10月24日に2024年プロ野球ドラフト会議が行われる。指名されるのは支配下、育成あわせて120人ほどの狭き門だ。ただ指名されたすべての選手が歓喜するわけではない。これまでに「プロ入りの意思なし」、「希望球団ではない」といった理由で、延べ500人を超える選手が入団を拒否している。指名拒否を振り返ると、ドラフトの別の一面が見えてくる。
画像ギャラリー10月24日に2024年プロ野球ドラフト会議が行われる。指名されるのは支配下、育成あわせて120人ほどの狭き門だ。ただ指名されたすべての選手が歓喜するわけではない。これまでに「プロ入りの意思なし」、「希望球団ではない」といった理由で、延べ500人を超える選手が入団を拒否している。指名拒否を振り返ると、ドラフトの別の一面が見えてくる。
入団拒否の方が多かったドラフト創設直後
かつてのプロ野球ドラフト会議といえば指名拒否がつきもの。1位指名された選手であっても「希望球団ではない」という理由で、球団の指名あいさつを門前払いする光景は、プロ野球シーズンオフの風物詩のようなものだった。
しかし大学・社会人の逆指名が導入された1993年以降、その数は減っていき、指名された選手が全員入団することも珍しくなくなった。「希望球団ではない」という理由での指名拒否も、リーグや、球団ごとのメディア露出や待遇の差が平均化されてきたこともあってかほぼなくなり、ドラフト指名拒否は2016年以来、8年間現れていない。
入団拒否はドラフト創設直後に集中
1965年の第1回ドラフト会議以来、これまでに指名されながら入団しなかった選手は、延べ500人を超える。しかしそのほとんどはドラフトの創設直後に集中している。
第1回のドラフト会議では、指名16人中13人が拒否した西鉄を筆頭に80人の選手が指名を拒否し、入団した選手の52人を28人も上回った。1次、2次に分けて開催された1966年のドラフトも計85人が指名拒否し、計60人の入団選手を上回った。入団選手が拒否選手を上回る「正常」な状態になるのは翌1967年からのことだ。
「希望球団ではない」と指名拒否のケース目立つ
当時は球団から指名候補選手への調査書の送付や、高校、大学生のプロ志望届の提出などもなく、プロ側は選手への事前挨拶もないままに指名したり、プロ入りの意思がなくても交渉権だけを得ておいたりということも少なくなかった。このようなプロ、アマ間のコミュニケーション不足による指名拒否は、ドラフトが回数を重ねていくなかで減少していくが、その後はプロ入りの意思がありながら、「希望球団ではない」として指名拒否するケースが目立つようになる。
この頃、希望球団への入団が制限されるドラフト制度は職業選択の自由を奪っているといわれるようになった。自由競争時代の選手獲得競争の過熱は「人身売買」ともいわれたが、今度は「憲法違反」というわけだ。
「江川事件」の衝撃
そんななかで「江川事件」が起きた。巨人入りを希望した江川卓は作新学院時代の1973年に阪急の1位指名を拒否、法政大を経た1977年のドラフトではクラウンライターの1位指名を拒否した。
1年浪人後の1978年にドラフト前日「空白の一日」を突いて巨人と契約を強行したが、ドラフトでは阪神が1位指名し、形式上、阪神入団後、キャンプ前日に巨人へとトレードされた。江川の1位指名3度、拒否2度はともに最多だ。
「逆指名」が恒例化
その後、ドラフト前になると新聞、テレビなどメディアを通して、ドラフト候補選手が希望球団を指名する「逆指名」が恒例化する。
「逆指名」は1993年から2006年まで大学、社会人に限り制度化されたが、「江川事件」が、そのきっかけのひとつになったといってよいだろう。
1978年以降の球団別の指名拒否数
「江川事件」のあった1978年のドラフトは指名拒否が4人と初めて一桁になった。以降、指名拒否は一桁で推移し、1987年に初めてゼロとなる。創設13年目となる1978年を境に、ドラフトによる選手獲得が定着し、安定期に入ったと見ていいだろう。1978年以降の球団別の指名拒否数は次のようになる。
阪神:0(1977)
広島:1(1978)
西武:1(1981)
中日:4(2014)
巨人:4(2015)
日本ハム:4(2016)
阪急・オリックス:5(2000)
大洋・横浜:5(2006)
ヤクルト:6(1989)
南海・ダイエー:6(1991)
近鉄:8(1996)
ロッテ:12(2008)
※カッコ内は最後に入団拒否があった年度、楽天は2004年からのドラフト参加でこれまで指名拒否はなし
指名拒否の数からスカウト方針が見えてくる?2012年、大谷翔平を強行指名
阪神は1978年1位の江川も入団後の移籍という扱いになるので、この間の指名拒否はゼロ。1977年4位の池田親興(高鍋)以来、47年間指名全選手が入団している(池田は法政大、日産自動車を経て83年2位で阪神に入団)。人気球団ということもあるが、ドラフトでギャンブルはせず、堅実な指名をしているということだろう。
この間、指名拒否1人の広島は育成力が高いこともあり、地道なスカウト活動で素材型の高校生を中心に指名しているのが拒否の少ない要因か。逆にキャンブル指名の傾向が高いのが78年以降、4人に拒否されている日本ハムだ。
2012年にはメジャー入りを希望していた大谷翔平(花巻東)を強行指名し、この時は首尾よく入団にこぎつけたものの、1980年に1位で西武希望の高山郁夫(秋田商)、2006年に大学・社会人4巡目で巨人希望の長野久義(日本大)、2011年に1位で巨人希望の菅野智之(東海大)、2016年に6位で3位以上での指名を希望した山口裕次郎(履正社)を強行指名し、入団を拒否されている。
不人気球団の悲哀
阪急・オリックスもギャンブル指名の傾向が見て取れる。1980年、西武希望の川村一明(松商学園)、1998年、ダイエー希望の新垣渚(沖縄水産)、2000年、巨人希望の内海哲也(敦賀気比)と1位指名選手の入団拒否が3度あり、78年以降では最多。そのいずれもが高校生の投手で、その後、他の球団に入っている。
80年代に毎年のように入団拒否があったロッテは12人で最も多かった。入団拒否の理由は、ほとんどが「希望球団ではない」であり、6人の南海・ダイエー、8人の近鉄などとともに、不人気だったパ・リーグ球団の悲哀が垣間見える。
石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。
※トップ画像は、「Photo by Adobe Stock」