浅田次郎の名エッセイ

「3社長自死事件」を知った浅田次郎が推察した、団塊の世代の“連携”

3人とも強固な連帯を特徴とする団塊の世代であった 書斎に戻り、彼らはどうして死んでしまったのであろうと考えた。 企業経営者は軍人ではなく、小説家でもない。つまり社長さんの自殺は、たとえどのように切迫した事情、絶望的な状況…

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第132回は、「連帯について」。

よく知る場所で間接的に知る人が自死!?

地獄の文筆労働をおえてコーヒーを淹(い)れ、何か変わったことはねえかなとテレビをつけたところ、ものすごく変わったニュースが飛びこんできた。

経営に行き詰まった仲良しの社長さんが3人、中央高速のインターに近いラブホテルで心中しちゃったんだそうだ。

「へえ……」

と、私はテレビの前に座りこんだ。「えっ?」でも「おお!」でもないのである。

事実は小説より奇なりとは言うものの、これはまさしくミステリー。

社長さんがひとりで死んじゃったのなら、きょうび珍しい話ではない。2人いっぺんでもまあ、ありそうなことではある。しかし仲良し3人がラブホテルの部屋を3つ並べて、同時に首をくくるというのはすごい。こんな設定の小説は高村薫だって思いつかない。

何でも3人の社長さんは真昼間に車でやってきてホテルの隣で牛丼を食い、それからチェック・インをして、しばらくビールを飲みながら最後の会議をし、それぞれの部屋に戻って首を吊ったのだそうだ。

ニュースに見入るほどに、このミステリーが身近に迫ってきて怖くなった。

3人の社長さんのうち、ひとりの名前に聞き覚えがあったのである。親しく見聞きした名前なのだが思い出せない。

「ええと……誰だったっけかなあ」

このときの私の胸中を想像していただきたい。ものすごく怖かった。考えこむほどに脂汗がにじみ出てきた。

「あら、どなたかご存じのかた?」

と、家人。私の場合、知り合いが自殺もしくは変死するということは、かつてさほど珍しい話ではなかった。

「お葬式とか、行ってられませんねえ。原稿たまってるし。花輪の用意でもしときましょうか」

「うるさい。黙っていろ」

家人は黙って節句の花を生け始めた。

「思い出せないんですか?たとえば、むかし手形をパクっちゃった人、とか」

「ちがう。それはちがう……」

「だったら、そこいらでボコボコにしちゃった人、とか」

「ちがう。それほど近しくはないと思う。しかしこの名前は……この名前は……」

「競馬のお仲間」

ピンポーン、と私の頭の中に正解のチャイムが鳴った。そうだ、彼は知る人ぞ知る中央競馬の大馬主、かつてあのアイネスフウジン号でダービーを制した人物ではないか。

とりあえず会葬に赴く必要はなく、花輪もいらない。私は競馬新聞で長い間、彼の名前に接していただけなのである。

画面に現場のホテルが大映しになり、私はいよいよ怖くなった。

むろん、そのラブホテルに行ったことはない。断じてない。神かけてない。そういう意味ではなく、ホテルは私の家の最寄りインター入口に立っているのである。週に何度もその前を通っているのであるから、行ったことはなくたって親近感はある。しかも、社長さんたちが最後の食事をとった牛丼屋にも、かつて何度か行っている。ちなみに、そこの牛丼はうまい。

かたわらに寝転んでテレビを見ていた娘が、「こわいよー」と言って屋根裏に逃げこんでしまった。大学をことごとく落ちてしまい、ただでさえナーバスになっている娘に見せるニュースではない。

世の成功者である社長さんが3人いっぺんに自殺するなど、前途ある若者たちの意欲を著しく害するであろう。ましてやそのうちのひとりが一国の宰相となるよりも難しいダービー・オーナーだと知れば、私の馬券意欲も著しく害される。

3人とも強固な連帯を特徴とする団塊の世代であった

書斎に戻り、彼らはどうして死んでしまったのであろうと考えた。

企業経営者は軍人ではなく、小説家でもない。つまり社長さんの自殺は、たとえどのように切迫した事情、絶望的な状況にあろうと、大義のかけらすらない敗北なのである。死のあとに栄光や名誉はなく、死によって美化され完結するものは何もない。しかも、困る人が多すぎる。

