浅田次郎の名エッセイ

大の風呂好きで一流“サウニスト”の浅田次郎が、自宅至近の豪華天然温泉で演じた大失態

バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第129回は、「福音と孤独について」。

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第129回は、「福音と孤独について」。

なんと書斎から5分の場所に天然温泉がオープン!

わが家から車で5分という至近距離に、突如として温泉が湧(わ)いた。

しかも風光明媚(ふうこうめいび)な多摩山中、豪華クアハウス付きで、この秋堂々のオープンを飾ったのである。

何という福音であろう。車で5分ということはつまり、歩いても行ける距離なのである。銭湯よりも近いのである

銭湯マニアで大の温泉好きで一流サウニストを自負する私の、のみならず温泉はおろか銭湯にもサウナにも行けぬみじめな私の、書斎から脱走してわずか5分の場所に、巨大クアハウス付き天然温泉がオープンしたのである。

編集者を応接間に待たせたまま、「ちょっとタバコを買ってくる」とか嘘をついて温泉に行けるというこの福音。

あるいは愛犬パンチ号のおさんぽの道すがら、「いいかね、ちょっとの間おとなしく待っているのだよ」と言いきかせてそこいらの電信柱に縛りつけ、温泉に行けるというこの福音。

もしくは、しつこいインタヴュアーを、「外で話そうよ」などと言って誘い出し、やおら露天風呂でテープを回すというこの福音。

おそらくは日夜「温泉に行きたい、どうか行かせて下さい」と念じていた私の祈りを、天が聞き届けてくれたのであろう。つくづく身を粉(こ)にして働いてきた甲斐があった。

ところで、話は全然変わるのであるが、近頃どういうわけかテレビの出演が増え、まさかカツラをかぶるわけにも行かぬので、娘の意見を容れ、シラガを染めた。

シラガ染めといってもしごく簡易な方法である。ムース状の真黒な整髪料で、髪をコッテリと整える。洗髪後の1回ではたいして変わりがないのであるが、なるたけ髪を洗わぬようにし、毎朝毎晩マメに上塗りをくり返して行くと、これがけっこうきれいな黒髪に変わる。ただし水溶性なので、洗髪後は真黒な水とともに染料はサッパリと洗い流され、もとのハゲジラガに戻ってしまう。

もっとも、私はシラガをさほど恥じているわけではない。理不尽なことに、ハゲ残った髪がどんどんシラガになって行くので、実際のハゲ以上のハゲに見えてしまうのがイヤなのである。シラガが黒く染まれば、当然ハゲは挽回されたように見える。いや、真実のハゲがはっきりとするのである。シラガのせいで実際のハゲが誇張されて見えるのは、いわば「誤解」であるから、そのままにしておくことは私の良心と正義感とが許さない。ハゲのためにシラガを染めるというのは、何だかものすごく悲劇を感じさせるのだけれど、真実のハゲを主張するためにはいたしかたないのである。

テレビに出過ぎたせいで周囲の目が気になる

ここで話は再び温泉に戻る。

過日、締切の合間を縫って件(くだん)の温泉に行った。折しも休日の午後ということで、クアハウスはたいそう混んでいた。

このところ、テレビ出演や雑誌のグラビア、宣伝広告等で、ずいぶんと顔が売れてしまっている。町なかでジロジロと注目されるぐらいならべつだんかまわないのだが、クアハウスの中というのは、そうと気付かれればけっこう恥ずかしいものがある。私は出たがりのわりにはシャイなので、混雑しているときにはなるたけタオルで顔を隠すようにし、湯船に浸(つか)れば壁を向いている。

とりわけその日の混みようは尋常ではなく、芋(いも)を洗うような大浴場に入ってからは、終始タオルでヒゲから下を隠し続けておらねばならなかった。

で、少々手順をまちがえたのである。

まずまっさきに髪を洗わねばならなかったのであるが、それを忘れた。かつてグラビア撮影中ににわか雨に降られ、シラガ染めが黒々と顔面を流れてカメラマンを仰天させたことがあった。しかし今回は多忙にかまけて数日間フロにも入っておらず、その間シラガ染めは上塗りに上塗りを重ねていたがために、かつてカメラマンを仰天させた程度の生やさしい染まり方ではなかったのである。

