■生活が変化したこと、をテレビメーカーは認めたくなかった
私が家電メーカーで働き出した時、言外に叩きこまれたのは、テレビこそが家電の王様であり、テレビを買うことはハレの買い物であるということだった。そのメッセージは、会議の威厳から、投じられる予算から、あるいは関わる社員の顔つきから発せられ、いくら鈍感な新人でもその自負を随所で受信できたのだ。
その後の私は、かの自負に疑問を挟むひまもなく、テレビこそキング、テレビこそ消費の殿堂というかのような、勇ましい広告作りに従事した。実際テレビはいっとき、憧れられながら売れた。しかしその後の顛末は知られるとおりだ。地デジという言葉に郷愁さえ覚える(地デジカという鹿を覚えている人がどれほどいるだろう)現在、満を侍してテレビを買う人はおどろくほど少なくなった。
その背景にはスマホの存在や、テレビが覚悟を要する金額の買い物でなくなったこと、あるいは儲かりにくくなっていった作り手側の事情や構造もあると思う。しかし私たちの生活におけるテレビのポジションが、見る見ないとは別のところで、相対的に低くなったことも大きいのではないか。
なんだかんだいって私たちは、生活を変化させてきたのだ。そしてその生活の変化を、だれよりも認めたくなかったのが、テレビを作って売る側の私だったのかもしれない。かつての栄光があったことを知る私の中には、いまだにテレビを踏み絵として踏めない私がいる。それは私が勤めていた会社の中にも、空気として根強く残っていたのをよく覚えている。
「テレビをどう捉えるか」で世間がガラリと変わって見えるのは、消費者だけではない。テレビを作って売る側も、テレビをハレの家電ととらえるか、ケの家電ととらえるかで、お客さんの像も需要もガラリと変わってしまうのだろう。かつて私は、テレビを会社の玄関に置いて、テレビを踏んで会社に入れる人と入れない人で分けてマーケティング部門を2つ作ればいいのではないかと言い、ひどく怒られたことがある。
その考えはあながち間違いでもなかったと思ってはいるけど、どうしてもテレビには過去がチラついて、私はテレビの現在地がよくわからなくなる。そうやってテレビの宣伝をしようとするたびにめまいがするから、私はテレビへの苦手意識をいつまでたっても拭えないのだ。
文・山本隆博(シャープ公式Twitter(X)運用者)
テレビCMなどのマス広告を担当後、流れ流れてSNSへ。ときにゆるいと称されるツイートで、企業コミュニケーションと広告の新しいあり方を模索している。2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021ACCブロンズ。2019年には『フォーブスジャパン』によるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。近著『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社ビーシー)
まんが・松井雪子
漫画家、小説家。『スピカにおまかせ』(角川書店)、『家庭科のじかん』(祥伝社)、『犬と遊ぼ!』(講談社)、『イエロー』(講談社)、『肉と衣のあいだに神は宿る』(文藝春秋)、『ベストカー』(講談社ビーシー)にて「松井くるまりこ」名義で4コママンガ連載中