彼らの年齢は51歳と49歳。事業家としては将来に再起の夢をかけられぬ年齢ではない。おそらく年頃の子供もいるであろうし、悲嘆にくれる親も存命であろう。たとえどのようないきさつがあったにせよ、大の男が3人もうち揃って首をくくるだけの正当な理由にはなるまいと私は思った。

団塊(だんかい)、という言葉が私の頭をかすめたのは飛躍にすぎるであろうか。私よりいくつか年長の彼らは、団塊と呼ばれる世代に属していた。本誌の読者にも、この年代のかたはさぞ多かろうと思う。

昭和26年生まれの私たちには、この団塊に属する兄や姉を持つ者が多かった。ちなみに私の兄も昭和23年生まれのネズミ年、つまり3人の社長のうちの2人と同じ49歳である。

戦地から復員してきたオヤジが、一服ついたところで子供をこさえた。これが「団塊」である。おおむね昭和22年から24年に出生した世代がこれに相当し、人口ピラミッドで見ると、まるで塊(かたまり)のように頭数が多いことから、この名がつけられた。

私の同級生にはたいがい、強くて怖いおにいちゃんか、男まさりのおねえちゃんがいた。

食い物のない時代に生まれ、長じては1クラス70人というサバイバル・ライフを運命づけられた彼らは、みな強く、たくましかった。

一方、わずか数年のちがいとはいえ、朝鮮戦争の特需景気のさなかに生まれ、高度成長とともにのほほんと育った私たち二男坊世代は、おしなべて闘争心に欠け、変にやさしいやつが多い。

つまり私たちは学校でも職場でもビジネスでも、量質ともに圧倒的な団塊の兄たちにはてんでかなわず、常に屈服し、支配され続けてきたのであった。

パワフルな22年生まれのイノシシ。勤勉で働き者の23年ネズミ。タフで強情な24年のウシ。高島易断の運勢を繙(ひもと)くまでもなく、彼らはみな私たちにとって、強くて怖いおにいちゃんであった。

彼らはクラブ活動やサークルを牛耳(ぎゅうじ)って黄金時代を築き、学園闘争では常に主導権を握り、めくるめくバブル時代の主役になった。

ところで――景気が低迷し、すべての営みが攻めることより守ることに変質してしまった今日、何となく彼ら団塊の影が薄くなったように感じるのは私だけであろうか。いやたしかに、華々しい時代を背負っていた兄貴たちは近ごろ目立たなくなった。さまざまの職場でも、この現象は如実に現われているのではなかろうかと思う。

仲良し社長3人の心中事件に、世代の特性を考えるのは邪推(じゃすい)かもしれない。団塊の彼らはたしかに質量ともに他の世代を圧倒していたが、彼らは実はその質量ゆえの強固な連帯によって世代の実力を発揮するという、ふしぎなメカニズムを持っているのではなかろうか。

51歳と49歳の3人の社長は、それぞれ自動車用品の製造、卸、小売の事業を営んでいた。商売上はたしかに一蓮托生(いちれんたくしょう)の仲と言ってもよかろう。しかし「一蓮托生の仲」と「刎頸(ふんけい)の交(まじわり)」の区別がつかなかったところに、この想像を越えたカタストロフィーは起こったのではないか、という気がしてならない。

私たち高度成長世代は、個人の突出こそが成功であると定義する。徒党を組むことを嫌う。しかし団塊の兄たちは、連帯の力によって成功をめざす。たがいにそういう世代のメカニズムを持っている。

弟分の口から言うのもおこがましいが、それはないだろうと私は言いたい。たとえどのような連帯の輪の中にあっても、命だけは他人のものではあるまい。

名馬アイネスフウジンは、2400メートルのダービーを一気呵成(かせい)に逃げ切った。目のさめるような単騎逃げであった。

オーナー、それはないだろうと、アイネスフウジンは呟(つぶや)いているにちがいない。

(初出/週刊現代1998年3月21日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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