湯船に浸っている間、私は他人の目ばかりが気になって、手順をたがえたことなどすっかり忘れていた。

周囲の視線を感じた。数日前に、よせばいいのに調子に乗って、「たけしのTVタックル」に出演してしまい、アップの顔を国民に知らしめていた。

衆視に耐えきれず、シャイなくせに出たがりの性格を深く省(かえり)みつつ、口元をタオルで押さえて秋雨のそぼ降る露天風呂へと出た。ところが、折からの雨と湯煙りとで視界は朦朧(もうろう)としておるにもかかわらず、やはり人々は物珍しげに私を注視するのである。のみならず、子供らは私の顔を岩陰から覗き見て、キャッキャッと笑うのであった。

たけしと一緒にテレビに出た人間がそんなに珍しいか。舛添先生と同工異曲の顔を並べたことが、そんなに面白いか。(筆者注・同工異曲=細工・手ぎわは同じであるが、とらえ方・趣が違うこと。また、違っているようで実は大体同じようなこと。以上「岩波国語辞典」による)

憧れ続けていた温泉、しかも神の福音のごとくに、自宅から目と鼻の先に湧き出た温泉に入る私を、人はなにゆえ笑うのであろう。

露天風呂の雨に打たれながら、私は世の不条理を呪い、シクシクと泣いた。

そして須臾(しゅゆ)ののち、固く決心したのである。天に恥じることは何ひとつしてはいないのだ。珍しがられようが笑われようが、父母から授かったこの顔を人目から隠したりするのはやめよう。どうせ隠すのならキンタマを隠そうと私は思った。

サウナ・ルームに入った瞬間、周囲は爆笑に包まれた

かくて私は露天風呂から仁王のように立ち上がり、周囲をぐいと睨(にら)みわたして歩き出した。行先はもちろん、シャイな私が最も脅威とするサウナ・ルームである。

明るい。逃げ場がない。そのうえみんながヒマである。したがって特定少数の男どもが、たがいの肉体やツラ構えを鑑賞しつつ時を過ごす。

試練だ、と私は思った。かつて後楽園のボディビル・ジムで三島由紀夫を発見したとき、彼はまったく任意の1人としてバーベルを持ち上げていたではないか。また、青山の鰻屋(うなぎや)でお見かけした井上ひさし先生は、やはり任意の1人として蒲焼を食っていらしたではないか。そうだ、私も正々堂々と任意の1人になろう。

そう決意して、背筋をピンと伸ばし、顔はおろかキンタマも隠さずにサウナ・ルームの扉を開けたのである。

広いサウナ・ルームは筋骨たくましい20人もの男どもで犇(ひし)めいていた。一歩踏みこんだとたん、全員の顔がこちらを向いた。

怯(ひる)んではならない。照れ笑いをしてはならない。私は燃えたぎるストーブの前で両手を腰に当て、40代オヤジの「決め」である栄光のウルトラマン・ポーズをとり、およそ同年輩とおぼしき20人のオヤジどもを、ぐいと睨みわたした。

とたんに、サウナ・ルームの中は大爆笑に包まれたのである。突然の反応に狼狽しつつ私は、きっとこいつらは『鉄道員(ぽっぽや)』や『月のしずく』を読まず、「週刊現代」ばかりを読んでいるのであろうと思った。

「なにか……」

と、私は人々に訊ねた。笑いは笑いを喚(よ)び、サウナ・ルームという拘禁状況と相俟(あいま)って、人々は息も継げぬほど身をよじって笑い続けるのであった。

「あの、なにか……」

近在の棟梁とおぼしき坊主刈のオヤジが、「ひー、くるしいっ」とかうめきながら、慄(ふる)える指先を私の顔に向けた。とっさに、私はすべてを悟った。脱兎(だっと)のごとくサウナ・ルームを駆け出し、鏡の前に立って、私はたまらずに声を上げて笑った。そう――数日分のシラガ染めが、湯気と雨とでドロドロに溶け、私の顔をタドンのごとく真黒に染めていたのである。

ひとしきり笑ってから、フト凍(こご)えついた。

今までは周囲の人々が、わずかの瑕瑾(かきん)も指摘し、叱責してくれた。だがこれからは、顔が真黒になって笑いがこらえきれなくなるまで、誰も、何も言ってはくれないのかもしれない。大いなる福音とともに私に科せられたものは、その孤独だ。

がんばらなくっちゃ。

(初出/週刊現代1997年12月13日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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