終戦から79年を迎えた2024(令和6)年8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、日本武道館(東京都千代田区北の丸公園)で行われた。式典には、天皇、皇后両陛下をはじめ、遺族3055名、内閣総理大臣ら約700名が参列した。追悼式は、1952(昭和27)年から実施され、今年で64回目となった。来年は戦後80年を迎える追悼式の歴史について、振り返ってみたい。
画像ギャラリー終戦から79年を迎えた2024(令和6)年8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、日本武道館(東京都千代田区北の丸公園)で行われた。式典には、天皇、皇后両陛下をはじめ、遺族3055名、内閣総理大臣ら約700名が参列した。追悼式は、1952(昭和27)年から実施され、今年で64回目となった。来年は戦後80年を迎える追悼式の歴史について、振り返ってみたい。
※トップ画像は、正午の時報とともに1分間の黙とうをささげる全国戦没者追悼式の様子=2024(令和6)年8月15日、日本武道館(東京都千代田区北の丸公園)
平和条約の発効と戦没者の追悼
終戦から6年後、1951(昭和26)年9月8日に、いわゆる「サンフランシスコ平和条約」が第二次世界大戦の連合国と日本の間で結ばれ、翌1952(昭和27)年4月28日に平和条約は発効。日本は主権を回復し、連合国軍による占領状態が終結した。これにより、国を挙げて戦没者を追悼することになり、1952(昭和27)年に1回目の全国戦没者追悼式が行われるに至った。このときはまだ、8月15日ではなく5月2日に、昭和天皇、香淳皇后のご臨席のもと新宿御苑(東京都新宿区内藤町)で行われた。この翌日には、「平和条約発効ならびに憲法施行五周年記念式典」が、皇居前広場で行われており、これに先立ち追悼式は行われたのであった。
その後は、7年後となる1959(昭和34)年3月28日に、2回目の追悼式が千鳥ヶ淵戦没者墓苑(東京都千代田区三番町)の完成に合わせて行われた。実施日が8月15日に定例化したのは、3回目となる1963(昭和38)年の日比谷公会堂(東京都千代田区日比谷公園)で行われた時からで、以降、毎年行われるようになった。翌1964(昭和39)年には靖国神社(東京都千代田区九段北)で、1965(昭和40)年以降は。日本武道館での式典が定例化した。
平和を祈念する日
戦後18年を迎えた1963(昭和38)年からは、平和への誓いを新たに、「先の大戦における全戦没者に対して、国をあげて追悼の誠を捧げるため」、政府主催の国家行事として毎年行なわれるようになった。その時の“昭和天皇のおことば”はこうであった。「さきの大戦において、戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々をいたみ、またその遺族を思い、常に胸の痛むのを覚える。終戦以来、全国民とともに、我が国の復興発展と世界の平和を祈念してここに十有八年、本日、親しくこの式典に臨み、万感胸に迫り、ここに深く追悼の意を表する。」
1982(昭和57)年には、「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として改められた。
歴代陛下の出席
戦後はじまった全国戦没者追悼式には、昭和、平成、令和と歴代、天皇の出席は今も続いている。昭和天皇は28回、平成の時代には上皇陛下が30回、令和の今は6回と、これまでに64回を数え、欠席は一度もない。昭和天皇は、1988(昭和63)年の病気療養中でさえも、“みずからの意志”により出席されている。歴代の皇后陛下もそろって出席しているが、香淳皇后は1977(昭和52)年と1981(昭56)年以降は欠席された。
例年、5000人前後の遺族が参列し、行われてきた全国戦没者追悼式だが、2020(令和2)年以降は新型コロナウイルスの感染拡大により人数を制限したこともあり、参列した遺族が55人という年もあった。2024年(令和6年)は、5年ぶりに全都道府県から遺族3055人が参列した。戦後79年が経過したということもあり、戦没者の父母は2011(平成23)年以降の参列は見られない。18歳未満の遺族も、玄孫(やしゃご)を含め60名が参列した。来年は戦後80年、全国戦没者追悼式は65回目を迎える。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。