それぞれ酒造の世界に飛び込む。琵琶の長寿、菊姫などで経験を積み、2005年御祖酒造杜氏に就任。
石川県『白藤(はくとう)酒造店』
白藤酒造店は店舗と自宅が全壊。在庫の多くが破損した。酒蔵は設備に甚大な打撃を受けて醸造が困難になったが、すでに再起に向けて蔵人一丸となって活動している
【白藤暁子氏】
1972年福島県生まれ。発酵に興味を持ち東京農大醸造学科に進学。卒業後、新規の酒蔵立ち上げに参画したほか、「浦霞」醸造元の佐浦などで修業を積む。2004年に白藤喜一氏と結婚し、「奥能登の白菊」の麹造りを担当している。
【白藤喜一氏】
1973年石川県生まれ。東京農大醸造学科卒業後、東京の和食店勤務を経て、家業の白藤酒造店の蔵人となる。2006年杜氏に就任。麹造りを担当する妻・暁子氏と二人三脚で少量高品質の酒造りを徹底している。
酒蔵は手を差し伸べ合って結束する
2024年1月1日16時10分、石川県の能登半島は震度7の大地震に見舞われた。能登半島地震だ。輪島市で『奥能登の白菊』を醸す白藤酒造店の杜氏・白藤喜一さんは、発災の時を振り返る。元日は長い酒造り期間で唯一の休日だった。
「本震の数分前に震度5強の地震がありました。店舗1階にいた私は、自宅の2階へ駆け上がって妻と子どもたちの無事を確認すると、その直後に強烈な本震に襲われました。店舗は完全に潰れて全壊。家族は全員なんとか難を逃れました」
通りに出ると、風情ある木造建築が建ち並ぶ周辺一帯は壊滅的な被害で、街の風景は一変していた。
2007年の震度6強の地震でも被災し、酒蔵は打撃を受けた。その再建の際に能登特産の木、アテを使って基礎を補強していたので、今回は建物自体は無事だった。
しかし、醸造用タンクが壊れ、断水により酒造りは手の施しようがない状態。喜一さんと妻の暁子さんは途方に暮れた。
被災から3日後、ふたりの大学の1年先輩で、「磐城壽」の醸造元・鈴木酒造店の鈴木大介さんが、カセットボンベの発電機や衛生用品などの被災直後に必要な支援物資を満載して駆けつけてくれた。
「鈴木さんは東日本大震災で被災し、長く福島から山形に避難して酒造りを続けた方。大震災を経験した方の状況判断力と行動力はすごかったです。本当にありがたかったですね」と喜一さんは話す。
鈴木さんは蔵の被害状況を確認すると、その10日後に「会津娘」の醸造元・高橋庄作酒造店の高橋亘さんと一緒に、いろいろな道具を揃えて再びやってきた。仕込んでいたもろみを運び出し、同じ石川県の羽咋市にある『遊穂』醸造元・御祖酒造へ持って行って搾るためだ。
無事、一升瓶900本分の原酒を救出することができた。以来、酒蔵の連携の輪は広がっていった。
購入済みの米をうちの蔵で酒にしないかと声をかけてくれたのは、長野で「十六代九郎右衛門」醸す湯川酒造店。
3月には木曽山中で初めての「奥能登の白菊」が搾られた。3月下旬、喜一さんは蔵で割れずに残った酒の検品に没頭し、一方、暁子さんは御祖酒造で麹造りに取り組んでいた。
白藤夫妻と、御祖酒造の藤田美穂社長、同蔵の杜氏・横道俊昭さんは、家族ぐるみで付き合いのある酒造り仲間。藤田さんと横道さんが酒造りの場として蔵の提供を申し出てくれたのだ。白藤酒造店の再起の歩みは、着実な前進を見せている。
御祖酒造の賄い場には、晩酌用の料理の仕上げに忙しい横道さんと、酒や皿を準備しながら茶々を入れる藤田さんの姿があった。
横道さんは大阪人魂がそうさせるのか、常に笑いを取ろうとし、藤田さんは何もそこまで言わなくてもというくらいに手厳しくつっこむ。まるで漫才。ふたりをやさしく見守る暁子さんも加わる今宵は、いつにも増して賑やかだ。暁子さんが泊まり込んでいる間は、3人での晩酌が繰り広げられている。
