「いい旅チャレンジ20000km」。1980(昭和55)年から1990(平成2)年まで行われていた国鉄(→JR)の全線完全乗車による増収効果を目論んだキャンペーンを知る人もいるのではないだろうか。日本国有鉄道=国鉄は、1982(昭和57)年当時で鉄道営業キロ21387km、245線区、5290駅を誇っていた。そこを走る列車の運行距離は、毎日地球を44周(176万km)するほどだった。その路線のうち、地方交通線と呼ばれたローカル線は”175線区10170km”あり、そのなかでも収支の悪い路線は、バス輸送または第三セクター鉄道へと順次転換されていった。そんな「特定地方交通線」と呼ばれた83路線とは、どこに存在していたのか。国鉄時代に廃線または転換されたローカル線の歴史を垣間見ることにしよう。
※トップ画像は、第1次特定地方交通線としてバス路線へと転換された北海道を走っていた国鉄白糠線〔しらぬかせん〕。奥に見える鉄橋が旧線路跡=1983年10月、写真所蔵/JLNA(1983国鉄の現状より)
国鉄再建への努力、地方交通線の転換
1982(昭和57)年の国鉄収支は、増収努力も実らず営業収入は予定を下回り、戦中~戦後期に大量に採用した職員が退職を迎えたことによる退職手当などの増加や、地方交通線・地方バスの負担も増大し、同年に開業した東北・上越新幹線の減価償却費が増加したことなどにより、経営成績は1兆3778億円の損失を計上していた。
国鉄の全営業キロ2万3525km(在来線の側線扱いだった新幹線と船舶を含めた総営業キロ)のうち、地方交通線は1万170kmと全体の43%を占めていた。国鉄の輸送量全体(2219億人)から見れば、地方交通線の割合は5%(101億人)に過ぎなかったが、収入と支出のバランスは極めて悪く、赤字額は全体の31%にもおよび、国鉄財政の大きな負担となっていた。
1980年に制定された「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)」に基づき、地方交通線の中でも旅客輸送密度が1日4000人未満、貨物輸送密度が4000トン未満の路線を対象に、「特定地方交通線」の指定が行われた。特に輸送量の少ない線区は、国民経済的にバス輸送が有利であるという考え方に基づき、順次バス輸送や第三セクター鉄道への転換を図っていった。このうち、1982(昭和57)年までに「廃止承認」され、第1次廃止対象となった路線は次の40線区、総延長729kmにものぼった。
■北海道8路線(白糠線〔しらぬかせん〕、渚滑線〔しょこつせん〕、相生線〔あいおいせん〕、興浜北線〔こうひんほくせん〕)、万字線〔まんじせん〕、岩内線〔いわないせん〕、興浜南線〔こうひんなんせん〕、美幸線〔びこうせん〕)
■青森県2路線(黒石線〔くろいしせん〕、大畑線〔おおはたせん〕)
■岩手県3路線(久慈線〔くじせん〕、宮古線〔みやこせん〕、盛線〔さかりせん〕)
■秋田県2路線(矢島線〔やしません〕、角館線〔かくのだてせん〕)
■宮城県1路線(丸森線〔まるもりせん〕)
■福島県1路線(日中線〔にっちゅうせん〕)
■千葉県1路線(木原線〔きはらせん〕)
■新潟県2路線(赤谷線〔あかたにせん〕、魚沼線〔うおぬません〕)
■静岡県1路線(清水港線〔しみずこうせん〕)
■富山県・岐阜県を走る1路線(神岡線〔かみおかせん〕)
■岐阜県2路線(樽見線〔たるみせん〕、明知線〔あけちせん〕)
■滋賀県1路線(信楽線〔しがらきせん〕)
■兵庫県3路線(高砂線〔たかさごせん〕、北条線〔ほうじょうせん〕、三木線〔みきせん〕)
■鳥取県2路線(倉吉線〔くらよしせん〕、若桜線〔わかさせん〕)
■徳島県1路線(小松島線〔こまつしません〕)
■福岡県5路線(添田線〔そえだせん〕、香月線〔かつきせん〕、勝田線(かつたせん)、室木線〔むろきせん〕、矢部線〔やべせん〕)
■佐賀県と福岡県を走る1路線(甘木線〔あまぎせん〕)
■熊本県1路線(高森線〔たかもりせん〕)
■大分県と熊本県を走る1路線(宮原線〔みやのはるせん〕)
■宮崎県1路線(妻線〔つません〕)
この40路線のうち、バスへの転換は20路線、第三セクター(鉄道)転換が17路線、私鉄に転換されたのは3路線(黒石線、大畑線)だけだった。







