国内の鉄道は、JR(旧国鉄)や民鉄だけに限らず、ケーブルカーやロープウエー、スキーリフトに至るまで、鉄道、軌道、索道事業などの14種類が存在し、こまかく話をすればきりがない。これらの路線は、1970年代をピークに衰退の一途をたどっており、廃止となった路線は全国に幾多も存在する。こうした廃止路線のなかには、観光資源として活用されているものもあり、鉄道愛好家でなくとも人気スポットになっている場所もある。景観に溶け込む廃線跡とは、どんなものなのだろうか。
橋梁の生い立ち
北海道十勝地方の北部、日本一広い国立公園である大雪山国立公園の東山麓に、有名な鉄道廃止路線が存在する。根室本線の帯広駅(北海道帯広市)から、十勝平野を北上して十勝三股(とかちみつまた)駅までを結んでいた旧国鉄「士幌線(しほろせん)」だ。
開通したのは、1925(大正14)年から1939(昭和14)年にかけてで、1953年(昭和28年)7月になると、途中の区間(清水谷駅~幌加駅間)が水力発電用の人造湖「糠平(ぬかびら)ダム」へ沈むことになり、1955(昭和30)年8月に線路は迂回(沈まない土地へ線路を移設)した。これにより廃線となった鉄道橋梁(てつどうきょうりょう)が、北海道河東郡上士幌町(かとうぐんかみしほろちょう)にある「タウシュベツ川橋梁」だった。
幻の橋として有名に
糠平ダム(人造湖)が完成したことにより、湖底に沈んだはずのタウシュベツ川橋梁だが、実際は、その年の雨量や水力発電に使用される水利によって、季節ごとにダムの水量が変化し見え隠れする。ゆえに水没することもあれば、水量が減った時期には湖底に姿を現す。その様子により、いつの日からか「幻の橋」、「神秘の橋」と呼ばれるようになった。
同じように湖底に沈んだ施設として、タウシュベツ川橋梁より南へ1.5キロメートル離れた地点に「熊谷温泉跡(くまがいおんせんあと)」があり、この温泉もまた水量が減り湖底が姿を現すと温泉が湧き出ることから「幻の温泉」として、むしろタウシュベツ川橋梁よりも有名だった。しかし、この温泉跡に湧き出る源泉を利用した温泉は、温泉愛好者らによってつくられた、いわば”勝手温泉”であったため、現在は撤去されている。
アーチ橋が美しいタウシュベツ川橋梁
古代ローマの水道橋遺構を連想させる全長130メートルのコンクリート製11連アーチ橋は、「第1回北海道遺産」にも認定された「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の一つである。橋梁名にもなっている「タウシュベツ川」とは、十勝川水系の一級河川「音更川(おとふけがわ)」の支流である。この川にかけられていた国鉄士幌線の鉄道橋梁であったことから「タウシュベツ川橋梁」の名が付けられた。
この橋梁は、糠平ダムの建設によって鉄道が通らなくなっても鉄道財産として国鉄が所有していたが、1987(昭和62)年の国鉄民営化後には「国鉄清算事業団」という国鉄財産を保有する組織へと引き継がれた。この組織も、1998(平成10)年に解散となり、その際には「タウシュベツ川橋梁の解体」も議論された。組織は、日本鉄道建設公団国鉄清算事業本部(現・鉄道運輸機構)へと移管され、この時に起こった保存運動が功を奏し、上士幌町が「無期限の解体委託契約」を結び、「橋梁の管理及び解体に関する権利を有する状態」にある。なお、糠平湖は北海道の管理下にあり、水力発電を行う電源開発株式会社は水利権のみを有するだけで、橋梁に関しては「ダム湖に沈んだ鉄道遺構」として、その処遇は上士幌町に委ねられている。