「遊穂の定番、『純米酒』は常温で、生もと造りの『遊穂の湯〜ほっ。』は一度60℃以上に温めてからの燗冷ましで酌む」と横道さんは言った。
量の目安は最大3合。酒造りで目指しているのは、毎晩飲んで楽しい食中酒で、自分が料理と一緒に味わいながら3合をおいしく飲める酒にしたいと話す。
「酸がしっかり感じられて、濃い味の料理にも調和する酒が理想です。足し算の酒、引き算の酒という表現を借りれば、遊穂は足し算。苦味やアミノ酸を抑えるのが一般的なセオリーですが、僕の場合、苦味があるならそれを甘みで覆って全体のバランスを取る。足し算じゃなくてかけ算になったらええと思っているくらい」(横道さん)
藤田さんが20年以上前に新銘柄を開発するにあたって横道さんに依頼したのは「香りは不要、豚バラ肉に合う酒」だった。
「当時は肉料理に合う酒がなく、自分は華やかできれいな酒では物足りないと思っていたもので。横道さんの地元・大阪の粉もんやソースに合う酒をぜひともとお願いしました。すると乗ってくれて」(藤田さん)
「本当は杜氏の依頼を断ろうと会いに行ったのに、それなら面白いと受けてしまいました。料理を邪魔しない酒がよしとされる世の中だけど、積極的にお邪魔しに行く酒を造りたかったので(笑)」
晩酌という日常がある幸せ
「奥能登の白菊の純米の常温を喜一と酌む」と暁子さんは言った。
晩酌は漁師の奥さんがリヤカーで振り売りする魚を見て献立を決めるのが常だった。サバ、ブリ、真フグ、アオリイカ……縞エビや甘エビなどエビの宝庫でもある。やさしい甘さの奥能登の白菊は、魚介の繊細な旨みと響き合う。
「輪島の人ってエビが白くなってたら食べないんですよ。それくらい獲れたてが当たり前。地震で輪島港は海底が隆起して漁に出られないから、おいしい魚が食べられるのはいつになるのか。ガンドなんて震災以来お目にかかってないからうれしい!」(暁子さん)
その晩、食卓には暁子さんが七尾市で手に入れた新鮮なイワシで作った煮付け、横道さん作の鶏肉と原木椎茸「のと115」の酢醤油煮などが並んだ。ブリの一歩手前のサイズを指すガンドは、賽の目に切ってなめろうになった。
「なめろうに奥能登の白菊の自然栽培米が合う!」と藤田さんが唸っていると、「私は湯〜ほっ。のお燗が好きだな。ひと口飲むと料理をまた食べたくなって、また飲みたくなる」と暁子さん。
「暁子さんに褒められるとうれしいわ、利き酒能力がものすごく高い人やからさ」と横道さんの頬は緩む。きっと新酒も味わい深く仕上がるだろう。造り手たちがこんなにいい夜を過ごしているのだから。
『御祖酒造』@石川県
1897年創業。普通酒と本醸造を中心に地元で愛されてきた「ほまれ」に加え、藤田美穂氏が社長就任後の2005年から食中酒に特化した新銘柄「遊穂」を醸す。遊穂の名は蔵のある羽咋市がUFOの町であることに由来する。
【純米酒 遊穂】
【生もと純米酒熟成 遊穂の湯〜ほっ。】
『白藤酒造店』@石川県
18世紀中頃、北前船の寄港地・輪島で廻船問屋として創業し、江戸末期から酒造業を開始。9代目は共に大学で醸造学を学んだ夫妻が「奥能登の白菊」を醸す。能登半島地震で店舗兼自宅が全壊。醸造設備に被害を受けた。
【特別純米酒 奥能登の白菊】
【奥能登自然栽培米 奥能登の白菊】
撮影/松村隆史、取材/渡辺高
※2024年5月号発売時点の情報です。
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